第五十話 思わぬ知らせ

 矢倉川に幾人かの武将の亡骸なきがらを残したまま、武衛軍は兵を引いた。

 幕府軍は隘路をゆっくり抜けると、佐和山城を囲んだ。佐和山城には、大した人数が入っていなかったらしく、軍勢が近づくと慌てて逃げ出したようだった。


 愛知川をはさんで京極軍と対陣している、斎藤軍だが、近江五百城ともいわれる多くの城を一つ一つ落としていたせいで、進軍速度が遅かったようだ。いまだに、高野瀬城、荒神山城、山崎城等々は囲んだままのようである。


 兵を佐和山城に収容すると、程なく矢倉川河口に堅田衆の舟がつけられた。糧食の補給である。佐和山城沖合の無人島竹島(竹しか生えないため竹島と呼ばれた。周囲700mほどの小島なのに頂上は標高100mを越える山がある)に陣取って幕府軍俺たちの合図を見張っていたのである。


 堅田衆に混じって、風魔と美濃部の繋ぎがやって来た。

「源吾ではないか」

 美濃部の棟梁の源吾であった。

「無沙汰をいたしまして」


「伊豆を離れても良いのか?」

「息子に任せて参りました。近江の仕事とあれば、この年寄りでも役に立つかと」

 美濃部源吾は伊豆の天城山中で薬種の管理を差配していたはずだった。

「何が幸いするかわかりません。甲賀を焼け出されて、伊豆に移ったおかげて前より暮らし向きは楽になりました。樟脳が金になりますので」


「気付けにも虫よけにもなる。忍び働きにも、航海にも必須の薬であろう」

「まことに左様で。ときに、御世子様に判断を仰ぎたいことがございまして」

 言語が、一際声を落とした。

「先日三宅島で、樟の植え付けの差配をしておりましたところ、大舟が漂着いたしましてな」


「む、どこの船だ?」

「どうも唐の舟と似ているようで違うようで。」

「流行り病か?」

「定かではありませんが、糧食も水も十分残っておりました」


「生き残りはいるのか?」

「何人かいたのですが、死んでしまいました。それが、話に聞く狂犬たぶれいぬに噛まれたものような有様でして」

「狂ったような死に様だったと? 狂犬病か! 犬は乗っていたのか?」


「死骸はありました」

「鼠はいたか?」

「そこまでは」

「糧食はつかえるだろうが、鼠には十分注意しろ。船は隅々まで海水で洗え、遺骸は焼いたか?」

「浜で焼いて、弔っております」


「何を訊きたい? 狂犬病は人から人には伝染うつらんぞ」

「交易船なのか、戦船なのか定かではないのですが、火槍と思われるものが大量に」

「何だと! では、明か大越の船ということか」

 火槍とは明代の火器だ。火薬を詰めた筒を槍につけ火をつけて攻撃したり、竹に火薬と弾丸を詰めて発射させたりして攻撃するものだ。どんな種類の火槍なのか。


「むう、三宅島まで駆けつけることのできぬ我が身が呪わしい」

「船はきれいにして韮山、いや下田に回せ。火槍は誰にも渡さぬように」

「畏まりました。不吉な船だから、焼いてしまおうというものが多く、御世子様の帰りを待っているには少々難儀でして」


「して、京極殿の陣はどうなっておる」

「それは、私から」

 手を挙げたものが進み出た。

「お主は?」


風祭啄木かざまつりつつきと申します。小頭黄三郎の配下にて」

「考えてみれば、京極殿は、美濃部には仇だったな」

 一歩源吾が下がった。

「御世子様の軍が近づいたのを見て、陣を払う準備を進めております。美濃の軍もそれは同様で」


 下を向いたままの美濃部源吾にひと声かけておこう。

「源吾。美濃部の城を焼いたは確かに六郎殿だが、短慮はならんぞ」

「分かっております。故に儂が参りました」

「六角四郎にも接触はするなよ。お主と一族はもう関東の被官なのだ」

「はっ」


 うん、これで良いだろう。

「斎藤妙純は国元へ帰るのか。それとも、佐和山城に攻めかかってくるか」

「望月、山中、神保など甲賀衆が焼き働きを何度も続けておりまして、陣には蓄えがあまりありません。殿に一戦させて近江から引くものと」

「だが、どこに逃げる?」


「近江から東に行く道は二つ。東海道か中山道。東海道を行くには、京極軍の脇を通って甲賀軍を抜けねばなりません。その上、近江を出てもそこは伊勢、美濃までは遠き道。中山道なら、不破の関を抜ければそこは美濃ですが、つまりこのすぐ東を通らねばなりません」

「妙純和尚が通るのを黙って見ている訳にはいくまい」

「我らで足止めをして、京極の軍を待てば美濃の軍は瓦解しましょう」


「だが、京極が遅れれば、どうなる?」

「それはっ」

「斯波軍が南下して、合わされば倍以上の軍勢となる。我らだけで抗することはできまい。

 京極と同時に攻め掛ければ良いが。六郎殿は斎藤妙椿に借りがある。そして、打ち破られらた我らを助ければ恩が売れるというもの」


「あの御仁であれば、そのくらいは致しましょうな」

 源吾の呟くには大きな声が聞こえる。

「まあ、何にせよ、軍議次第だな」



「関東殿。守護殿から使いが参りましたぞ」

「管領代殿、筑前殿どのような」

「我らが佐和山城に入ったため、挟撃を恐れて美濃勢が後退する気配があるとのことでござる」

 啄木の知らせと同じようなものだった。


「京極軍が後背から美濃勢を打ちかかるのと同時に、我らが横入りすれば勝ったようなものでござる」

「それは確かに。しかし、同時に打ちかかるのはどのようにすれば時を合わせれるのでしょうか?」

「う、それは」

「尾張勢もまだ居ります、位置的に尾張勢と美濃勢双方から攻撃を受けはしないでしょうか?」


「ううむ」

「同時でなく、先に我らが攻めた場合、我らのみで倍以上の軍に当たることになりはすまいか。我らが窮地に陥ったところで、京極が攻めて助けられたとすれば、手柄は六郎殿に持っていかれるでしょうな」

「うう。味方を疑いたくはないが」


「では、妙純和尚に使者を出しましょう」

「それは、どのような」

「足利義視義材親子を引き渡せば無事に通してやると」

 俺が薄く笑うと、三好筑前守と波多野管領代の二人はあっけにとられた顔をした。


 ここでいつまでも戦をしている訳にはいかないからな。面倒な人物は早めに退場して欲しいものだが。


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