第四十九話 いつか柱石と呼ばれる男

 仮設の陣屋に二人の客人が入って来た。

「おう、これは、小天狗殿ではないか」

 之長が口走った。

「筑前殿か」


 小天狗と呼ばれた男は、俺にも見覚えがあった。六角征伐の折、越前守護朝倉孫次郎の名代として兵を率いた人物、朝倉修理亮景冬である。

「この度は、越前朝倉家一大事にて、世継ぎと決まったこの小太郎様と共にまかり越しました」

「朝倉小太郎にございます」

 俺と同年配の少年がぺこりと頭を下げる。まだ、前髪があり元服前であることがわかる。


「これは修理亮殿。再び近江にてまみえるとは、こちらは関東公方御世子足利相模守様、そして細川家中の重臣、管領代波多野玄蕃頭殿」

 顔見知りであるらしい之長が、立ち上がって紹介した。

 俺たちも立ち上がる。

「大樹様の名代で近江に来ております。揆一郎政綱です」

「細川京兆家にて畏れ多くも管領代を務めさせていただいております。波多野玄播頭と申します」


 朝倉修理亮の影に隠れるように立っている少年。これが、小太郎、史実では朝倉宗滴、朝倉家の柱石とも呼ばれるはずの男のはずである。ただ、当主となってしまえばそう呼ばれることはないだろうなとも思う。

 見た感じは大事に育てられたぼんぼんという雰囲気である。守護家の跡取りらしく華美ではないが、良いものをきっちり身に着けている。さして体格が良いわけでもなく、デキル雰囲気を身にまとっているわけでもないが、誰からも好感を得るであろう姿だ。


 感慨を込めて眺めていると小太郎と目が合った。

 少年はサッと目を伏せたが、俺はその眼に野心の輝きを観た、ように思う。小太郎が宗滴であるという知識がなかったら見逃していたかもしれない。小太郎少年は、その後俺の見る限り、常に『良い子』であったからだ。品行方正、才気煥発そういった表現が似合う少年である。それが擬態であるのならば千人中九百九十九人までが騙されたのではないか?


 朝倉家の二人がここに現れたのは、良いタイミングであるといえた。雪解け前の今、大軍を動かす事が可能になる前に、上洛し越前守護職の補償を得たいのであろう。越前守護職に復帰の野望に燃える斯波左兵衛佐義寛とは当然敵対する。この武衛家当主を撃退することが、朝倉家が越前守護職を保持するための絶対条件であり、その軍事成果が足利将軍家の軍(とはいえ細川家と名代の揆一郎だが)だけに齎されたもので、朝倉家が関与しなかったりすれば、どう差配されるか分かったものではない。そういう危機感が朝倉家にはあるのだと言えた。


 しかし、俺が見るところ、幕府は朝倉家以外を越前守護に就けようとはしない。足利幕府は、自らにとって代わろうという勢力を常に警戒してきた。かつての大内家、一色家、山名家、赤松家、六角家、そして、その最右翼が同門の斯波武衛家である。不思議なことに細川家が標的にはなっていないが、常に在京し、足利家の私兵の役割を果たしていたからであろう。とまれ、三管領家の中でも最も家格が高い斯波武衛家は何度となく幕府の破壊工作の標的とされてきた。斯波武衛家の勢力を増やすような裁定を行うことはまずないだろう。


 また、朝倉家の二人にはもう一つ心配事があったらしい。その心配事の名前は朝倉弾正忠景総かげふさという。朝倉家七代越前守護初代の朝倉英林宗雄孝景の庶子でありながら、嫡流の弟教景を謀殺し出奔した男である。その景総が細川右京兆家に仕えているのだという。小太郎がその殺された兄(五男)の名乗りであった教景を名乗ろうという関係上無視できない存在らしい。だが、幕府が陪臣を守護にするようなことはないし、将軍直臣になるようなことは政元が許さないであろう。


 戦場から、山本山城に戻り動静を窺っていると、物見や商人などから情報が集まって来た。武衛軍は柏原城かしわらじょうに入ったらしい。一部は太平寺城にもいるだろうとのこと。両城とも、かつての京極氏の居城である。特に太平寺城は、六角征伐までは京極六郎殿が拠点としていた場所である。別名霞が城と言われ、標高千メートル以上の高地にありながら良質な泉があることで有名な城である。


 近江から尾張兵を追わなければ戦は終わらない。直接攻めるならどちらかの城ということになるが、城攻めするほどの兵はいない。近江には美濃の兵もいるのは忘れてはならない。美濃の斎藤妙純は現在愛知川の北岸に布陣して南に布陣した近江京極軍と睨み合っているとのことだ。父祖の佐々木道誉を崇拝する六郎殿は切歯扼腕というところだろうなどと思う。


 軍議の結果、城攻めはせず、尾張の軍勢は無視して美濃軍を攻めようということになった。

 二日程日を置いて移動を開始する。その夜はもぬけの殻の横山城に入る。ここからなら太平寺城も柏原城も指呼の距離である。襲撃があってもおかしくなかった。十分警戒していたが、何事も起こらなかった。払暁に出発する。


 北国街道の本道を進まず、わざと枝道を行くことにした。弁天山と磯山の二つの山の間を流れる矢倉川の川沿いの道だ。山川山の隘路を抜けてしまえば、あとは平坦な道である。斯波武衛軍が追いかけてくるだろうと思われた。磯山の西、琵琶湖側には磯山城があるが、ここも守将が退去した後らしく人数はいないようで、無視して進むことになった。


「急げ、急げ」

「渡河したら、弓隊は山を登って身を隠せ。槍隊は、先に進むんだ」

「濡れた体を拭くのは、もっと先に進んでからだ。そこで立ち止まっていると後続が岸に上がれないだろう!」

 隘路なので、なかなか進軍がはかどらない。騎馬は二騎並んで通れないのである。

 騎馬部隊は最後に渡河させることになり、騎馬のまま警戒させている。


 騎馬隊がようやく渡河を始めたころ、山影から敵軍が現れた。

「敵だ。弓隊は矢をつがえろ!」

「敵の騎馬が川に入るまで撃つなよ。いいか。撃て!」

「槍隊。敵が馬を下りて登ってきたら、槍で突き落としてやれ!」

「おう!」


 先に隘路に入った槍隊は、急斜面を登って弓隊の援護に回った。

 敵の騎馬が突出しているせいで、弓の良い的になった。川の真ん中で落馬する敵の武士達。

「うぬう、卑怯者目」

 叫びながら矢でハリネズミになって馬からずり落ちる、名のありそうな武士。


 思わず、口をついて出た。

「卑怯とも、犬とでも言え、勝たねば武士は後が続かない」

 ふと振り返ると、小太郎君が俺を妙にキラキラした目で見ていた。

 あれ? やっちった?

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