第六十八話 羽ばたく音色
歌が聞こえる。何百人もの大合唱だ。あれは、東勝寺跡経詠堂か。後続の者たちに鎌倉府に向かうように言いつけて、左京と共に其方へ向かう。
気になって立ち寄ってみた、経詠堂の門から溢れんばかりの人である。それもほとんどが女性だ。
強引に入っていくのはまずそうだ。裏に回ると、見覚えのある小姓が立っていた。お松につけた護衛の一人だ。
「あ、相模守様」
慌てて跪こうとしたのを留めて、中に入る。
「ああ、良い。松がいるのか」
「はっ」
舞台の袖で見ると、舞台の中央にいるのは、なんとお勝である。
その横に、松。あとは、本相寺開山に合わせて呼んだ、真宗の尼僧達である。
丁度曲が終わったあたりらしく、一頻りざわめきが残っていて、それが収まったところで、勝子が抱えていた三味線のような楽器をつま弾き始める。
部隊の両端で、黒子が舞台に向けた歌詞を書いた紙をめくる用意をしている。
「次は『形のない贈り物』です。 〽……」
朝夕の経詠みで鍛えた勝子の声は良く通る。松が、尼僧達が合唱に加わっていく。
そして客席(全部立席だが)の女性たちも、歌声はそのまま天へと昇っていくように思えた。
「最後の唄です。 〽……」
歌詞は、鎌倉の武家の娘が、海辺の小さな領主の許へ嫁ぐ道中とその時感じた期待と不安を現わしたものだ。確実に松の手によるものだろう。
「まるでフォークコンサートだな」
みれば、太鼓や
「あっ、旦那様!」
気が付くと曲は既に終わっていて、俺を見つけた勝子の声がひときわ大きく響いた。勝子が駆けてくる。
「え、あなた様」
松が抱えていた琵琶をその場において小走りでやってくる。
二人と手をつないで互いの無事を喜び合う。
「これは、これは。仲良きことは美しことでおじゃりますなぁ」
おじゃる?
背後から耳慣れない言葉遣いの声が割り込んできた。見ると、立烏帽子姿の男が会釈してきた。
「鎌倉殿御世子足利相模守様とお見受けいたしまする。この度鎌倉の公方様から笛の教授との希望に応え、九条太閤殿下の命により下向罷り越しましておじゃる。拙は従四位上左衛門佐五辻富仲と申す者にておじゃる」
ああ、親父殿のひちりきの教授か。思い出したぞ。義母を通じて九条家に紹介して貰ったんだ。ってことは九条流の神楽を家業とする家の一つかな。立烏帽子をつけて盛装なんだろうが、所々継ぎが当たっていたりして、極貧の公家って感じだな。相当痩せているし。
「あ、一月ほど前に、この五辻さんがいらしたのだけど、凄いのよ。本相寺の尼さんたちに笛や琵琶の指使いや、息使いを指導してくれてみんなみるみる上達して」
と、舞台の上の尼僧たちへ腕を振って見せる。
「演奏会ができるようになったのよ」
「ほお、それは凄い」
「それにこの人、楽器作りの天才じゃないかしら」
何? 楽器?
「あ、手すさびで木魚などを作る手伝い仕事をしておりましてな」
「それが掘り出される前からだいたいの音色が分かるそうよ」
「木肌のち密さから、乾燥した時の音色、漆塗りでの音色の調整などもいたしますよ」
「それで今、木琴を作ってもらっているの」
おいおい、親父のひちりきはいいのかい?
「公方様は、暇ができるとぴーぷーとリードを鳴らしているわよ」
「リード?」
「ひちりきの
「オーボエみたいなものよ」
「公方様には、竹を選んでいただいているところでおじゃる」
「竹を?」
「見目の良い竹を、燻して乾燥させる前にじっくり見定めておじゃる」
「へーそうなんだ。ところでさ、今日唄っていた歌だけど」
はっと気が付いた風で、松が両腕で×をつくる。俺は、気が付かぬ風で、五辻氏に問いかけた。
「雅楽を家業とする公家から見てどう思われますか?」
「斬新の一語でおじゃる」
「そうですか」
「話し言葉での詩。覚えやすい旋律。地下人が覚えやすいということでは、雅楽も、猿楽も、経文にも勝るのではと心得まする。鎌倉だからこそとも、おじゃりますなあ」
そうか。庶民はともかく、公家社会は受け入れないことかな。でも……
「俺はこれから御所へ行く。主だった者共も帰ってきているだろう。一緒に帰るかい?」
「はい」
「はい、旦那様」
「勝子」
「はい」
「奇麗な声だった」
「鎌倉に入って聞こえた歌声の中でも一際きれいだった」
勝子の顔が夕日に真っ赤に染まった。
「ありがとうございます」
「あれ、風魔の子達は?」
「ああ、ツツ丸達はカエデ糖を採りに山に還った」
「カエデ糖?」
「なんでも、イタヤカエデの新芽を切って出る樹液を煮詰めるそうだ」
「ああ、メープルシロップね」
「山の民には貴重な現金収入だな」
「春の味覚かな?」
「韮山の市に出る前に、色をつけて買っておこう。たまには甘い菓子でも作ってみよう」
「賛成。賛成だよ旦那様」
松がギュッと俺の左手を抱きしめるように掴むと、勝子も真似をした。
「甘い、菓子ですか。楽しみです」
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