第五十五話 名物茶器の噂
北野天満宮連歌会所では、その日、中食(昼食)が出た。
所謂一汁三菜の精進料理ではあったが、悪くなかった。近江に出兵していた、俺や波多野玄蕃頭、三好筑前は、何かにつけ合戦の模様を訊ねられるので、それに答えるのに忙しく、一品一品がどんな料理か覚えていないが、最後に茶が出たことは覚えている。当然緑茶だったが、煎茶でも抹茶でもなく、挽いた茶葉を煮出したものだった。ひどく苦いものだったが、さっぱりするものでもあった。
「茶の湯の茶とは違いますが、これも良いものですね」
俺は兼載に話しかけた。
「はい。茶の湯は良いものですが、途中の手順を省いて欲しいと思う時もあります」
「そうですねえ。煎茶があれば良いのですが」
「せん茶ですか?」
あ、いかん。煎茶は江戸時代だった。だけど、いまさら、止められないっ。
「茶葉の味や色を出しやすく、蒸したり手で揉んでから乾かしたものをいうそうです。何かの本で読みました」
「ほう、茶葉を蒸すのですか?」
横から口を出したのは、湯川新兵衛である。
「は、はい。たしか、かぶせ《・・・》をせずに育てた茶葉を用いるそうです」
「ほう、ほう。それは興味深い。どの様な書物でしたかな」
「さて、漢籍とは覚えておりますが、書物の名前までは……」
冷汗が、山ほど出るような気がする。だが、茶か。静岡、神奈川は茶どころだったな。挿し木でも増えるはずだし、大森や宇佐美にでも勧めてみるか。
やがて、中食時間は終わり、午後の歌会が始まるのだった。
連歌会は、日が没した後に終わり、湯漬けが振舞われて散会となった。
会所を出ようという時、声を掛けられた。
「お疲れ様じゃ。相模守」
将軍義尚だった。
「万里集九殿の話が出ていたようだが、儂とは兄弟弟子でな」
「兄弟? 歌の、ですか」
「うむ。
詩歌の才能を、公家の重鎮からも絶賛されているこのイケメンは、さらっと美しい音列を生み出すのだ。さもありなんと、俺は頷いた。
「大樹様は多才ですから」
「ふふん。此度の出征の褒美、考えておけよ」
「はい。すでに決めてあります」
「なんじゃ?」
「されば、京都扶持衆」
「む。大きく出たの」
「手の届く五山の東の領地旧に復して御覧に入れます。大樹様の直臣といえども、関東にいれば使えますまい。関東総代の御役目に京都扶持衆の指揮権いただきたく」
「十年じゃ」
十年。ならば、地震は終わっているな。
「有難うございます」
「ようございましたな」
うわ、政元がいつの間にかいるよ。修験道かぶれは伊達じゃないか。
「大樹。播磨の動向ですが」
「うむ。赤入道の倅は?」
「播磨を諦めた由にて」
「赤松め、やりおったか」
「は、五月、遅くても七月には、播磨を明け渡す由にございます」
「父上の仏頂面はその為であったか」
なぜここで大御所様がでてくるんだ?
義尚が俺を振り返ってにたあと笑った。
「山名右衛門督は父上の色よ」
俺がぽかんとした顔を見て政元が後を継いだ。
「衆道の相手でございます」
俺のしかめっ面を見て、公方は笑い声をあげた。
「そうか、従弟殿はまだ知らぬか。あれはあれで良いものだぞ。もっとも、儂はあのような筋骨隆々たる男は好まぬがな」
「そ、ソウデスカ」
「その右衛門督殿ですが、懐の九十九茄子に傷がついたと大変落胆して居ったとか」
九十九茄子! 天下の名品の茶入れで、朝倉宗滴も歴代の所有者の一人だったはず。
「父上からの拝領品だ」
「傷がついたことを手紙ででも知りましたか」
政元は薄ら笑いを受けべながら言う。
「おおかた、そんなところであろ」
「武家は懐には猫を入れるものでは?」
茶化してみた。
「むろん。麾下の侍大将は猫を入れておったでしょうが」
「名品茶入れより、猫の方が役に立つか、あはは」
ひとしきり笑った後、キリと表情を変えると政元に言う。
「室町第に寄る。右京兆よ、供をせい」
「はっ」
もう歩き始めている義尚に足早に並ぶと、政元は俺を振り返った。
「今宵は
「わ、分かりました」
将軍と管領の合わせて二十人近い護衛を引き連れながら、修築を始めている室町第へと向かうのであろう。
「若、細川屋形へ戻られますか」
「うん、潤丸が待っているみたいだ」
「弟御が待っていてくれる。重畳ですな」
左京の言葉に俺は、つい言葉を溢した。
「左京。弟に会いたいか」
「・・・会いたくはございませぬ」
「何故だ?」
「次に会う時は、戦場で敵として会いまみえる。そう思い定めて参りました」
「悟ったようなことを言うな。まだまだこの先の世は誰にも定められてなどいないのだから」
そうだ、俺の行動によって歴史が変わっていく。ドミノ倒しのように、以前の史実で倒れなかったドミノを押したら全く違う方向にドミノが倒れていく。
俺は、俺が、俺だけが知っていた。知っていて変えた。 六角、公方、蓮如、加賀。
地震、そうだ。明応の二回の大地震。
それを乗り切るため。生き残るために、俺だけが知る悲劇を乗り越えるために。
明応四年八月十五日忘れるものか。今は、長享三年。八月に改元があって延徳、延徳四年に改元で明応のはずだが、改元に関しては変更はないな。よし、ならば、・・・
「・・・・・若、政綱様!
ん? はっと気が付くと左京に顔を覗き込まれていた。供のものも心配そう(暗くてよく見えないんだけど)に俺を見ている。
「あ、ああ。猪苗代殿に挨拶をと思っていたのだが、出てこないな」
「兼載殿ですか、会所に住まわれているのでは?」
「宗祇殿の弟子であれば、相国寺とも思ったが・・・」
「兼載殿は品河の心敬僧都に十七の時に師事されたそうです」
「品河か、里見の焼き討ちには・・・」
「心敬大僧都は文明七年に亡くなっておりますよ」
「そうなのか?」
地震が終わった後に、そう、例えば十年後に師と同じ場所に庵を結んではどうか。そんな誘いも良いのではないか。
「左京」
「はい。帰りますか」
「そうしよう」
細川屋敷に入ると、足を洗っている途中で、潤丸が出てきた。
手拭いを持ってきてくれたのだ。
義母と潤丸の滞在している部屋へ行くと、俺に伝えたいことが沢山あるのだと、語ってくれた。
小川第の日野富子のこと。兄、清丸と会ったこと。大御所のこと。近江の戦の戦勝を聞いた時の喜び。
話疲れたか、俺の膝の上で寝てしまった。義母が潤丸を連れて行こうと、抱き上げようとするのを俺は制した。
「じきに関東に帰らねばなりません。そうなれば、潤丸とは次にいつ会えるか分かりません」
「まあ、この子はもう聡明丸ですのよ」
義母は、いつになく優しい顔で呟くように言うと、当の潤丸が慌てて居ずまいを正し、頭を下げた。
「この度は、ご戦勝おめでとうございます」
「あ、ああ、うん。・・・うむ」
義母の険が取れたような優しい顔を、久しく見ていなかった俺は、毒気を抜かれたように呆けていた。
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