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2020年10月29日 22:38
横浜築城のネックは、水源ですね。当時は吉田新田もまだ出来てないので、大岡川の河口は今の蒔田の辺りですから、本牧で水源になりそうな場所がありません。横浜市が明治に態々50km以上も離れた道志川から日本初の近代水道を建設したのには理由があるのです。
作者からの返信
感想どうもです。ただ、勘違いされているようですので、説明を。本牧山というか、今の山手町周辺は、実は非常に水質の良い井戸、湧水が無数に在ります。城を造っても水だけは困らなかったと見ています。石川町や、元町の昔からある民家には、大抵井戸があって今も水を湛えています。元町には水を売っていた、施設である水屋敷跡の遺跡が残っていて、今でも水が溢れ出ています。かつて横浜の水は赤道を越えても腐らないと称えられたその水が、何にも使われることなく、水路を流されています。横浜の水道の給水先は、関内関外地区が主で、外国人別荘地の多い山手地区は、良質な井戸があったため当初配水されませんでした。水屋敷から水を買いに行くのは、さぞ不便であったでしょう。ただ横浜の海岸に近い他の地区では、井戸を掘ってもフミン質の多い真っ黒な水が出るところがほとんどですね。メタンガス混じりで汲み上げると泡立つ場合もあり、飲めそうもありません。
横浜築城のネックは、水源ですね。当時は吉田新田もまだ出来てないので、大岡川の河口は今の蒔田の辺りですから、本牧で水源になりそうな場所がありません。横浜市が明治に態々50km以上も離れた道志川から日本初の近代水道を建設したのには理由があるのです。
作者からの返信
感想どうもです。ただ、勘違いされているようですので、説明を。
本牧山というか、今の山手町周辺は、実は非常に水質の良い井戸、湧水が無数に在ります。城を造っても水だけは困らなかったと見ています。石川町や、元町の昔からある民家には、大抵井戸があって今も水を湛えています。元町には水を売っていた、施設である水屋敷跡の遺跡が残っていて、今でも水が溢れ出ています。かつて横浜の水は赤道を越えても腐らないと称えられたその水が、何にも使われることなく、水路を流されています。
横浜の水道の給水先は、関内関外地区が主で、外国人別荘地の多い山手地区は、良質な井戸があったため当初配水されませんでした。水屋敷から水を買いに行くのは、さぞ不便であったでしょう。
ただ横浜の海岸に近い他の地区では、井戸を掘ってもフミン質の多い真っ黒な水が出るところがほとんどですね。メタンガス混じりで汲み上げると泡立つ場合もあり、飲めそうもありません。