5 他者の話
あなたはまた彼と顔を合わせている。彼はあなたの部屋に来ることもあれば、あなたが彼の部屋へ行くこともある。
彼の部屋へは長い通路を渡る必要があるけれど、そこは壁も床も天井さえ真っ白な空間であなたは何かしらの情報も得られない。汚れのない白色を眩しい、と思いながらあなたは迎えに来た彼の後をぼんやり歩く。視覚情報の少なさはこの頃のあなたには非常に心地よく、すっきりとした気分でいられることはありがたかった。何に、ありがたいのかはわからない。そこまではまだ思考が追いついていなかった。
毎日面会する彼の名前は聞いたような気もするがあまり覚えていない。どのみち彼以外の人間と顔を合わせる機会はこれまでなかったので、他者と判別する必要はなかった。あなた以外の誰か、はすなわち彼なのだから。
彼との面会時間は短い。せいぜい十五分くらい。彼はいつも変わらず、白衣を着て、眼鏡をかけて、頭はもじゃもじゃ。小脇に抱えるファイルは日によってクリップボードだったり、本だったりする。そして必ずあなたの目をまっすぐ見て話す。それが印象的だった。
「ボーッとして大丈夫?」
あんまりまじまじと見詰めていたのか彼がさらにあなたの瞳を覗きこんできた。イエスは頷く。あなたはそれを思い出してこっくり頷く。ついでに一言、「寝癖、ひど」と付け足した。
「ええっ! 僕の!? ああーソファで寝落ちたからだ~!」
文字通り頭を抱える彼を見ながらふとあなたは自分の後頭部をさわる。何もなかった。髪しかなかった。なぜ急にさわりたくなったのだろう。答えは、わからなかった。
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