第六十七話 火薬はなくても

 土気とけと呼ばれる場所がある。下総から上総にかけて、いくつか存在する。その多くは内陸ではあるが低い土地で、沼や池となっていることが多い。

 下総の大小数十ある沼や池のいくつかには、一年中ぼこぼこと泡が出ている箇所がある。そのためついた地名なのか、がそのものなか。ガスが出なくなって地名だけが残っていたこともあるだろう。


 泡、気体は主にメタンガスである。この可燃性天然ガスは南関東の東京湾から九十九里に掛けて、膨大な量が埋蔵されており、史実の現代では産業的に採取もされている。よく知られるのは、温泉施設などの爆発事故である。沼のあぶくに逆さロートを仕掛け自宅までホースで引いて、煮炊きに使うのはこの地方で良く見られた光景。便利で安価だが事故も多かった。


 中には池や沼がなく、地中からガスが漏れだしている場合もある。そのような場所では火に特に気をつけなければならない。ガスに引火すると爆発したり、何年にも渡って燃え続けたりすることもあるからだ。


 メタンガスは高圧では水に良く溶けるが、低圧になると難溶性になる。地下の高圧下で地下水に溶けていたメタンガスが、地上に出てきたときに遊離して泡となって水面に現れるのだ。この地域では地下深くから汲み上げた水は、地上では勢いよく発泡し、特に内海周辺の地下水はフミン質が多く黒茶色の水なので、その様子は栓を開けたてのコーラのように見える。


 下総のあちこちで天然ガスは、沼や池の底などに噴出しており、風魔に命じてありったけの獣の膀胱にガスを集めさせた。竹で空気ポンプを作り、猪や鹿の膀胱がパンパンに膨らむまで、気体を捕集し、ため込んだものを幾つも作り、簡素な樽に詰め込んだ。短期決戦に必要な火力が得られ、硝石の消費を抑えられるかの試金石である。


 樽は良く燃える松の木を薄く削いだもので作らせた。耐久性を考える必要がないので、部材は極力薄い。抱えると簡単にたわむほどである。勿論かなり軽く、荷車に山と積ませても、輜重の足枷にはならなかった。中身が何なのか、不思議がられはしたが。


 幾つかの集団に分けて競争させたので、風魔の若衆は競ってガスの捕集を励んだのだ。驚いたことに、トップの成績を上げたのはツツ丸のグループだった。褒美に何が良いか聞くと武士にしてくれという。俺は、その求めに応じ、ツツ丸は正式に俺の馬廻りとなった。


 比企本ひきもと小太郎碧綱せきつな。聞けばツツ丸自身が比企一族の正当な末裔だという。比企が表に出た以上、北条を名乗る者が現れれば、すなわち比企の仇だということになる。今後鎌倉府では後北条という一族は現れないだろう。比企そのままの姓ではないのは、土地の所有権を蒸し返さない意志表示らしい。綱は俺の偏諱を与えた。碧は鶺鴒せきれいのせきだそうだ。ま、この戦が終わってからだな。


佐倉城は、既に籠城の構えであった。しかし、つい先日千葉自胤との戦闘に勝利したばかりであり、兵糧も兵も満足に集まっていないようである。臼井景胤が開城交渉に出向いている間に、土気の樽の準備をさせる。北の馬場に面した虎口に仕掛けられるように、樽を乗せた舟を集めた。南も同様だが、矢の届かぬ場所を選んで停泊させる。


 臼井仁左衛門が戻って来た。けんもほろろに追い返されたらしい。裏切り者だ何だと、相当に罵声を浴びたらしい。やはり、古河を頼りにしているのだろう。あとは、宇都宮、那須、小山、江戸かな。援軍が来たら退却しなければならないか。だから、急がねばならない。暗くなったら始めよう。俺は、兵達にたっぷり食って体を休めるよう命を出した。


 日が沈み月が昇ると、口上もなにもなく、攻城戦が始まった。初戦は矢戦だ。土気の樽を仕掛ける援護に、雨霰と矢を浴びせる。守る方が30メートルは上なので、攻城側は不利だが、数でカバーさせる。それでも、城門の楼前に何か仕掛けようとしているのは分かるのだろう、工兵が何人も矢を受けて転げ落ちている。


 いい加減じれてきたころ、それが起こった。ボウゥゥンという大きな音共に、城の向こうに見たことがないほど大きな火柱が立った。200メートルは離れているのに、かなりの熱気を感じた。一時何の音も聞こえないように感じたが、炎に目をやられた視界が戻るにつれ、音も戻って来た。歓声、怒声、悲鳴、馬の嘶き、鬨の声。

北側の搦手に先を越されたようだ。


 俺の視界に見える佐倉城の南門でも、止まっていた時が動き出すように、攻城軍の動きが早くなり、守城側の動きが緩慢になった。城門の前で作業していた十数人が一斉に退転した。坂を転がる様に降り、距離を取った。そこへ、火矢が射掛けられる。城門前に並べ積み上げられた樽にである。


 しばらくは、樽に刺さった火矢が燃えているだけに見えた。城門の上の楼の窓から身を乗り出して見ている敵兵が何やら叫んでいる。次の瞬間、ボワンと火が一瞬で燃え広がった。体の芯に響くような重低音。そして爆風と熱風。土塁と丈の高さを合わせて築かれた楼は全てが火に包まれ焼け落ちるのを待つまで突入はできそうもない。最前まで楼の窓から身を乗り出して何やら叫んでいた兵は影も形もない。


「虎口は後だ、土塁を超えて逃げるものを捕らえよ」

 太田家の若大将、源六郎資康が指揮する声が聞こえる。籠っているのは五百人程。どんなに多くとも千人を超えることはないという話であった。城を攻めるには十分な兵力ではあるが、落ち延びようとする武将まで逃さずにおけるかは微妙なところだ。


 夜半には冬でもあり、相当に冷える。動いていれば別だろうが、戦場から離れたところで戦況を見ているだけというのは、辛いものだ。俺は、ズルをして、袢纏を羽織っていた。鎌倉近在で始められた養蚕の成果を頂いて来たのだ。小さかったり、形がいびつな繭玉を安く買い取り、これをほぐした真綿を使って作った袢纏だ。松明を持った兵が移動しているのが見える。


 体を温めるには火に当たるのが良いのだが、見通しの良いところに立って火に当たるなど、弓で狙ってくださいと言っているようなものだ。狙撃できるような場所に敵が入り込むことなど無いと信じたいところだが。と、音を立てて楼が崩れ落ちた。あの火の勢いではまだ、虎口からの突入は無理だろうな。西側の攻め手から使い番が戦況を知らせてきたようだ。


 セッテイ山に部隊が侵入に成功し城門を開けることに成功したようだ。あっちは、上総の武田一族だったか。おや、正面の崩れたまだ燃えている楼の残骸を丸太で突き崩して、中に侵入しているぞ。戦闘の帰趨はもう疑う余地はないが、岩橋輔胤、孝胤親子を逃がさないことが肝心だな。上手くいってくれよ。


 俺が寒さに震えながら、手に汗握り戦況を見守る中、岩橋親子が捕縛された知らせが入ったのは、もう明け方だった。

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