第二十九話 東勝寺跡大法要
親父が堀越御所から鎌倉に移って、ひと月。
主だった武士の中でも親父の東下とともにやって来た者はほとんどが鎌倉へと移っていった。
鎌倉や相模も戦こそないものの治まっているわけではないということで、潤丸やその母、俺の妻達等は堀越から動いていない。
人が少なくなり、不用心ということで、伊豆衆から行儀の良さそうな者を選んで堀越に詰めさせることにした。
「静かなのです」
勝子は言った。
「静かなのはいいことじゃないか?」
「静か過ぎるのです!」
「そうでもないと思うが・・・」
「本願寺では、朝な夕なに修行僧の勤行に経を読む声が聞こえたのです」
「そりゃまあ、ここは寺じゃないしな」
「それは、存じ上げておりますです」
「じゃあ、阿弥陀堂でも作るか?」
「はいです! あ、でも、そうではなく・・・」
「?」
「あの、お堂を作っていただくのは嬉しいのです。でも、そこで勤行するのは一人だけなのです」
「一人では嫌なのか? でも俺は・・・」
「得度もしていない旦那様に勤行しろとは申しませんのです」
「ん~。役目を設けて、僧を置くことは可能だが・・・」
「私は、幾人もの僧の読経が響く様を、蒼天に木霊するような経を堪能したいのです」
「ユニゾン? コーラス? 斉唱・・・コンサートか!」
「ゆに?」
「ああ、こっちの話だ。そうだ、いいことを思いついた」
「どうなされたのです?」
「そなたの父上に寺を一つと思ってな。鎌倉には、あの北条得宗家所縁の廃寺がある。東勝寺と申してな。そこをと思っておったが、どうも他の寺から苦情があって、悩んでいたところなのだ」
「寺というお話はありがたいのですが、だめなのですか」
「東勝寺は、今父上が在所する妙本寺よりも鶴岡八幡の近くでな・・・」
「ああ、それで・・・」
「真宗の寺は、玉縄というところに作る。鎌倉街道に沿っているし、柏尾川の水運も利用できる。城を作ろうと思っていたが、隣に作ろう。相模の本願寺だから、本相寺というのはどうだ?」
「はい、父に成り代わりましてお礼いたします」
「うん。そして、東勝寺にはな、経の詠い処、
「きょうえいどう、でございます、か?」
「うん。鎌倉の民が百人も二百人も入れるお堂を作ってな、毎日、違う寺に貸すのだ。そこで、経を詠んで貰おう」
鎌倉入部に当たり真宗門徒に功ありとして、東国の浄土真宗の本山として、寺を立ち上げることとなった。蓮如上人には様々な面で助力いただいている。
候補地は東勝寺跡地。名高い東勝寺合戦古戦場北条得宗家終焉の地である。案の定光明寺から否定的な意見があった。
浄土宗の総本山光明寺とはまさに指呼の先。小坪に鎌倉府直属の城を築く以上、隣地の光明寺の意向は無視できない。
また、東勝寺跡地は古戦場だけに、建築に際しては人骨がいくらでも出てくる。掘り返して、骨をまとめ鎮魂の為石を建てる。
各宗派を集め、東勝寺跡地で大法要を営む。真宗の寺を造るためでは、流石にどこも色よい返事は期待できない。勝子と話していて、いいアイデアが沸いた。関東公方直営の経詠堂としてする。読経なんてのは、この時代の音楽だ。アカペラだ。音響を良くして、美しく響くように楽器も開発しよう。
法要の前に、あたりをくまなく掘り返し、人骨を集めた。本当に千人近くの遺骸が埋められていたのだろう。木を伐り、根を掘り返し、遺骨と、ともに現れた155年前の事物も残らず荼毘に付し、切った木で巨大な棺をいくつも作って埋めた。伊豆から特上の石を運んで来て碑を建てた。碑文が掘りあがったのは昨日だった。石を若宮大路を運ぶだけで、大騒ぎだった。何百もの見物人が出た。進む方向まで見物人がいて、石が運べないことさえあった。播磨などは、プリプリ怒っていたが、一日二十文で手伝えと布告すると、見物人が即席の労働力になって、その後順調に運べたのには苦笑するしかなかった。
かくして、五月、政に鎌倉中の桜が咲き誇る中で、東勝寺跡地での大法要が営まれた。
各宗派の読経の順番は籤引きで行われたが、法要であるのに、鶴岡八幡が強引に割り込んできたのには笑ってしまった。どんな順番でもお布施は金三枚と断ってはあったのだが。
まず、浄土宗光明寺から始まり、最後が日蓮宗妙心寺であった。真宗実相寺は何番目だったか、僧侶の格、読経のリズム、声量、少々見劣りするものであったことは否めない。
このような試みは初めてなのだろう、あちこちからの横槍を覚悟していたがやり切った。
鎌倉府の要人、相模守護三浦家、相模・伊豆の大身の領主、扇谷家の大森氏、常陸の小田家、佐竹家、上総武田家等が列席し、親父も得意満面の笑みであった。
当然妻達も同席したが、勝子は真宗のガッカリ感を受けて複雑な表情をしていた。二人とも楽器の開発には魅力を感じているようだ。
「本相寺には、ぜひとも勤行の見本となるような僧を寄越してもらいたいものです」
「立ちっぱなしは疲れるわねぇ。あの最初の人がすごかったね。あんなに高い声で、一時間も詠み続けるなんて、相当な修行したんでしょうね」
「浄土宗開祖の法然上人の直弟子安楽房や住蓮房の勤行は見事であったと聞きますが、かくやという勤行でありました」
そんな会話が聞こえてくる。
「揆一郎様、御世子様、ここにいらっしゃいましたか」
篝火にゆれる影を縫って大森寄栖庵が現れた。
「素晴らしい一日でしたぞ。これなら、どんな悪霊も浄化されたに違いござらん」
「御坊、態々ありがとうございます」
「いや、感服いたしました」
「ところで、修理大夫殿は変わりございませんか」
「いや、そのこと。当家は、修理大夫様から、勘気を
「何があったのです」
「米を売らぬ六浦を攻めよと。思い留まられましたが、顔を見たくないと仰せで」
「ははあ、今や六浦には、金はあっても米はないですから」
「そう申し上げたのですがな」
「では、鎌倉を攻めますか」
「鎌倉を攻めるには名分が立ちません」
「では、神奈河か? 上杉民部大輔顕実殿。修理大夫は古河と通じているのではないのか。民部大輔殿は、古河から来た関東管領家の養子だぞ」
「古河には、兵糧をよこさねば、神奈河権現山城を攻めると手紙を出したそうで」
「あの男は馬鹿なのか?」
「はは、馬鹿でなければ道灌を殺したりはせぬよ」
「これは、三浦介殿」
「一別以来でござる。舅殿」
ああ、殺伐とした話になっちゃったよ。
「白井城の上杉定昌殿が景春に襲われて自害したこともあれば」
「あれ、白井城の定昌殿も民部大輔だぞ」
「亡くなったので、養子に譲り受けたのでは?」
次は
「各々方、続きは、御所で致しませんか。はや、日も暮れましたし、吾妻達もいつまでも外にはおけませぬ故」
「おお。これは失礼いたした」
抗っても、歴史は進んでいくみたいだ。関東三戦の内二戦目が始まりそうだ。ここで止まればいいんだけど。
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