第五十四話 北野天満宮
帰洛すると簡単に戦勝報告を行い、細川邸に宿をとった。
三好、波多野両将も一緒である。
潤丸が出てくるかと思ったらいない。小川第に母と共に出ているとのこと。癒されたかったのに。
それはそうと、政元に報告した折面白い話が聞けた。
足利義視義材の親子は何を考えたか、愛知川の美濃側陣中から抜け出し、山道を伊勢に抜けて逃げたのだという。
唖然とした。
筑前も玄蕃もいたずらが成功したような顔で俺を見ている。
「何があった? ……いやさ、相模守何をやったのですかな?」
敏い政元は俺が何かしたのだと分かったらしい。
「妙純和尚に手紙を書いたのですよ。親子の鳩を引き渡せば追撃しないと」
俺がため息を吐くように言うと、政元は目を見張ると、次の瞬間爆発するように笑い声をあげた。
「すると鳩どもは、関東総代殿を恐れて伊勢に逃げたということか!」
政元は笑い転げた。膝を何度も叩き、涙が出るほど笑った。
「玄蕃よ」
「はっ」
「評定には儂に付いてまいれ。近江での戦は幕臣なら誰もが詳しく聞きたがるはず。戦場帰りにすまぬな」
「なんのなんの。そう、ならば。歳も下の相模守様に畏れをなして逃げるとは、それでも武家の棟梁に連なる血筋と言えるのか。とでも話しましょう」
然りと口元にうっすらと笑みを浮かべながら話す玄蕃頭を見ながら、こうして謀略が作られていくのだなと思った。そのとき、
「邪魔をする」
背の高い若い男が部屋に入って来た。
すっと三好之長が頭を下げた。
「御屋形様、ご無沙汰しております。この後に報告に上がるつもりでおりました」
「ん、筑前か。無事の帰陣祝着至極だな」
それは、細川下屋形家の当主、兵部少輔義春である。阿波、讃岐の守護で之長の主人である。
細川京兆家は上屋形、阿波細川家を下屋形と呼ばれ、下屋形家は細川一族内では京兆家に継ぐ家格であった。義春は細川野州家(備中守護職、下野守の官職を世襲する細川一族の名門)に養子になっていたが、下屋形家を継いでいた兄の兵部少輔政之が病死したため、(野州家で之勝と名乗っていた)名を変えて下屋形家を継いだばかりである。家を継いだばかりでもあり、名と顔を売るために忙しくしているのである。
「おお、こちらに
義春はどっかと座ると、にこやかに俺に笑いかけた。
「北野天満宮への誘いでござる。此度の戦勝、関白様も、大御所様も、大変感じ入られて連歌の会へと誘うように仰せなのだ。もちろん大樹様も臨席なさる」
「は? 連歌会でござりますか?」
俺は、驚愕のあまり二の句が継げなかった。至って散文的な俺の頭では、雅な文学的思考など皆無である。呆然と周りを見回すと、政元が苦笑いをしている。
そういえば、将軍義尚は史実ではその死に際して和歌の才能を惜しまれていたし、関白一条冬良は、古今集の講義など文化活動を広く行っていたし、義春の父細川
「は、大御所様や関白殿下に誘われ、お断わりをするわけにはまいりませぬな」
軽く礼をすると、義春が喜びの声を上げた。
「これは重畳、先の合戦の事、関白殿は詳しく聞きたいと仰せでの」
あれ? 連歌の会だよね。
そんなわけで、北野天満宮の連歌会に出席せざるを得なくなってしまった。
北野天満宮は、細川京兆屋敷のすぐそばにある。細川義春の父
朝早くからまだ寒い中を天満宮に出かけ、名だたる面々に紹介されることになった。関白内大臣一条
さて、俺は知らなかった、というよりまったく気にしていなかったのだが、この時の北野天満宮には連歌会所があり、その宗匠が
猪苗代兼載は、奥州会津の蘆名家重臣猪苗代城主の家に生まれたが、早い時期に出家、足利学校を経て太田道真(道灌の父)の食客となり、宗祇が応仁の乱を避け関東に滞在したときに催した、太田道灌などとともに河越千句と呼ばれる連歌会に十九の時に参加したが、それが連歌界でその名を認められた嚆矢となった。
大乱終結後、宗祇に連れられ京に入った兼載は、わずか十年で次期北野連歌会所奉行であろうと噂されるまでになっていた。この兼載、真偽はともかくとして、史実では野口英世博士の先祖ということになっている。猪苗代家は蘆名家の分家であるが、蘆名家は三浦家の分家となる佐原氏の裔である。俺は、欲しかった奥州の伝手が見つかったかもしれない、そう思った。
列席なった面々を前に宗祇が話し始めた。
「挨拶はこれくらいにして、早速始めたいと思います。今日の題目は、『近江』でよろしいですな。まずは発句ですが、関白様」
「そうよの。今朝は面白き客人もおるので、お願いしたいところでおじゃるが」
そう言って、俺を見た。
俺? 俺なの? 心中で絶叫しながら、恐る恐る周りを見ると、皆が皆俺を見つめている。断ろうものなら、末代までの恥? ってか?
深々と一礼する。真っ白な世界に逝ってしまいそう。
「某でございますか。他に適任の方がいらっしゃるかとは思いまするが、僭越ながら読ませていただきまする。ただ、かつて師事しておりました万里集九殿も、某に詩歌の才能はないと呆れておりました故、期待なさらずにお願いいたします」
押し殺した笑い声が聞こえる。俺は、足元の火鉢を引き寄せ、生暖かいそれを撫でた。春の京都の歌会だ。畳が敷き詰められてはいるが、灯り取りに高窓は開かれ、庭の景色を見るよう板戸は其処此処が開け放たれている。出席者一人一人に赤々と炭に火が点けられた小型の火鉢が用意されていた。
必死に、声が裏返らないよう話す。しばらく考え、詠んだのが、
「雪解けを 集めて深し 愛知川」
うわあ~、やっちった。盗作と言われても反論できねえ。恥ずかし~。心の中で悶えていると周りのひそひそ話が聞こえて来る。でも江戸時代の俳句だからいいか連歌の発句が起源だし。
ううむ、武家の歌よの、とか、韻を踏んでいるのか、とか、万里集九殿とは、とか、ほれ古今伝授のとか、聞こえてくる。親父だったら軽々とこなせたイベントだなあ。なんか、世界がぐるぐる回ってるような。いかん、いかん。
「・・・・揆一郎殿。揆一郎殿」
「は、はい」
呼びかけていたのは、兼載であった。
「対陣し敵を目前にしながら、雪解け水のため川が深くなり、渡るに渡れぬ戦えぬ気持ちを詠んでおいでなのですね」
「
そう言って、ニコッと笑った。
この人、いい人だ。
友達になりたい。そう思った
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