第四十話 戦果の裏で

「政綱様、起きておいでですか?」

 一瞬だけ冷たい風が舞ったようだ。

 深夜に、珍しく一人で寝ている俺の部屋に、黄三郎がやって来た。半身を起こして挨拶を交わす。先日作ったばかりの綿入れ袢纏はんてんを羽織る。

「久しぶりだな。天城はどうだ」


 堀越ほりごえにいるときは、夜は大体はお松と同衾している、十代の男など猿みたいなものだと誰かが言っていたが、どうも俺はそこまで欲望が強くないらしい。まだ、若すぎるだけかもしれないが。

 高位の武士の義務として、そういうことはしているが、まだ孕む様子はない。お勝とは添い寝だけだ。体ができないうちの妊娠は避けるべきだからな。今日は黄三郎が来ることが分かっていたから、二人とも遠慮してもらっている。

「全てというわけにはまいりませんが、ほぼ順調かと」


「功くいかぬのは何だ?」

「山葵が育ちませぬ」

山葵田わさびだは清い湧水をゆっくり流すとよい。土は使わず石の上に並べるようにして置く。日が当たりすぎるのは良くない。山葵は草の成長を抑える力があるが、それが山葵自身にも効いて育ちが悪くなるのだ。それを清水が流してくれる。三年育てて出荷するように」

「なんと、それほど気の長いものでありましたか。いずれにしても雪が溶けてからですか」

 当たり障りのない話を続ける。様々な疑問、経営方針等、これを機にということで、答えておく。


 さて本題に入るとしようか。

「下郷松原での働きは見事だった。狙ってのことではないが、この上のない結果だ。言うまでもないが、誰にも気取られてはいないな?」

「かの御仁の騎乗は、当代一とは噂だけではございませんでした。倒れた馬を操っておらねば、避けきっていたやも知れませぬ。督戦を進言した兵士も、真っ先に駆けつけかの御仁を看取った兵士も風磨の者です。我ら以外には知られておりません。」


 俺が指示したのは、馬への嫌がらせ程度だったんだが、うまく行き過ぎた。強引にでも戦を終わらせたかったのだ。結果として人の命を奪うことになった事実が心の底に澱となって黒いものがわだかまる。

「あの男が生きていれば、さらに何度も戦を求めたはずだ。そして、いずれは戦で命を落としただろう。そして、何も変えられない。そういう男だ。あの男が戦で勝てば勝つほど領民は苦しみを味わう。だから、これでよかったのだ」


「はい」

「褒美は、それ、その箱の中にある。音がせぬよう、目録にした。金子でも米でも伊勢屋から受け取ると良い」

「ははっ。それと、お約束を」

「ああ、三人ほど見繕え。知行は銭になるが、士分とする。今回の手柄を上げた者でも良いし、目を掛けている者でも良い」


 喜三郎は、床に額を擦りつけんばかりに平伏した。

「は、ありがたき幸せ」

「莫迦、声がでかい」

「申し訳ございませぬ」


「ツツ丸はもともと俺の小姓にする予定だったからな。数に入れんでいいぞ」

「はっ」

「分かっているだろうが、行儀が良いものに限るぞ。堀越に残す妻たちの護衛をして貰うのだからな」

「ははっ。その儀についてお願いがございます」

「なんだ?」


「士分に取り立てて戴くあたって、苗字をいただきとうございます」

「一人か?」

「いえ、できますれば三人とも。誰にするかは、この度の手柄があった者どもと決めておりますので」

「ふむ。よかろう。どんな男だ? 得意なことは何だ」


「まずは一人。先頭で飛び出すのですが、気が付くと最も安全な後ろにいるような男です。それでいて誰にも疑われない。『みずすまし』と呼ばれているものです」

「ははは、ちゃっかりした奴だな、茶刈ちゃがりとでも名乗ってみるか? ふむ、ちゃっかりかわす、かわず、蛙、けろ、圭二郎ではどうだ?」

「どう書きますので?」

「矢立てはあるか」


 枕元に用意していた切り端の雑紙に、いま思いついた名前を書いてやる。

「どうだ?」

 押し戴くように受け取った黄三郎は、紙を食い入るように見つめる。

「なかなか、良い名であると存じます。倅には勿体ないくらいで」

「なんだ、黄三郎の息子か。どんな手柄を挙げた?」

「古河様を関東管領の手の者のところまで案内した百姓が『みずすまし』でして」


「おお、大手柄ではないか。山内四郎上杉顕定に逢わせればろくなことはすないとは思っていたが、目論見以上だった」

「は、真に」

「まだ息子のほうが組みしやすい。古河公は幼いころから苦労しただけに目端が良く利く」

「確かにそうかもしれませぬ」


「四郎殿が古河公を切った時のことは聴いているか?」

「お互いに口汚く罵り合い、縄を掛け引き据えられている古河様を袈裟懸けに一刀でとの由にございます」

「流石に名刀を佩いているだけある、か」

「はい。それで、その・・・」

「なんだ。言ってみろ」


「『みずすまし』いえ、その圭二郎ですが、古河様を斬った管領様の佩刀を掠めて来てしまいましたので、どうしたものかと」

「はあ?」

「無くなったことでちょっとした騒ぎにはなりましたが、なにぶん古河様のことで大わらわ、置き捨てられ土民にでも掠められたのであろうということになった、やに聞いております」

「実は圭二郎が持って来てしまったので見つからないと」

「はっ、誠に申し訳なく」


 床に額をこすり付ける黄三郎を見て、どうしようかと悩む。俺や左京が持っていて咎められても面倒だし、士分になったばかりの若輩が持つようなものじゃない。売らせよう。うん、そうしよう。

「名刀なのだな」

「はい。銘は鎌倉住人とあるだけですが新藤五国光ではないかと」

「売ってしまえ。品河や韮山ではまずいな、西国、せめて熱田あたりで、売った代金は圭二郎のものにして良い。今回はそれで褒美は終わりだ」

「は、よろしいので?」


「俺が上洛する時、熱田で待っているように伝えろ。京に連れて行ってやる。手癖の悪さは直しておくように」

「はい」

「国光など、絶対に自分で使うなよ。目をつけられるし、争いになる」

「心得まして」


「ほかの二人は、この度修理大夫のまわりに配した者か?」

「はい。一人は修理大夫の馬の耳に羽を切った蜂を投げ入れた者。一人は人の気配を読むのが上手く指示を出した者でございます」

「二人とも、茶が付く姓を与える」

「それは、御幼名の『茶々丸』に因んでのことでございますか」

「そうだ。『茶野ちゃの』か『茶山さやま』でどうだろう? 諱は考えておけよ」

「ありがたく」


 黄三郎が帰った後、夜具の上に横になった。目が冴えてしまっている。どうしようか、と考えた。

 今度の上洛は、船で熱田まで行き、情勢を見て、海路か陸路かを決める積りだ。

 蓮如上人や京極殿にも会ってはおきたいが、なんといっても越前の元守護、斯波左兵衛督義寛が尾張は清州城の動向が気になるところだ。当代きっての大国である尾張、越前を含む三カ国の太守であった男だ。まだ三十路を過ぎたばかり、何度か朝倉征伐を失敗しているものの、これを機にと狙わないはずがない。


 であれば、尾張武衛家(斯波氏のこと)の実戦部隊の筆頭である尾張下四郡守護代織田大和守敏定が先頭に立って、越前に攻め込むことになるであろう。それを度々阻んできた、美濃土岐家の重鎮、幕府奉公衆としても重きをなした斎藤持是院大僧都妙椿は既にこの世にない。養子の斎藤持是院妙純に代替わりしている。俊英と評判の高い妙純であっても、当代きっての豪傑と名高い織田大和守の相手は厳しいのではないかと俺は思う。


 そして、最も重要なことが他にある。美濃には、次の将軍位を狙う足利義視、義材親子がいるのだ。この二人が、隙あらば上洛し、細川政元を除こうとしているのは周知のこと。政元派と目される俺が尾張、美濃と通ろうとすれば、命を狙われるのはごく当然であろう。陸路なら美濃を通らず伊賀、大和を抜けるルートもある、だが伊賀は、いまだ六角残党の影響力が強い地域で、これまた危ない。だが、紀伊南周りのやたらと金と時間のかかる航路はうんざりしているのだ。


 煮詰まってしまった俺は、勝子の部屋に向かうことにした。

 勝子の部屋の前に立って声をかける。

「私だ。良いか」

 ややあって、返事が聞こえた。

「はい。どうぞ」


 部屋に入ると、勝子が三つ指をついて平伏している。

「顔を見せよ」

「はい」

 暗い中で、勝子の頬が濡れているような気がした。


「泣いていたのか」

「いえ・・・」

「蓮悟殿とは仲が良かったのか」

「いえ。仲は良くはなかったのです。良く虐められましたし」


 引き寄せて、頭を撫でた。

「旦那様?」

 そのまま、二人で横になる。なに、添い寝するだけだ。

「勝子の父様と会ってくるよ。越前のことで何か助けになるかもしれないから」

 横になって、さらさらと少女の髪を撫でながら、俺はいつの間にか寝入ってしまうのだった。

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