第五十ニ話 死亡フラグ

 釣り野伏は釣られた敵が期待したより少なく、釣れた軍は殲滅したものの、成功とはいえなかった。

 そこに、中山道を急追してきた近江軍が現れ、美濃軍の主力は小野川を渡河せずに退却していった。

 尾張の兵も美濃軍が不破の関を通過するときには既にいなくなっていたというから、そろそろ農繁期に差し掛かる時期の長滞陣を嫌ったものと思われる。


 京極六郎殿は上機嫌であった。それはそうだろう、斎藤氏、斯波氏という東国きっての大大名の軍が領国に侵入したのを、自分は一戦もせずに撃退したのだから。京極軍としては、愛知川を挟んで対陣していただけだが、領国を結果的には守り通したことになり、大いに株を上げたことになる。帰洛の途中でもある観音寺城で、幕府軍としての俺、三好筑前、波多野玄播其々が歓待を受けた。


 きぬがさ山という広大な山塊を丸ごと城郭とした観音寺城は膨大な数の廓が存在し、京極軍に加えて幕府軍の兵が足軽までも全て、屋根のある場所で寝泊りでき、さらには酒までが振る舞われた。俺達は観音寺城本丸の広間に居た。

「まずは、重畳」

「関東殿、管領代殿、筑前殿。方々の御陰をもって、美濃、尾張の者どもを打ち払うことができました」

 京極飛騨守高尚が大げさに頭を下げる。


「いやなに、此度の戦は関東様の神算鬼謀によるもの、我らは従っておれば良かっただけに楽なものでござった」

「それは、三好殿、褒めすぎです。これは、お二方の兵の練度が高かったがための戦果でございます。加えて管領代殿と三好殿の采配がなければ、私の案は何の意味もありません。某など、まだまだ若輩者でございます」

「ほうほう、六角征伐に続いて大手柄ですなあ」


「あの、騎馬で敵を釣り出して伏せ兵に挟撃させる、なんと言いましたかな」

「釣り野伏せですか」

「そう、あれは見事でござった」

「いえ、あれは、失敗です。あからさますぎたせいか、思った半分も乗ってきませんでした。押し包んだ後に、後背から一斉に渡河されて攻撃されれば危うかったでしょう。飛騨守殿の急襲がなければ、どう転んだか」


「なに、自国を守る戦でありながら、一戦もせずにというのはいささか外聞が悪うござってな」

 ははは、と笑っては六郎殿は盃をあおる。

「ところで、京極殿。こちらは、朝倉修理亮殿、そして朝倉家次期当主小太郎殿です」

「ほう、越前の。この度は、大変なことでござった」

「はい。若輩者ですが、先代当主の末の弟に当たります。小太郎です。大樹様に守護職継承の許しを得るべく上洛いたす所存」


「朝倉といえば、細川の家中にもおらなんだかな」

「朝倉孫五郎は我が兄にございます」

「そう、その朝倉孫五郎が近江に来たがって我が主も困ってござった。孫五郎を抑えるために玄播殿が出馬することになり申した」

「孫五郎殿は、一度は朝倉家から縁を切られた者にございます」

 沈黙を続けていた、朝倉の小天狗こと朝倉景冬が話し出す。


「孫五郎景総は、妾腹であったために、二つ下の小太郎教景様よりも序列が下であることを恨み、一乗谷の相撲場に密かに呼び出し謀殺したのでございます。剃髪して、小太郎様の養父に許しを請い一度は許されたのでしたが、出奔し行方知れずとなったものにございます」

「ほう、あの御仁なにかあると思ってはいたがそのようなことを」

 三好筑前守がそんなことを呟く。どうも、朝倉景総という男には良い印象は持っていないようだ。しかし、京洛ではこの之長の方がはるかに評判が悪い。


「ときに、朝倉英林(朝倉孝景)殿は、戦も強い方であったようだが、公家寺社の荘園を多く押領したことでも知られておるぞ。真宗本願寺を除けば、寺社公家からは英林殿は天下一の極悪人などという言葉しか聞こえて来ぬ」

 京極六郎殿の言葉に、現小太郎殿が俯く。

「大樹にお会いなさって越前守護継承の許しを得るのは難しくはなかろうが、寺社公家の荘園の返却を求められるであろう」


「それは、近江守護殿も同じことではありませぬか」

 思わず、突っ込んでしまう。

「おお、それよ。相模守殿は、なにやら伊豆では新しいやり方を始めたとか」

 何で知ってるんだ。このおっさんは? ついつい、溜息を吐く。


「何のことでしょうな?」

 とぼけてみる。

「荘園のあがりを懐に入れる方策のことじゃ」

 しつこい。それにあからさますぎる。

「六郎殿。まるまると懐に入れようとすれば、争いになります」

 仕方がない、ちょっと悪い笑顔になっているのは自覚してる。


「要は荘園主が収入を得て糊口を凌げればよいのです。『地下受』は認めず『請切』を、半額、先払いで、伊豆国内悉く証書を取り交わしました。公方受と呼ばれております」

「ほ、国内悉くとか?」

「はい。一村、一谷、一山欠けることなく」

「ど、どうやったのじゃ?」

「まず、年貢を銭で先払いすると称して、銭箱を見せながら説明させました」


「まず、銭か」

 理解できるのは此処までだろう。郎党に土地を与えず銭で俸給を支払うなど想像もできないだろうからな。

「米などは嵩張りますゆえ」

「近江なればなんとしようか」

「淡海の海は、北の産物の交易路になります。日々多くの商人が舟を使いましょう」


「ふむ、関を増やすかの」

「いえ、逆です。関を減らすのです。関を増やせば、商人はその道を通ることを厭います。それに、関銭を多く支払って通った商人は、売り値に関銭を加算しますから高額なものになります。高額な商品はあまり売れませんから、商人が利を得るためにはますます商うものの価格は高額になるでしょう。利を稼げないものしか商わない商人はその関を通らなくなります。関を減らせば、その道を通る商人の数は増え結果的に上りは増えるのです。商人は利に敏いですからね、銭一文でも安い道を使おうとしますよ」


「そんなものかの」

「はい。伊豆の韮山は狩野川の香貫山関で一本化しております。三津内浦から山を越える道は三津衆が関抜けのないよう見回らせていますし、関銭も高くはないですから抜けようというものはいないと思いますよ」

 六郎殿はその辺りの理屈が理解できないらしく、首を捻っている。


「淡海の海は堅田衆の船、大津と塩津の湊は京極殿が、塩津街道の北の入り口は敦賀の湊、笙の川は朝倉殿の支配ですな」

「はい。敦賀湊には、遠く明や朝鮮の船が入ることもあります。明の船は色とりどりでなかなかきれいなものですよ」

 水を向けられた小太郎殿が勇んで話す。

「ふむ。朝倉家は関はどのように」

「湊の帆銭と笙の川関は、敦賀郡司が差配しております」


 越前も近江も荘園の押領問題は難しい様だ。

 武力を持って他人の土地を占有することを押領おうりょうという。横領とは似て非なる行為である。第六代将軍足利義教は、叡山の近江国内の荘園を全て押領したが、その死のどさくさに紛れ回収されてしまった。その復旧と、他の寺社公家の荘園は荘園主に回復するその二つが京極高尚には求められている。足利幕府は、地方武士集団により押領された寺社公家(但し友好的な宗門等に限る)の荘園回復を基本方針に掲げているからだ。


 俺は、以前公方の前で話し合われたことを披露した。日吉神社を三井寺所管とすること、淀川へ続く交易路の整備と保護についてなどである。

「朝倉家も、塩津街道と敦賀湊の安全を保障すれば、銭に不自由することはないでしょう」

「なるほど!」

 俺が言うと、小太郎は大きく頷いた。 


 その翌日に、朝から 俺宛に客があった。

 それは、俺の運命を左右するかもしれない出来事だった。

「関東御世子様にはご機嫌麗しく・・・」

 平伏している、僧形の男。荏呈じんてい、つまりは伊勢新九郎の兄である。


「して、何用か」

「戦勝を寿ぎまする。大樹様からの御言葉でございます」

 態々使者を建てるまでのことなのか?

「と申しますのは、表向きのことでございまして」


「ん?」

 荏呈が更に低く平伏したことに、戸惑いを覚えた。

「関東殿に伏してお願い申し上げます。我が弟、伊勢新九郎をお助けいただきたい」

 俺が、伊勢新九郎を助ける? どうして?


「ご存知のように我が弟は、駿河の家督争いに功を上げ、今川上総介様の股肱と呼ばれるまでになりましたが・・・」

 つまり、今川家中で孤立している。ということか。駿河に入ったばかりのころとは違い、多くの郎党を抱えそれなりの一家をなしているし、功が大きすぎて、今川譜代の家臣から距離を置かれている。功に見合った知行を与えられていない。小鹿家の領地は今川家の領地を簒奪されていたもので、そこから分けるほどの余裕はなく、新九郎の功に見合った知行を与えようとすると、譜代の家臣の領地を削らねばならない。遠江に攻め込んで領地を増やそうとしてはいるが、名分が足りない。まして、遠江は斯波家の領国である。係争になった時に不利は否めない。史実では興国寺城に入って伊豆に攻め入る時期をうかがうわけだが、沼津周辺は俺と今川家の両属しているような状態のものも多くなっている。俺の幕府への影響力をも鑑みて興国寺城への配転は避けてくれそうだ。もっとも、ここで方向性を示してやれなければ、伊豆に攻め入ってくる未来がないとは言えないだろう。


「今川家は股肱の臣が多く、安定してきた駿河には、身の置き所がないということか。ましてや備中にも帰れまい」

「拝察恐れ入ります。一時は守護代を任せられましたが、既に、家臣を返すので褒美をとの手紙が今川殿から大樹様に」

「公方様に提案してみよう。守護のない国はいつまでも主なしでは乱れの元ではないかと」

「守護のいない国でございますか」


「古くは、足利、そして足利家執事、足利一族が守護となっていた国よ」

「三河でございますか?」

 おれは、頷いた。高家、一色家、細川家がかつては守護だった。守護がいないということは、幕府直轄ともいえるが、

 国主がいない国だからこそ、松平などという土豪が幅を利かせ、一向宗が荒れ狂った。そういう面があったのではないかと思うのだ。

「伊勢伊勢守殿が守護、新九郎殿が守護代。そのように補任ぶにんされれば十分な名分にはなりましょう」


「しかし、三河は・・・」

「東条殿がああいうことになって一色家が退転届を出して、以来、もう十年余。細川家も受ける者がいない。厄介な国ではありましょうな。しかし、新九郎殿ならば」

「・・・・」

 三河の難しさとは、名目上は幕府御料所と大領主吉良氏を維持しながら、豪族を纏めなければならないこと。江戸時代以降さも由緒あるかのように語られる松平一族の宗家岩津松平家自体が足利将軍家所領の現地代官で官職も幕府の職位もない土豪に過ぎない。それが、どういう経過か伊勢家との繋がりができて代官にありついた運の良い家ではある。長く続いた一色細川という足利一族同士の争いに伊勢家の思惑が絡まり三河は既に戦国時代であったともいえるだろう。

「尾張の守護代、織田大和守殿には面識があります。助力をお願いしましょう」


 伊豆のうち何処かの郷村でもと公方に言い含まれたのだろう。義尚もやはり足利の将軍だ、治まったところに楔を打とうとする。それには断固拒否するしかない。それに、犬懸上杉の後継者として育てられている小鹿新五郎の遺児のこともある。同じ家中に新九郎を置こうというのは時限爆弾を置くようなものだ。遠江などよりもっと熱い坩堝に手をかけてもらおうと思う。

 この話に新九郎をうまく乗せることができれば、俺は、死亡フラグの一端を遠ざけることができる。そうだ、もし新九郎に会うことがあれば、三河では『得川とくがわ』を名乗るのが良いと囁いてみようか。

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