第二十六話 今川館で大宴会
かつて俺が知っていた歴史では、北条早雲つまり伊勢新九郎の年齢には諸説あった。永享4年生まれが定説とされてきたが、康正2年説が次第に有力となっていたように思う。この二説、なんと24年の差がある。何故このようなことになったのか。俺はこの時代に来て答えを知ることとなった。答えは単純である。早雲一人が成し遂げたことになっている事跡が、実は兄弟二人によってなされたものだからである。
兄左衛門尉貞興は、今川義忠の遺児龍王丸の家督相続の正当性を太田道灌引いては
貞興はその後、義政実弟の義視に仕えたが、応仁の乱において義視が西軍に走ってから、歴史からその名は消えた。俺は伊勢大湊で偶然にも遭遇していたが。
そして今、弟の伊勢新九郎盛時は、約定にもかかわらず龍王丸に家督を譲ろうとしない、
史実通りなら、決行は11月9日。
今川館を占領した新九郎は、早々に龍王丸母子を呼び寄せ、元服した龍王丸が今川家家督を相続することを宣言するはずである。
実は、10月20日に龍王丸は印判状を発行し、駿河の国衆に自分が国主である旨主張している。
小鹿範満側は、そのため警戒して、今川館に人数を集めていた。11月朔日は大潮の日で、満潮になれば安倍川をたやすく遡れるからである。11月朔日、二日、三日と警戒したが、襲ってはこなかった。そこで、兵を解散したのが六日であった。8日、9日は大潮どころか小潮である。船で兵を駿河府中まで運ぶならば、最も避ける日であるはずだった。
伊勢新九郎が拠る石脇城は、小川湊の至近である。小川から駿河府中までの道は、一旦山へ向かい、今川家重臣岡部氏の領地のあたりで、東海道へ出て東進するのが一般的である。しかも、安倍川の手前には、龍王丸親子の拠る丸子館がある。普通に考えるなら、東海道を進軍するものと思われた。だから、安倍川のすぐ前の狩野山砦に人数を集めた。海沿いにも
江浦三津の楠美宗右衛門丞が目通りを願っていた。
「
「長谷川殿が申しますには、府中へ直接参上されては如何かと」
「では、一旦小川湊まで行き、船を替えて安倍川を上ろう。なに、貸し船の代金さえはずめば嫌とは言うまいて」
そして、その日がやって来た。
小川湊から平底船に乗り換えて、安倍川河口を目指す。
この時代の河川は、水運の為整備されている河川が多く、曳き馬が通る道が川沿いに作られ、川岸の岩は船がぶつかって破損しないよう、かたずけられたり、周りを板で囲ったりされている。安倍川もそうであった。
ツツ丸がいつの間にか、隣に立っていた。
「分ったか」
「払暁に奇襲し、小鹿側は半数が討ち死に。新五郎範満殿、孫五郎範慶殿、兄弟ともに自害し果てたとのことです」
「小鹿郷には兵は出したか」
「いえ。兵は館に留め、新九郎殿は、新五郎殿の首を持ち、丸子谷へ迎えに行ったとのことです」
「兵は乱暴してはおらぬか」
「いまのところは。大道寺という者が指揮を執り、館を清めているようです」
よし、予定通り。
「では、手筈通りに」
ツツ丸の気配はいつの間にか消えた。舟の上だというのに器用な奴だ。
法栄長者こと長谷川次郎左衛門尉正宣は、小川湊を仕切るだけのことはあり、彼の号令で、船頭がきびきびと動く。総白髪のいつも笑顔を絶やさない常の在り様からは随分と印象が変わる。正史では子孫に火付盗賊改という庶民に人気の職分に就く子孫が出るのも納得である。やがて、舳先に綱が結びつけられ、川岸の馬がゆっくりと歩きだす。ほーいほーいと馬借が馬を促し、舳先に陣取った船頭が、岸に竿を突きながら船団が進みだす。
駿河府中のにほど近い渡し場で、荷を舟から荷車へ移し替える。
馬借に借りた馬に乗って進みだす。足利二両引きの紋を染めた旗指物、源氏の白旗、そして俺の馬印は歯が上向きの櫛、いや千把扱きだ。
駿河府中の街に入ろうというところで、大柄な武士がバラバラと数人出てきて、立ち塞がった。
「お待ちを、拙者は今川家家臣伊勢新九郎の家人にて、多米玄蕃允と申す者。府中街内では小競り合いがあって、出入りを止めさせているところ。いかな用事にて府中へ立ち入らんとするか」
俺が進み出ようとして、長谷川法栄に止められた。
「これはこれは、多米殿ではございませんか」
「あ、長谷川様」
「多米殿がここに居られるということは、新九郎殿は上手く事を済ませたようですな」
「はっ」
「こちらは、関東公方様の御世子、足利相模守政綱様であらせられます」
「えっ、鎌倉公方様の御世子様」
このガキがと小さく呟いたのを俺は聞き逃さなかった。とりあえず下馬しておこうか。手綱は握ったままで、と。
「この度、龍王丸様が正式に今川家をお継ぎあそばす事となり、祝辞を言上にまかり越しましてござる」
俺が言うと、ひっ、と言ったまま、黙りこくってしまう多米玄蕃。
まあ、ここで足止めされる理由がないので、横すり抜けて通っちゃおうかなと考えていると、後ろから声を掛けられた。
「これは、相模守様ではございませぬか」
「これは伊勢殿。一別以来でござる」
馬上からあいさつしたのは、伊勢新九郎に違いなかった。
「はて、駿河府中にお出でとは、何の御用で」
「龍王丸殿の元服と今川家当主並びに駿河守護職就任の祝辞を言上しに参った」
「おう、これは。御屋形様、お聞きになられましたか。早々に関東公方家から祝っていただけるそうにございますぞ」
人好きのする笑顔は変わらない。伊勢新九郎といるとどきどきする。高揚する感じだ。
流れるような所作で下馬する新九郎を見ていると、若い武家が馬に乗り近づいてきた。まだ、前髪がある。ひょろっとした貴公子という印象。これが新九郎の『御屋形様』、龍王丸、今川氏親か。
ふわっと、下馬した龍王丸に黙礼する。
「お噂はかねがね。叔父上から伺っています。初陣では大変な武勲を上げたそうでうらやましい限りです」
「いえいえ、武勲など。偶々ですよ」
「態々、祝っていただけるとか、ありがとうございます」
「では、今川館へまいりましょうか」
そういうことになった。
その日は休んで翌日に、祝辞を述べることとなった。
新九郎には目録と、書状を渡す。
「これは、上申書でござるな」
くるくると、開くと、関東公方の親父の花押がでてくる。
「む。名前が書いてござらぬが」
「そこはそれ、まだ、真名を存じ上げませんから」
「では、ここに御屋形様の名を書き入れれば」
「はい、駿河守護職となります。正確には公方様への推薦ですが。滞りなく元服された後、私が書きましょう」
「ありがたき」
色々と話し合ったが、概ね申し出は受け入れられた。
関東公方家は龍王丸が今川家を継ぐことを認めること。
小鹿新五郎の世子を犬懸上杉家の養子とし、後継させること。
小鹿家の領地は今川家が差配すること。
今川了俊公からの悲願。遠江領有に当たっては、公方が納得する名分を用意すること。
豆駿国境の確定。
だが、ただ一つ断られたものがある。伊勢新九郎の安房守護代就任。やはりだめだったか。
翌日、龍王丸は元服し、今川氏親となる。まだ官位はないが早々に奏上する予定だそうだ。今の名乗りは上総介であるが、歴代当主が名乗った治部大輔にすぐなるだろう。
そして、宴が極まった頃、誰かが見つけ出した、悪魔の一樽。そう、カス取り焼酎である。
その夜、侍達の苦し気なしかし嬉しそうな
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます