第五章 二度目の上洛

第四十一話 子守りと御守り

「政綱殿っ」

 鎌倉府の奥で義母に呼び止められた。

 義母からいみなで話しかけられるなど、初めてのことだ。

「母上、何の御用でしょう」


 武者小路家の姫である義母は、万人が認める美人である。貴族の娘など日がな屋根の下で暮らしていて、家族や下働きのもの以外には顔も見せず、夜這いに来た男には薄暗がりでの対応しかしないから、顔貌にはほとんど意味がないとも言われるが、応仁の乱で洛外に疎開した貴族などは、上級貴族の娘であっても、古来の仕来りを貫き通すことは難しかったようで、武者小路家の中の姫は楊貴妃もかくやなどという噂が立ったこともあるという。


 とはいうものの、戦乱の時期で高位の公家や各国の守護クラスからの縁談もない。避難していた美濃国川手が、南朝そして西軍の要土岐氏の居城であったからやむを得ないこととはいえ、生まれてすぐ父親を亡くし、兄の許で養育された義母には、兄の許での暮らしはその頃はもう針の筵であったろう。そこに、あの足利義視の後添えの話があったという。だが、義母は日野富子の妹の後添えという立場に戸惑いを感じた。既に、妾腹の嫡男がいたことも。いくら行き遅れ(義母はその頃はもう二十歳代半ばになっていた)であろうと、いまだ戦禍の続く京での娼婦のような生活はさすがに抵抗があったのだということらしい。


 親父にとっては、足利義視は異母弟であるが、競うべき相手であることも確かなようだ。大御所義政が声をかける順番を違えていれば義視の立場は自分だったという思いがあるらしい。実際、親父は左馬頭に任官されており、形式上は将軍になってもおかしくないのだから。だが、あの親父が応仁の乱の当事者になったとして、東軍から西軍に鞍替えするなどということができるだろうか? 俺はできないと思っている。還俗して何十年経つにもかかわらず、僧であったころの雰囲気を残しているというか、計算高いくせに甘いところがあるというか。


 義母を親父のもとに嫁がせたのは、細川京兆家当主の政元である。正確に言うと後見役の細川典厩家当主、中務少輔政国である。細川右京大夫勝元に補佐され東軍の主将でありながら、西軍に鞍替えして戦禍を長引かせた義視に対して、細川一門は徹底した嫌がらせを続けたのである。義視が美濃川手に逃げたのは、西軍の土岐氏の領国のこともあるが、義母の存在があってのことかもしれない。ところが義視が川手に入った時には義母は親父のもとに嫁ぎ、武者小路家は入れ替わるように帰洛していた。帰洛した武者小路家は遠縁の日野家を頼る。頼られた日野家は押大臣と称され権勢を誇った当主の勝光が没したばかりで、対応したのは日野富子であったろう。後援を受けた武者小路資世は従一位大納言にまで上り詰めている。


 以上は俺の想像に過ぎないが、先年の上洛の折にも漁色家として義視の名を聞くことがあったから、そう大きく外れてはいないだろう。その義視が、この度の越前の騒乱に合わせて動く可能性がある。目的は、我が子義材の将軍就任である。混乱期に武力で京を制圧してしまおうという乱暴な方法である。後押しするのは、美濃土岐家、そして行動を起こすからには、反細川の旗頭畿内南部に勢力を持つ畠山氏の協力が不可欠である。


 そして、美濃の軍勢が京に攻め上るためには、近江を通らねばならない。現守護の京極飛騨守高尚が黙って通すわけもない。そこで、俺は伊豆へ移住してきた美濃部の棟梁、美濃部源五郎に、三雲、望月といったかつての隣人に繋ぎを取るよう命じた。関東の安定のためには、鎌倉府の権威が必要であり、鎌倉府の権威を維持するためには、幕府の安定が必要。幕府の安定のためには、畿内とその周辺の安定が必要ということで、近江の戦乱は未然に防ぐか、佐幕派の大名が勝利する必要がある。というわけで、尾張あたりで、近隣の動静を探りたいと思っていたのだが・・・


「わたくしも、京へ参ります!」

 そう、義母に宣言されてしまった。

「潤童子はまだまだ幼いのです。母が守らねばなりません」

 眦を釣り上げてまくし立てる。美人が怒ると怖いというが本当だな、と俺は思った。

「富子姉さまにも、実家のことに礼を言わねばならないのですから」


 どうやら、親父の説得は不調に終わったらしい。

「あの方など、小田の娘にばかりかまけて、お渡りもございませんし」

 親父の名を出すとさらに不機嫌になってしまう。小田の娘とは、常陸南部を支配する小田安房守成治の娘である。何年か後に生んだ男子は、正史では小田家に戻り中興の祖と呼ばれることになるが、さてどうなるか。

「先方では、端午の節句に合わせてお披露目をすると、九郎殿からの手紙にありました」

 養子となったお披露目をするということである。


「早すぎます。清丸でさえ早いと思っていたのに」

「とはいえ、都では権勢並ぶものなき細川京兆家の後継です。公方様にはいまだお子がありません。清丸が公方となることもあるかも知れないのです。その時に、将軍家の右腕たる管領職に潤丸が就いているという未来も開けてきます。母上の二人の息子がそこまで出世することを望まれないのですか」


 はあ、っと一瞬遠い目をしていた義母ではあるが、甘美な想像を打ち払うように叫んだ。

「我が子の立身出世を喜ばない母などおりましょうか。されど、それは無事に育ってからのこと。潤童子には今が大事なのです!」

 結局、説得できずに義母の上洛を受け入れざるを得なかった。


「これでは、陸路は無しだな」

 潤丸の子守と、義母の御守りをしながら、不穏な近江を旅することなど無理だ。

「まだ、伊勢大社にはあの船は見せたくなかったんだがなあ」

 廻船の大元締めである伊勢大社が風上に帆走できる事実を知ってしまえば、いろいろとまずい点が生じてくる。ほぼ独占できている、関東内海南部や伊豆近隣の交易に嘴を入れられる可能性がある。そして、帆船の建造を始めるだろう。


「ま、成る様にしか成らないか」

 便利に使っているんだから、秘密を守るなんてできないしな。

 現在三浦党と伊豆衆が独占している、帆走技術のさらなる独占をこの時点であきらめた。

「よろしいですね? 政綱殿」

「・・・はい」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る