番外編一話 よどみに浮ぶうたかたは
あの有名な方丈記の一節「~よどみに浮ぶうたかたは、~」の『うたかた』ってなんだか分かりますか。
弟が問うてきた。
水面に浮かぶ泡のことでしょう。そう答えると、上の世間ではそうでしょうな。と、返ってきた。
妙に斜に構えたところがあるこの弟は、私を困らせるのが好きなようで、同じ屋敷に暮らしながら偶にしか会わないというのに、家族らしい会話がまるでないのである。
方丈記といえば、源平の争乱期の年代で、作者は京の都に住んでいたはずなのに、政治的な記述が薄い書物であった。
では、下の世間では何なのかと弟に問い返すと、毎朝、樋殿に流しているではありませんかと言う。
思わずかっとなった。なんと下品な。このっ。ぽかりと、弟の頭を叩く。
これで口を閉じていれば、弟聡明丸は右京兆家の貴公子で通るのだから。
私は拳で弟の頭を殴る。弟は痛い痛いと頭を抱えて逃げる。私は身の丈が伸びすぎて困っているがこのような時は便利に思う。まだ、弟よりも一寸は高いのだ。弟は武家の棟梁を補佐する役目なのに、こんなときは童のように大げさに騒ぎ立て逃げる。得意の薙刀で相手をさせても良いが、このところ妙に避けるのが上手くなりつまらなくなった。
因みに樋殿とは、水を引き込み汚物を下流へ流す構造の便所のことを言う。この屋敷にも桂川の水を引き込み流している。汚物は、水路に住む魚が食べてしまう。都に住まう貧民はそんな魚も食べるようだが、私は絶対に嫌だ。
食通で通っていた父は、鯉は遠方の瀬田川や木津川から生きたまま取り寄せ、しかも井戸水で一日おいてから調理させていた。その父も大乱の最中に身罷り、弟が齢八つで当主となった。そろそろ元服させようかという声も聞こえてきたが、私にはまだまだ子供に見える。それでいながら、大人顔負けの知識と機転で右京兆家の舵取りをしているのは確かなことだ。亡き父は弟を聖徳太子の生まれ変わりだと言ったというが、故無きことではないのだ。
戦乱の時代、私はこの上ない豊かな家に生まれた。家は細川京兆家、父の名は細川勝元。室町幕府の、重臣であり、管領職を歴任する家系であった。親族も含めると丹波、摂津、阿波、讃岐、土佐、伊予、備中の守護を兼ね、広大な屋敷には、武士であれ、公家であれ、訪問客がひきもきらずであった。それも応仁の年に京の町で大乱が始まり客は武家ばかりになってしまったが。
そんな家の姫である。幼い頃は蝶よ花よと可愛がられたものである。しかし、長じるに至ってそんな評価は覆っている。私は『二目とは見られぬ醜女』なのだ。幸いというか何というか、私にはこの戦乱の世とは別の記憶があった。その記憶の中では、単にそこらの男よりも遥かに私の身長が高いというだけで、今のこの顔の造作は決して醜いものではなかったのだという事実に慰められはしたが、父の地位がいくら頭抜けていても目立った家との婚約の申し込みがないのも事実であった。
私の婚約を決めぬまま父が身罷ったが、弟を後見した叔父も弟も私を無理に嫁がせようとはしなかった。大乱で焼失した龍安寺(父が創建した寺)の再建がなれば、そこに尼僧として押し込まれるのではないかと、使用人がひそひそ話しているのを聞いてさもありなんと得心した。このような時代に生まれたからには、平成の世のような恋物語など望むべくもないが、それでも女の身として生まれたからには我が子を抱いてみたいという思いもあった。
私が前世と言っていいのか後世と言っていいのかよくわからないが、記憶を思い出したのは、屋敷の広間で、法師が平家物語を吟じている最中であった。べんべべんとバチを叩きつけるように琵琶をかき鳴らす、その音に我知らず呆けてしまっていた。気が付くと寝床で、母が額の汗を拭ってくれていた。聞けば高熱を出して三日程寝込んだという。その時には、私には前世の記憶がまざまざと甦っていたのである。
記憶の最後には、バンドの練習にスタジオに着くのが早過ぎて、一人でいるときに地震に遭遇したというものだった。調整室の中で天井近くまで積みあがったなんだか判らない機械が倒れてきたことを覚えている。多分機材が頭に当たったか圧し潰されでもしたのだろう。私は、リードギターでボーカル、バンドは女性だけの4人のバンドで皆仲が良く、インディーズバンドの中でも若い女性を中心にカルト的人気があった。
恋人はいないというか、いたことがなかった。幼い頃から群を抜いて背が高く、大抵の男子よりも大きかったためか、近寄ってくる男子はいなかった。小田原城よりも背が高いなど揶揄されたものだ。身長が有利な球技には良く誘われたが、どれもしっくりこなかった。ある時誘われたカラオケで大きな声を出す気持ちよさにはまり、バンドを結成するまではあっという間だった。子供のころからピアノを習ってはいたが、趣味の域を出るものではなかったのに、ギターについては天分の才というものが私にはあったらしい。練習すればするほど上手くなる。上手くなるから練習が楽しい。学業などそっちのけで音楽活動に邁進した。そして、その絶頂期で突然人生の終わりを迎えたのだ。
記憶にはあるが、その記憶には感情は伴っていない。ああ、そうなのか、と思うだけだ。親に無理を言って琵琶を買ってもらい、公家の上手と言われる人に習った。すぐに上達したが、武家の女では発表する場などない。朝廷ですら雅楽を演奏する機会がほとんどなくなっていると聞く。私は、琵琶をギターのように改造して、記憶にある歌を唄った。
竿にフラットをつけ、弦を増やそうと試みた。弦をガットやスチールにしたかった。寺に入ったらギターを作ってやる。そう決心した。
京の大乱が終息して何年たったろうか、琵琶を奏でながら唄っている自分がいた。やることなすこと上手くいかない。徒労に次ぐ徒労。
暗く沈んだ部屋の中で悩んでいると
麻里母様が前に立って嬉しいことを囁いた
あなたはあなたのままでいなさい
・・・・・・・
ガラッと板戸が開いて、弟が乱入した。
なんとひどい唄だ。韻も踏んでおらず、発声もなっていない。
私はむっとした。この曲は人類の至宝、超名曲なのだぞ。発声や韻などはどんな芸事でも軽くこなせるお前だから言えること。
といっても姉上が唄うなら聞けなくもないですね。
そんなことを言うから憎み切れないのだが。
姉上はもう屋敷には置いておけない。だから嫁に出すことにしました、などと言う。
いつ言われるのか、戦々恐々としていた言葉。でも少し予想と違う。寺に入れるのではなく、嫁? いったい誰の?
足利の分家ですよ。なんと、この度の六角征伐で大功を挙げましてね。
足利? 分家? 美濃の義材様だろうか? あの方はとかく悪いうわさが絶えない。 或いは、関東公方? もっといやだ。命の補償がない。六角征伐って、何時戦に行っていたというのこの子は!
ああ、姉上。悪い想像をしましたね。たった一人の姉上を、変な家にやるわけがないじゃありませんか。相手は明日呼んであります。存分に
聞けば、堀越公方足利政知様の嫡子茶々丸様、今は元服なさって政綱とおっしゃるらしい。歳は何と私の半分だ。弟は取り敢えず叩いておこう。
翌日、広間の板戸の隙間から、女房たちに混じって中をのぞく私があった。
一目見て思った。ショタだ。年齢に較べればかなり大きい身体。しかし、童顔。剃り上げたばかりの月代が初々しい。鋭い眼差し、優雅な所作。私は一目で恋に落ちた。いや、恋なんてものじゃない、嵌ったといえば良いのだろうか? 弟にも幼少期の頃の弟のように接してしまった。浮わついている。でも、自分でもどうしようもなかった。
私は生涯を共にする男に、二回目の人生でやっと出会えたのだ。弟はたまには頭を撫でてあげよう。
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