第三十話 加賀国一向一揆蜂起せず

 蓮如しゅうとからの手紙が届いた。

 驚くべきことが書かれていた。

 加賀国の情勢である。


 加賀富樫氏は、加賀国の守護であったが、国中の土豪、百姓が一向宗に入信しているといわれ、支配基盤が繊弱であった。そこで、昨年の六角征伐の折には近江に出兵し、功を上げ将軍義尚に加賀での立場を支持してもらう心づもりであったようだ。しかし、出陣の前に六角征伐は終わってしまった。


 富樫氏は出陣に当たって、百姓を兵に、兵糧も集めていたが、百姓は解き放たざるを得なかった。解き放ちに合わせて、百姓達には幾許かの玄米を持たせて返したが、それでも兵糧は余った。もともと借金で揃えた兵糧であったが、売った時期が良く、出兵のあった丹後、若狭、近江方面の商人に高値で売り抜けることができ、富樫家の財政は好転した。借金は完済し利益まで出たほどである。


 富樫家にしては、望外の出来事であった。

 そこで、初めて加賀国内の自分たちの状況に気が付いた。衣食足りて礼節を知るではないが、余裕が生まれて初めて周囲を見渡すことができたということであろうか。

 自分たち一族と僅かな家臣以外は、殆どの国人衆、百姓が真宗門徒であり、もし彼らが武力蜂起すれば討伐されるのは自分たちの方である。遅まきながらそのことに気が付いたのであった。


 富樫家当主、富樫中務少輔政親。富樫家とは、かつて、北陸道安宅関において兄頼朝に追われた源義経一行を、義経本人であることを確信しつつも、武蔵坊弁慶の読み上げる勧進帳に感心し、義経一行を無事に通過させたあの富樫左衛門の後裔である。

 彼は先年加賀国守護に補任する際、弟幸千代を真宗本願寺派一揆の力を借りて攻め滅ぼしていた。本願寺派が彼に力を貸したのは、幸千代側が真宗高田派の力を借りていたためである。守護となったのは良いもののその翌年以降、一揆側は年貢を納めず、富樫氏の財政は圧迫されていた。


 考えあぐねた挙句に、富樫政親は蓮如に手紙を書いた。

 先年の助力については、大変感謝している。しかし、門徒衆はそれ以後年貢を納めないようになってしまった。王法為本を旨とする真宗としてはどうなのか。

 そんな内容であったらしい。


 蓮如しゅうと殿は、こんな風に返したらしい。

 先年援助する際にお約束された当宗派への援助が果たされていないと、息子達(この頃蓮如の息子が三人加賀の寺に在していた)から聞いています。門徒を弾圧し、信仰する国衆への圧迫が続く中では、年貢を納めるには困難が伴います。息子や国衆あて、年貢を納めるよう手紙で促したいとは思いますが、この年貢不払いによる罪を問わないようにしてあげてください。また、年貢の率を下げていただけると、皆年貢を納めやすくなるのではないでしょうか。


 かくて、加賀の年貢は一律四公六民になったそうである。また、富樫氏の居城高尾城にほど近い本泉寺に座する蓮如の七男蓮悟とは、飲み友達のような関係になっているらしい。

 俺は、蓮如に、門徒に守らせるべき法を整備する必要性を訴え、『武装・合戦の禁止』『派閥・徒党の禁止』『年貢不払いの禁止』を三つの代表的な法として指摘した。

 何をしても『南無阿弥陀仏』さえ唱えれば許されるという教えは勘違いされかねない。人を殺し、財貨を奪いながら念仏を唱える兇徒、そう為政者や他宗派から見られるようになる。そう主張している他宗派の僧が現にいるのではないか?


 加賀一向一揆が起きるとすれば、もうすぐのはずである。富樫政親は生き延びられるのであろうか。



 関東で今一番ホットな話題は、上杉家同士の騒乱である。

 関東管領山内上杉家に扇谷上杉家が叛旗を翻したのである。

 第一幕は扇谷が関東管領を退けた。次はどうなるか。田植えの時期が終われば、何かが起きるだろう。世間はそう見ている。

 ところで、もう一か所関東には火種が燻っている場所がある。


 常陸国山入郷ここは、山入佐竹氏の本拠地である。常陸国は律令制度の中でも大国として扱われ、人口三十万、石高五十万という豊かな国であった。鎌倉以降この地に佐竹、小田、大掾だいじょうといった大身の国衆が割拠しているのである。


 山入佐竹氏は、足利尊氏に仕え、戦功によって与えられた山入の地を代々本拠とする佐竹家の分家であり、十家ほどある、幕府に直接結びついた京都扶持衆の一家として活動していた。佐竹分家の筆頭格であり、佐竹本家で継嗣が絶えたときに、山内上杉家からの養子を不服として反乱を起こして以来、本家との仲は険悪であった。上杉禅秀の乱が起きたときも禅秀側に着き、乱が鎮圧されて鎌倉府に服している。


 そんな山入氏の周辺がきな臭いという。

 山入氏は、古河公方、白河結城氏、蘆名氏、大掾氏といった面々と連絡を取り合っているらしい。

 こと常陸守護のことである。万が一滅ぼされでもしたら大事である。

 佐竹家は、親父の鎌倉入部に当たり使いをよこしている。関東でも遠方なのに、良く情報を集めている証拠である。他には、宇都宮、佐野、大石、上総武田といったところが、挨拶をよこしている。


 山入氏は、京都扶持衆。京都扶持衆に、鎌倉府への出仕を命じてみるか。関東総代として。

 京都扶持衆と言えば、甲斐武田氏、山入氏、小栗氏、真壁氏、大掾氏、下野宇都宮氏、那須氏、小野寺氏、陸奥篠川御所、伊達氏、蘆名氏、南部氏、白河結城氏といったところか。

 ああ、蘆名がいたな、三浦の分家だったはず。三浦の御隠居に、手紙を書いてもらおう。



 伊勢新九郎長氏、つまり北条早雲の動向はどうなっているのだろう。

 史実では、興国寺城に移っているはずだが、そのような事実はない様だ。あと何年かすれば、遠江に攻め入ることだろう。その頃までに、関東での地保を固めてしまうことが大事。だから、佐竹には援助をしよう。義理堅い家だから裏切ることはないだろう。

 早雲の伊豆襲撃は、茶々丸討伐という幕命によるものか、自らの野望によるものか意見が分かれるところだが、現状大義名分はないはずだ。


 あと数年で親父が死ぬ。その直後に地震がある。伊豆、相模の民を最大限守ることができれば、国衆も俺を裏切ることはない、と信じたい。だから、親父が亡くなるまでに世子として誰にも後ろ指指されないように、国を富ませ、強国を作り上げなければならない。


 敵は、伊豆襲撃に加担している扇谷家。

 古河公方家、里見家、結城家このへんは確実か。あとは・・・・


「若様。お客が参ってます」

 突然声がかかった。

「誰だ、左馬助」

 こいつは宇佐美の嫡子で、俺の馬廻りをしている。

「それが、里見と申しておりまして」

「なんだと?」


 広間に座っていた老人が、俺が入ると平伏した。老人の後ろに控えていた、二人が慌ててそれに倣うのが見えた。面を上げさせた俺がそこに見たのは、確かに房州白浜で見た里見義実その人だった。

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