第二十五話 戦雲迫る今川館
里見の追っ手(?)を引き離し、城ケ島を波除けにした三崎南湊に入ったのは、翌払暁後であった。三崎周辺は海岸は岩場だらけで、暗い中で船を動かすなど、座礁の危険が高くもってのほかなのだ。
そして、城ケ島砦で待ち構えていた、関戸播磨守に捉まりしこたま絞られた。新型船の試験航海はその日のうちに寄港する予定だったのだ。
その横では、正木監物が三浦の御隠居にお主が付いていながらと、絞られている。
「播磨、頼みがある」
一息入ったところで、口を挟んだ。
「なんでございましょう」
「水夫達に江川の澄酒を飲ませる約束をしている。飲ませてやってくれ」
それで、また怒られた。
「おお、器の底が見える。こんなきれいな酒は初めてですよ、御曹司」
「本当だ」
口々に江川の澄酒を賛辞する水夫達。すでに甕の口が開いており、あまり量はなかったが、一合升で一杯以上にはある。
「ああ、でも若様。あの上手回しってのは気持ちいいですね。風上に向かっても漕ぎもせずに進むってのは堪らねえ心地よさで」
そうだそうだと、水夫連が異口同音に同意を示す。
「その代わり、帆の向きを変えたり動かぬように抑えたり、風向きを子細に見るという、今までにやっていないこともしなければならないだろう?」
「それでも漕ぎっぱなしに比べれば雲泥の差ですぜ」
「ただ、風の強いときは帆柱を持っていかれそうになる。廻船に使うなら帆柱はしっかりと付けたほうが良い」
「それに、揺れも大きい。船底に錘でも付けたほうが良いんじゃねえですかい」
「錘なんぞ付けたら、詰める荷が減るだろうが」
「舵を切ったときに傾きすぎて、荷が落ちたり、船が沈んだりするよりは良いでしょうよ」
「儂は、もっとあの船を作ろうと思っておる。みな、思うところをもっと聞かせてほしい」
「へい!」
城ケ島砦の広間に海の男たちの蛮声が響き渡った。
「播磨、アレも開けろ」
「
「ああ、カス取り焼酎だ」
「一応持って来てはおりますが、・・・ 酒としてはただ、強いだけのものでございますぞ」
いつのまにか、水夫に混ざって酒杯を重ねている三浦家の御隠居を顎で指した。
「ああいう御仁は早く潰すに限る」
「さあ、皆、これを見ろ。江川の新しい酒だ。澄酒とは違うがこれも澄んでいる酒だ。酒精が強いが飲みたい奴はいるか」
「おお、俺が、俺が飲みますよ。若様」
「なんだ、監物か。三浦の家は呑兵衛がそろってるな。ほれ」
一合升に、酒粕に一度 水を加え蒸留した粕取り焼酎を入れて、監物に渡す。監物は止める間もなく一気に升の酒をあおり、そして盛大に
ゲホゲホと咽る監物を言葉もなく見つめる一同。ようやく、収まると、監物はきらきらとした視線を向けてきた。
「すげえ、すげえですよ若様。こんな強い酒飲んだのは初めてだ」
そうだろうな、五回も蒸留したって聞いたぞ。
「おめえら、こいつはすげえぞ。一気にカーッとくる」
「おお、そうか俺にもくれ」
「なんだ、ご隠居。年寄りにはこの酒は毒だぞ」
「なに言ってやがる、さっさと寄越せ」
三浦の御隠居も盛大に咽る。
「ははは、年寄りには無理なんじゃねえですかい」
「ああ、言ったな。おめえが飲んでみろ」
「待ってました!」
一気にあおって盛大に咽る。その繰り返し。大騒ぎ。
本当は傷口を消毒するためのものなんだけどな。ま、いいか。
俺は酔っぱらった
「
堀越の一室で、お松が赤子の世話を焼いている。お松の子ではない。もちろん俺の子でもない。
先の三浦介、三浦の御隠居が遅くに作った男子である。後の名前は三浦高教。彼の事跡はほとんど伝えられていない。
三浦聖庵は、養子の高救やその嫡子義同と折り合いが悪く何度も争っている。だが、それは相模の安定のためには都合が悪い。守護家が内訌などあれば、それこそ周り中から狙われる。そこで、隠居の聖庵とその子とその母、ごと堀越に引き取ったのである。
聖庵は親父の御伽衆という位置づけである。また、親父の側室の一人が臨月近いこともあった。赤子の世話の予行演習という意味合いもあった。この子は、史実では常陸の小田家に養子として入り、小田家中興の祖と言われるほどの活躍をするはずだったが、今回はどうなるのだろう。
その聖庵は、俺と親父と密談中である。
「
「小鹿殿は相変わらずか」
「北川殿にしてみれば気が気ではなかろう」
「駿河一国と副将軍の家、新五郎殿に背負いきれますかな」
「代守護としてこの十年、目立って功績があったわけでもございません」
「
「理は、龍王丸殿の方にあります。先代公方様の御内書まであるとか」
「では、新五郎が龍王丸を攻めれば謀反人ではないか」
「ですから、自分からは攻めず、安部川の対岸、狩野山砦に兵を集めているとか」
「強引に通るには相当な兵力が必要。安部川を挟んで駿河が東西に分かれて戦うか」
「ですが、小川湊近くの石脇城に、伊勢新九郎が入ったそうです」
「なんじゃ、その伊勢新九郎とは?」
「幕府執事伊勢の分家筋とか。北川殿の実弟だとか」
「ふむ……、いやまて、京からの帰りの船に乗っていた者がそんな名であったな。茶々丸とよく話して負った」
「犬懸の爺についてですが、新五郎殿の妻子を庇い犬懸の養子に入れるのは如何でしょう」
「治部少輔(いぬかげのじい)は、後継ぎはおるのか?」
「はて、聞いたことがないですね」
「では、決まりじゃな」
「して、何時になる」
「おそらくは、年貢納めの時期も終わる11月の満月前後の大潮に合わせて安部川をさかのぼり、深夜に館に攻め込むものかと」
「よし、そのように準備しよう」
俺は、
「これは、これは、御曹司。やつがれに何の御用事ですかな」
楠美宗右衛門は、堀越で顔を合わせることが多くなったが、今川館への出入りを止めた訳ではない。両属というやつである。俺が龍王丸の家督相続を示唆したものの、一向にその気配がないので戸惑っているのだろう。
「小川湊へ向かう。それなりの人数を連れていく。無事に丸子谷(まりこだに)に入れるよう手配いたせ」
「ま、丸子谷にございますか」
素っ頓狂な声を上げた。
丸子谷とは、龍王丸が母とともに逼塞する地のことである。
「うむ。龍王丸殿も元服を迎え、いよいよ今川の家督を相続なされる」
「なんと!」
「小川湊の長谷川法栄とは、懇意にしていよう。まずは、小川湊に話を通せ。十一月九日には小川湊に大舟を入れる。宿の手配を良しなにとな」
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