22/20 近原友治の話

「男女三人でトラブルとくれば痴情のもつれ。大概な」


 ソファにどっかりと腰をおろした相手は苦り切った表情と声でそう切り出した。


「それって決めつけ? それとも経験則?」


 近原友治は向かい側に座り、淹れたばかりのコーヒーを相手へすすめた。

 この二十日間、そこに毎日座っていた人物を思い出す。いま面と向かってテーブルを挟んでいるのはその人物とは似ても似つかない黒豹のごとき男だ。


「経験則だよ当然だろ。厭になるほど見てンだよこっちは」


 黒々とした太い眉をこれでもかと寄せ、短く刈り上げたツーブロックの頭をがりがりとかきむしる。これで派手な柄物のシャツでも着ていれば相当な強面に見えただろうが、顔面の印象に反して彼はチャコールグレーのスーツをぱりっと着こなす公務員だった。


「しかもホシは朝までそこで呆けてたってンだから証拠さえ固めちまえばすぐ片付く案件だったんだがな。犯行当時の記憶がないときた」

「ちゃんと思い出したさ」

「ソレは感謝してるよ、ご苦労さん」


 労いの言葉を近原にかけつつも、彼の表情は一向に晴れない。


「自認については問題ないね。あとは、――君達が理解するかどうかだ」


 彼が座っているまさにその場所で、膝を震わせながら訥々とつとつと語っていた姿を思い返す。自分のしてしまった行為がどれほど罪深いか、あれはきちんと理解している顔だった。できることなら償いまで終えて新たな人生を歩んでほしい。近原はそう感じずにいられない。これまで相対してきたすべての人へ抱いている願いでもあった。


「周囲と本人の証言によれば」


 男は獣じみた唸り声を鳴らし、半ば独白のように語り出す。


「男は女と付き合っていて、女は別の男と浮気してたらしい。遊びのつもりが本気になりかけてたところで女は物言わぬ死体となる……あらましだけ見りゃよくある事件だ。それこそ痴情のもつれってやつでさ」

「人の心に、うん、法を犯すほどの強い激情に、ありがちも何もない。そこに至った経緯は、何であれその個人ただひとりの、ひとつだけの軌跡だ。と、僕なんかは思う」

「奇跡だあ?」

わだちのほうの意味だよ。指紋がひとりひとり異なるように心もまた、異なる紋理もんりを描くものであると、僕は考えたい」

「統計学に喧嘩売ってンな」

「マニュアルだけじゃ、はかれない。人の心は、特に。だから僕はこの仕事に就いたのだし」


 マグカップをどけてテーブル上に資料を広げる。内一枚がはらりと床へ滑り落ちた。二十日間、毎日見てきた顔の写真を拾い上げて、近原は白衣の袖をまくった。近原にとって白衣はただの作業着で特別な意味などないのだけれど、もしこの白い上着を着ずに顔を合わせたならなんと呼ばれていたのだろう。先生、と呼んでくれた屈託ない声を思うといまだに面映ゆさを覚える。


「ま、俺らとは話が合わねえのは周知の事実ってやつだ。おら、聞かせろよ。そもそもソレを聞くために俺はここにいるんだ。――?」

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