第五十三話 一揆の沙汰も銭次第

 近江から帰洛するにあたっては、どうしても山科を経由せざるを得ない。門主の蓮如は俺の義父であるし、三好、波多野両名にとっては主の同盟相手である。

 しかし、朝倉小太郎にとっては、真宗吉崎御坊は仇である。この期に及んで我々と同道しないのは、今後の朝倉家にとって不利この上ないことになるだろう。よくよく言い含めて、同宿することになった。


「よく見えられた、婿殿。元気な姿を見ることができ嬉しいですぞ」

 蓮如は俺たちの戦勝を手放しで喜んでくれた。

「はは、相手が戦下手で幸運でした」

「何を戯言を、美濃の斎藤妙純といえば、精強な美濃兵を束ねる小守護ではありませぬか」


「はは、細川の両翼と言われる、こちらの御二方のおかげです」

 俺の後ろに立っていた、二人を紹介する。

「細川家の管領代波多野玄蕃頭はたのげんばのかみと阿波細川家の三好筑前守です。お二方とも名にし負う戦上手にて」


「これはこれは、管領御家中の方でございますか。わが婿を盛り立てていただいたこと感謝いたしますぞ」

「はは、関東御世子相模守様は今の世の呉子とも孫子ともいえるお方。その言葉には日々感じ入るところです。犬馬の労を厭いませぬぞ」

「三好殿そこまで褒められると身の置き所がありません。勘弁してください」


「ははは、なかなか飽きない御仁です」

「波多野殿まで・・・」

「して、こちらは?」

「家中が大変な折にもかかわらず、加勢に駆けつけてくださった、朝倉家の方です」


「ほう」

「敦賀郡司を務めております、朝倉遠江守景冬と申します。こちらは、朝倉家を相続する小太郎様にございます。関東殿の帰洛に合わせ公方様に挨拶に伺う道中に宿をお願いいたしたく」

「はは、婿殿の御味方ならどうぞ、ゆるりとお過ごしくだされ」


 ここに荏呈がいないのは、真宗が嫌いなのかもしれないし、俺の意向を将軍家に伝えるのを急いだのかもしれない。馬を乗り継いで、帰洛を急ぐためと同道しなかったのだ。備中伊勢家も政所執事の伊勢家の都合でいいように使われているなと思う。あの兄弟にはたしかもう一人、弥二郎という男子がいたはずだが、史実では新九郎に伴って関東で扇谷家方小田原城の守将として山内上杉家との戦いに参加しているはずである。この世ではどこにいるのだろう。年齢は二十代半ば、やはり新九郎の許にいるのだろうか。それとも?


 山科本願寺は四ノ宮川と山科川によって形成された扇状地に建立された巨大寺院である。応仁の乱終結直後から造営され六年ほどかけて完成したといわれる。後の世には城郭としても名高い寺院だが、俺が投宿した頃はまだ、堀らしい堀もなかった。蓮如の隠居所としての南殿が落成前であり、内寺内の屋敷に泊まらせてもらった。


 山科一帯は、盆地であるがほぼ全帯が砂礫地であり、水田には向かないため開発されていなかった。広大な平坦な荒れ地であったのだ。実際寺院の周辺で田を作ってみても、水が溜まらず水田は断念したらしい。何の作物が良いかと尋ねられたので、葡萄と小麦を例示したら、驚かれた。天平年間に行基上人が甲斐で葡萄を植えたという伝説があると話すと、探してみたいと蓮如が言っていた。本邦初のワインは山科産となるかもしれない。


 朝早く起きて日課となっている、木の枝(桜の枯れ枝だが、ほぼ真っすぐなのと重さが丁度良かったので使っている)を振っていると、小太郎がいつの間にか隣で刀を振っていた。

「小太郎殿、それは戦場に持っていく刀かね」

「そうですが、何か?」


「素振りに使うと目釘が痛む。戦場に持っていく刀なら素振りはせぬ方が良い」

「そうなのですか?」

「うむ。俺も傅役から聞いた。自分で手入れをできぬうちは刀を素振りに使うなとな」

「分かりました」


 小太郎は、刀を鞘に納めると、膝をついた。

「相模守様。お訊ねしたいことがございます」

「蓮如殿のことか?」

「・・・」

「仇でもあるかのように睨んでいたからな。も少し振ってからで良いか?」

「はい」


 梅の花咲く小さな庭に設えられた濡れ縁に掛けて、ツツ丸に用意させた盥を使う。顔を洗って手拭いを使い、濡らしては絞って汗を拭く。

「蓮如殿を、主君の仇と思っておるのか?」

「はい。英林様|(朝倉孝景のこと、二代前の朝倉家当主、朝倉家越前守護初代)にあれほど恩を受けておきながらと、忘恩の輩に違いないと思っておりました」


「うむ。京、近江を追われた蓮如殿は越前で、英林殿に救われた。吉崎に道場を建立する援助を受けたばかりか、越前国内の慰撫にという仕事を与え働かせた。英林殿はあの頃の一二を争う英傑だ。配下にも手練れがそろっていた。だが計数に明るいものはいなかったのだろう。そこで蓮如殿に目を付けた。英林殿は少ない配下のため任せ手がなかった守護代職を、蓮如殿に任せていたともいえる。だが、それは蓮如殿にとっても都合が良い話だった。百姓に教えを広げるのにこれほど都合が良い仕事があるか。だから、朝倉家の言うことを聞いた」


「利用し合う間柄だったと」

 俺は大きく頷いた。

「英林殿は、応仁文明の乱では斎藤妙椿僧都と共に西軍の主力であった。だが、大乱の終盤では東軍に鞍替えした。越前守護の座を条件としてな」


「はい。ですが、・・・」

「まあ、待て。あの時は乱を終わらせることが大事だった。謗るものもいようが俺は英断だったと思っている。まあ、そんなわけで、守護にはなったが、国内にそれまで勘定方を務めていた者共は須く敵になったわけだ。これでは、国の経営は立ち行かぬ。どの村はどれだけ年貢を納められるのか、どの商家はどれだけ銭を納めてくれるのか」


「坊主なら勘定ができると?」

「そうだ。洛中の土倉(金貸し)はだいたいが五山の僧だ。蓮如とその配下は村々を、町を、湊を廻る坊主達は、布教しながら大凡おおよその検地もこなしていたわけさ」

「お互いに足りないところを補っていたわけですか」

「そして、英林様が亡くなって蓮如殿は越前を去ってしまった。その頃になると、朝倉家にも計数に明るいものが育っていた。するとどうなる」

「坊主から仕事を取り上げる」


 うむ。俺は頷いた。

「だが、百姓は今まで坊主に年貢を納めて上手くいっていた。今年から、武家に納めろと言われても勝手が違う。坊主にしても、収入が減り、村々への窓口が閉ざされるのは痛い」

「坊主が仕事でもないのに村に出かけたり。年貢を運ぶわけでもないのに百姓が寺へ出かけたり」


「というわけで、それを嫌がった守護殿は吉崎御坊へ命令するわけだ。『一揆は許さぬ』とな」

「ということは、先だっての一揆騒動は、英林様が蓮如殿を招いたことが発端」

「そう、富樫殿が真宗と懇意になっていなければまた変わったかもしれぬがな」

 というより、そこが決定的だったな。と心の中で俺は訂正した。


「まあ、昔のことより、これからのことの方がずっと大事だがな」

「そうですね」

 小太郎の声は気が抜けたような小さな声だった。

「さ、そろそろ、朝餉の刻限だ」



 一同そろっての朝食の最中に、蓮如に話しかけられた。

「園城寺(三井寺)の長吏永賢殿から手紙が来ましたぞ」

「ほう、何と言ってきましたか」

「日吉神社の幹事となることを承知したと。雙厳院せきげんいんという末寺が日吉神社の目と鼻の先にあるとのことで、人を増やして対応するとのことじゃ」


 蓮如も相当悪い顔をしていた。延暦寺にはなかなかに思うところがあるのだろう。

「強訴しようとしても、担ぐ神輿がなくなるわけですね」

「日吉神社の川上に修行場でも作る気はないかとまで、言ってきおった」

「天台座主尊応様は元の関白二条持基様の御子でしたか。准三宮にとも噂されておるものの、藤氏長者にまでなった嫡男政嗣殿が亡くなり御子もまだ幼い、力のある家とは言えませぬな。神輿を担いで京洛に押し入ろうにも担ぐ神輿はもうござらん。いずれは百年振りの僧官補任もと」


 流石は管領代随分と詳しい。

「延暦寺を抑えるのは、今が丁度良い折ということですか」

「うむ。あの座主ならいかに怒ろうと何もできぬ。あとは興福寺が大人しくなれば、強訴坊主どもが宸襟しんきんを悩ますこともなくなろう」

 政元に聞かされていたのか、事情を精通しているらしい、波多野と三好の二人である。


「あとは、京極殿がどれだけ働いてくれるかでしょう」

 延暦寺の荘園群を押領しまくってくれれば、さらに力をそぐことができる。そして、このまま六角が歴史の表舞台からいなくなってくれれば、山科本願寺の焼き討ちもなくなり、石山本願寺の建設も行われないといいのだけどな、俺はそんなことを考えていた。

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