第三十一話 万里集九

 里見義実は平成・令和の世にあってはその生涯が謎の人であった。俺は、滝沢馬琴が描いた英傑像はかけらも信じてはいなかったが、関東で後北条氏の覇業の第一の障害となるまでに成長した戦国大名の初代であるこの人物には非常に興味があった。


「初の御意を得ます。里見刑部大輔義実と申します」

「一別以来じゃな、御隠居」

 義実は、あっけにとられた風であったが、ああと膝を打った。

「これは、白浜でお会いいたしたあの若様でございましたか。その折は失礼いたしました。息子どもが取り逃がしたと聞いて、実のところほっとしておりました」


「して、何用で伊豆まで参られたか」

「古河の関東公方様から里見に出陣の下知がございました。家中は結城合戦の恥をそそぐのだと皆意気盛んでございまして、拙も危うく押し込めに遭うところでござった」

「ということは、ご老人は古河公方の戦に加わることには反対ということかな」

「御意にございます」


「何故じゃ」

「里見の家は新田にったの出ではございますが、足利御一家衆に数えられておりました。それは、足利の家に最後まで着き従っていたからでございます。観応の擾乱では、我が祖、宗家むねいえは没落いたしました。結城合戦では、常陸里見家の家兼いえかね殿始め一族揃って討ち死にしました。そして、今回もです」


「戦地は上野国のすぐ近く。安房からは遠いと思うが」

「はい。ですから、品川を襲い兵糧を獲ろうと」

「なに!」

 思わず立ち上がってしまった。


 ええい。伊豆で焦ってもどうにもならんか。もう一度座りなおす。

「三浦には、伝えてあろうな」

「浦賀の横須賀殿に、大凡は」

「して、伊豆まで参られたのは、何用か」


 義実は振り返ると、二人を指し示す。

「拙の末の子で千代松と申す。そちらは、傅役の正木図書じゃ」

 二人が平伏する。千代松は俺より一つか二つ上、図書は二十歳過ぎといったところか。

「里見千代松と申します」

「正木図書にございます」

「ふむ、儂の馬廻りにでも加えればよいか」


「若、勝手はいけませぬぞ」

 播磨守がひそひそとたしなめてくる。

「よい。伊豆者以外にも家臣が欲しかったところだ。それで良いか刑部、千代松、図書」

「は、ありがたき幸せ」

「刑部も扶持を与える故、この地にて仕えよ」


「は、拙も、よろしいので」

「伊豆にはあまりの土地はない故、銭の扶持じゃがな。刑部は、今まで遭ったこと細々と書き記しておけよ」

「は、しかし、何故?」

「ご老人が書を残せば、里見の名と共に書が残るであろう」


「は、いや、しかし」

「何を変な顔をしておる」

「拙は字が下手でございまして」

「っは、六十の手習いなどという言葉もある。励め」


「若、『六十の手習い』など初めて聞きましたぞ」

「む。都ではそんな言葉もある」

「そうなのですか?(訝し気)」

 あや、やっちまったかな?



 何日かして、武蔵国須賀谷原で両上杉が衝突した旨の連絡が入った。

 両軍合わせて戦死者七百を超え、馬も数百が死んだという。

 知らせをもたらしたのは、一人の歌人であった。


 歌人万里集九ばんりしゅうきゅうは先年まで、太田道灌に招かれて江戸城に滞在していた。

 江戸城内に築かれた静勝軒という高閣望楼で、詩歌の会などが頻繁に開かれており、道灌に招かれたものであろう。扇谷定正が江戸城を接収したのちも滞在していたが、西に戻ることを決心し、道灌の遺児、菅谷城主である太田六郎左衛門資康を訪ねたのであろう。


 そして、なんと、万里集九は里見義実とは既知の仲であったらしい。集九は、美濃が、在所であるし、歌会のため頻繁に都へ出掛けていた。そして、美濃の歌人というと……。

 更に、万里集九は、俺の和歌の家庭教師になることがいつの間にか決まってしまっていた。


 万里集九が伝える須賀谷原の戦いだが、戦端が開かれたのは六月五日であったという。

 関東管領軍は数に物を言わせ、定正軍を押しに押していたが、長尾景春軍を主体とする古河公方軍が横入りに成功し、多数の討ち死にを出した関東管領軍が引いたのだという。

 その後も、関東管領軍は平沢寺に陣を構え定正軍と睨み合っていたが、結局陣を引いたのは定正軍であったという。


 平沢寺では、歌会なども開かれ、万里集九は賓客として出席したのだそうである。

 敵陣に相対する陣中で、風雅な歌を詠む、いまや京の武将にはこの心は失われてしまったのではなかろうか。そう、万里集九は言い懐かしそうな顔をした。


「かの美濃の小守護こと斎藤妙椿さいとうみょうちん様に連れられ上洛した折、相国寺の歌会へお供した折に、万里殿にお会いしたのでしたな。よもや、還俗して子供までいるとは」

「そういう里見殿は安房の国主にまで上り詰めたではないですか」

「なんの、息子どもに追われて妾腹の息子とともに逃げてきました。守護の地位もと夢見たこともありましたが、いやはや。誰が言い出したのか、親子で相争うとは、正に戦国の世もかくやでございます」


「万里殿。品川湊は見てきたのであろう。お聞かせ戴けまいか」

「はい。相模守様。品川湊では、兵糧が思ったほど手に入らないと気が付いた賊は、家々に火をかけ、神奈河湊に向かったといいます。湊は焼けた建物はありましたが、焼け野原というほどでもありませんでした。ただ・・・」


「ただ?」

「あ、いえ、宿が人で溢れていまして、家族ともども大部屋で眠るしかなかったもので」

「何かあったか?」

「そのとき、ちらと聞いたのですが、おこりの者が出たと」

「おこり?、……マラリアか!」


 ち、困った。マラリアが流行したら……

 えーと、たしか漢方で、クソニンジン。黄花蒿だ。

「万里殿。ゆっくり休んでくれ」

 自室に歩きながら、ツツ丸を呼んだ。


「なんでしょう? 若様」

 自室の襖が俺が手を掛ける前に開き、ツツ丸が座っていた。

「品川で瘧が出たそうだ。広がるとえらいことになる」

「瘧ですか」

「クソニンジン、漢方でいう黄花蒿が必要だ。揃えられるか」


「あ、ちょっと無理かも、漢方薬は扱えるものがいないので」

「なんだと」

「あ、でも、甲賀者なら扱えると思います」


「甲賀? 甲賀者がどこにいる? ここは伊豆だぞ」

「ああ、忘れちゃいました? 京極様が近江で城一つ落としましたよね」

「あ、六角征伐か。甲賀の、あれは確か、水口城。ということは、美濃部の城だったはずだな?」

「はい。落城で、一族離散です」


「甲賀の他家では匿ってくれないのか」

「右京兆家と京極家、他にも美濃や尾張からも争うように引き抜きやら、召し抱えやらで、一人や二人ならともかく、何十人とは匿えないようで、主家に逆らえないんですよ。甲賀衆で改易になったのは三雲家と美濃部家だけですし、もともと貧しい土地ですしね」

「美濃部や三雲が韮山にいるのか?」

「ああ、韮山じゃありません。天城ですよ。水口城が落とされた後、天城の手が足りないってんで、めぼしいところをを引っ張ってきちゃいました。ほら、お方様の石けんを完成させた者も美濃部の出です」

 


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