19 記憶の話

 ――気持ち悪い。

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。


 あなたは眠りにつくたびその夢を見る。呼吸もままならないほど走って、足をもつれさせてはまた駆ける。永遠に終わらない鬼ごっこだった。

 夢のなかは決まって薄暗く、あたりはもやがかかったように曖昧ではっきりしない。「夢のなかのあなた」に周囲を気にかける余裕がないせいもあり、漠然とした不安の海をさまよっているようでますますあなたは逃げたくなる。ここから、この場所から、――あの言葉から。


 気持ち悪い。逃げたい。から逃げたい。遠く、遠く、聞こえないところまで。


「気持ち悪い」


 女の声だった。嫌悪感に満ちた、女の。

 あなたは自らの悲鳴で飛び起きた。うるさいほど鳴る心臓よりも、汗でじっとりと濡れた額よりも、夢で見た最後の光景が何よりも不快だった。不快で、そして、耐え難い恐怖だった。それは、マネキンのように目を見開いた女が川を流れていく、そんな光景だった。あなたは女を、笑って見送っている。頬に涙を伝わせながら。


「愛していたのに」


 こぼれでた言葉は誰の台詞だったのか。あなたにはまだわからない。あなたが言った台詞かもしれないし、台詞かもしれない。けれどあなたは大事な記憶を思い出した。愛した恋人を殺した、その事実を。忘れていたのはこの記憶だった。

「先生」に告白しなければ。震えながら決意した、十九日めの夜だった。

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