第四十二話 途上の船で
関東公方足利政知の御座船として建造された新造艦鎌倉丸は、逆風をついて進む。風向きに対して45度ほどの角度をつけてだが、逆風には違いない。甲板に立っていると風が倍加して体に当たる。正月松が明けたばかりの季節は冬である。だから、甲板に立っていると物凄く寒い。
水夫たちは、寒風の中毛皮(内側を被毛にしたもの)の上下を着て忙しく立ち働いている。帆を操る者、風を見るもの、舵を操る者、船の進行方向に目を凝らすもの、風と進行方向の情報から帆と舵に指示を出す者。作業の邪魔になってはいけないと自分に言い訳をして、甲板に設えた屋形に引っ込むことにした。
この鎌倉丸は、今までの手漕ぎ船と異なり、喫水から下を深く作ってある。従来の
屋形の引き戸を開けると、薄暗さと僅かな熱気を感じた。壁や、屋根のそこここに嵌め込まれた白雲母が、光を透す為、窓を閉め切っていても真っ暗ということはない。外の景色を見ることはできないが。部屋の中央には常に口が上向きのジャイロ火鉢で暖を取っている数人が見えた。その中から子供が振り返った。
「兄上っ」
立ち上がって俺に向かって駆け出そうとして、潤丸はふらついた。
「危ない!」
潤丸の隣に座っていた、老人が潤丸の手を引いて、火鉢の上に倒れ掛かった幼児を引き寄せた。
ほっと胸をなでおろした俺は、老人に礼を言う。
「かたじけのうございます。万里集九殿」
「なんの。誰であれ同じことをするでしょう。それと、
潤丸を助けたのは
「御世子様はともかく、潤童子様は、歌詠みの才能がございます」
万里は驚くべきことを口にした。
「手慰みではありますが潤童子様に唄の手ほどきをいたしました。その言の葉の並べ様かの妙椿もかくやと思われるほどにございます」
「そうか。歌詠みの資質としては我よりも遥か上か」
万里は、一時俺の歌詠みの教師だった。
万里は慌てたようだった。
「いえ。そのようなことは」
「よい。大樹様は、優れた歌人と聞いている。儂は歌詠みには向いていないようだが、潤丸は将来相伴衆として傍詰めになることもあろう。大樹様と話が合うようなら何より」
「兄上・・・」
俺はしゃがんで、俯き加減の潤丸の眼を覗き込んだ。
「どうした。まだ、船酔いが辛いか?」
「いえ。もう気持ち悪くありません・・・母上は伏せっていますけど・・・」
返事をして、何か言いかけ、また俯いてしまう。
「なんだ。言ってごらん」
潤丸は逡巡していたが、決意したように、俺を見上げて口を開いた。
「本当に、もうすぐ、お別れなのですか? 京に着けば、細川京兆家に養子にっ」
「そうだ。父上がお決めなされた。細川京兆家は、管領という職を代々受け継ぐ家だ。管領は、大樹様、公方様の一番偉い家来だ。わかるな」
俺は潤丸の頷くのを見て言葉を続ける。
「お前の兄、清丸は、大樹様の御猶子になって京におる。今、大樹様には御子が居られない。だから、大樹様に御子がないまま、将来事があれば、清丸が大樹様の跡を継ぐ。いいな」
潤丸は頷きかけて、あれと首を捻る。
「大樹様の御猶子は、もう一人いらっしゃるって・・・」
「うむ。もう一人いらっしゃる。その方は、これから行く湊、熱田のある尾張の北にある、美濃にいる。何故、京でなく美濃にいるかというと、先の応仁文明の
「何故その方は、公方様を裏切ったのでしょう」
「そうだな。恐らく、自分が公方になりたかったのだろう。その方、足利義材とおっしゃるのだが、その方の父上の義視様が、今の公方様が将軍位に上られるときに、将軍位をめぐって争ったのだ。それが、原因の一つとなって、応仁文明の乱が起こったとされている」
「そうなのですか・・・」
「今のところ、公方様の世子は、京に居る清丸と目されている。だから、潤丸。清丸が将軍位に上り詰めれば、お前が管領となって清丸を支えるのだ」
「はい・・・」
また、俯く潤丸の頭を、ぐりぐりとやや乱暴に撫でまわす。清丸は当初の予定は天龍寺に入るはずが、いまだに日野富子の屋敷で養育されているらしい。十分にありうる未来なのだ。
「どうした。不安か」
「あ、にうえ~。やめてください」
ははは、と笑いながら、潤丸の顔を覗き込む。
「大丈夫だ。京と関東離れていても、いざとなれば俺を呼べ。可愛い弟のためなら軍勢を率いて京まで攻め上って見せようぞ」
潤丸の眼を見て、檄を飛ばした。
「はい!」
「うん、良い返事だ」
「集九殿。今の戯れの言葉、美濃に戻って、斎藤妙純殿に話はせぬようにの」
振り返って、万里集九とその家族に話しかけた。
「も、もちろんです」
万里とその家族、妻と二人の男子は、こくこくと頷く。
「ときに、万里殿。路銀は、潤沢かな?」
「いえ、歌詠みの元坊主など、いつも手元不如意で」
「ふむ。潤丸が、唄の素質があるということだが、そなたのお子は如何なものなのだ?」
「二人とも、通り一遍のことは教えておりますが・・・」
ぱん、と掌を合わせる。
「ならば、その下の御子、見れば俺と年も同じ位、潤丸の歌の勉強相手に、雇わせてはくれまいか。充分な支度金は出そう。そうさな、二百貫文でどうだな? 潤丸の傍付き。侍になってもらおう」
「へ、そそんな」
「お子達の名は何という?」
俺が訊ねた時、ガラッと板戸が開いて、誰かが入って来た。
「御世子様。渥美の水軍衆が旗を振っています。かまいませんか」
「おお、俺も出る。左京に任せる手筈だ」
屋形から出るときに、振り返って万里を見やる。
「熱田湊まで、すぐじゃ。そこで返事は聞かせてもらうぞ」
出て、戸を閉めようとしたとき、呼び止められた。
「あ、あの。と、殿様。若殿様」
「うん。なんだ?」
「お、おら、
声をかけてきたのは、万里の息子のうち年下の方だ。
「幾つになる」
「じゅ、十三で、です。おらも侍さなれるだか?」
「そうか、俺と同じだな。潤丸も話しやすかろう。侍になってもらわねば困る」
にこと笑いかけて戸を閉めた。
熱田湊に上陸した俺を驚愕すべき知らせが待っていた。
知らせを齎したのは、熱田で合流した風魔の一人、俺が名をつけた茶刈圭二郎であった。
「何!? 斯波殿が出陣しただと」
「はっ。斯波左兵衛佐様、織田伊勢守様を伴い、一万の兵で長良川を越えました」
「まさか、雪解け前に出陣するとは。関が原は雪はないのか」
「雪がないとは聞いていません。越前のことで、大樹様がなにやら囁いたのでは?」
「かもしれん。今年、尾張は豊作だったか?」
「まずまず、との噂で」
尾張は周辺諸国とは隔絶した豊かな国である。平地が多く、農地が広い。商業が盛んで人口が多い。美濃国境の三本の大河は田畑を潤し、商業路として盛んに利用されている。匹敵するのは周辺では近江だけだろう。この豊かな国を領した斯波氏は度々戦乱を起こしてきた。特に、美濃の斎藤妙椿とは織田大和守は何度戦っており、応仁文明の乱の際にも、守護、守護代間で飽きることなく戦いを続け、それでなおかつ疲弊していない。弱兵として名高いのは豊かさの現れでもある。
どうやら、斯波左兵衛佐義寛は、今のうちに美濃から近江越前への道を確保し、雪解けの後、もう一度今度は越前まで攻めるつもりのようだ。何故なら、織田大和守を尾張に残しているからである。美濃についても、かの斎藤妙椿の後継、妙純を与しやすいと見たか。この戦争で、足利義視・義材親子の動向が気になった。戦乱を避けて京にでも帰っていったらそれはそれで厄介である。戦乱の火種的な意味で。
「ああ~、どうして上手くいかないかな」
俺は頭を抱えて、呻くしかなかった。
「兄上?」
ふと見ると、深々と頭を下げる万里とその家族の姿が目に入った。清丸と百里に別れを告げる、万里親子。彼らは、戦乱の中を旅することになるか?
「待たれよ。どうやら、尾張と美濃で戦がありそうだ。織田大和守殿に保護を求めてはどうか」
俺は、万里たちに呼びかけた。
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