第三章 伊豆の内政

第十七話 ここまでを伊豆とします

 焼津で伊勢新九郎と別れた俺たちは、その日のうちに三津内浦に着いた。上手く黒潮に乗り、風も良かった。

 親父や俺と妻達、左京は松下三郎右衛門尉の屋敷に、鈴木兵庫率いる三津衆、河内丹波の下田衆は湊の宿などに分宿することにした。松下屋敷には、関戸播磨が待っていた。


「茶々丸様。|月代(さかやき)が・・・」

 播磨守が俺を見て、絶句している。親父が笑いながら解く。

「茶々丸は、みやこで元服した。大御所、東山殿のたっての願いでの。官位も併せて頂いた。これからは、相模守政綱と呼ぶように。烏帽子親も東山殿じゃ」


「なんと、先代の公方様が・・・」

「うむ。茶々丸という幼名もいわば、東山殿がつけた名であった。清丸の出家があったにせよ、茶々丸を連れて上洛するように言われたは、大樹様の元服を仕切ったのが、御台様であったからということもあるのじゃろう。いずれにせよ、そなたらの用意した金があってこそじゃ」


「しかし、相模守でございますか」

「儂が、奏上を願った」

「扇谷家が黙っていませんぞ」

修理大夫上杉定正は、忠臣を謀殺し、世を騒がせたかどで守護にふさわしい家ではなくなった。守護は、三浦じゃ。三浦介みうらのすけに使いを出さねばならぬ」


「三浦が相模守護。三浦に使いですと?!」

 呆然とする関戸播磨守に、俺も笑いかける。

「関東管領山内家へも、小田原の大森家へも使いを出さねばな。播磨よ、元服しただけではない。嫁も来ることになった。早々に祝言を挙げねばならぬ」


「なんと、嫁御料まで!」

 所在なしに立っていた、松姫、勝子を紹介する。

「松殿、勝子殿、関戸播磨守じゃ。この男が儂の傅役もりやくじゃ」

 振り返って関戸播磨へ。

「そして播磨、細川京兆家の姫、松殿じゃ。そして、本願寺蓮如殿のご息女、確か、十一番目の姫であったと思うが、勝子殿じゃ」


 どすんと、いきなり播磨守が膝から落ちた。見れば両の眼から滂沱の涙である。

「元服どころか、嫁御寮まで。それもふたりとは。これは、夢でござろうか?」

「まあ」

「面白い傅役でらっしゃいますのね」

 姫二人は、顔を見合わせてころころと笑った。いつの間にか、本当にこの二人は仲良くなった。まるで、実の姉妹のようだ。


 親父と俺は、湊正面の屋敷の主、三津を差配する松下三郎衛門の歓待を受けた。

「無事のご帰還、重畳にございます」

「大分、船も増えているようじゃ。水軍衆のあがりも多かろう」

「韮山や大社三島大社への荷は内浦で大船を泊めて、川船に積み替えますが、御所様が御朱印を出されましてから、今では、積み替えのための空いている浜を探すことが困難なくらいでして」


 ゴールドラッシュで、米をはじめとする食糧、反物、鉄等物資が集まってきているようだ。

「松下殿」

 おれは口を挟んだ。

江浦えのうらはどうじゃ?」

「多比の浜が使えれば、楽にはなるでしょう。しかし、江浦は楠美が仕切っておりますし、楠美家は今川に出仕しておりますれば」

「明日の朝、楠美に寄りたい。人を出して欲しい」


「楠美に、でございますか」

 まじまじと三郎衛門がおれを見る。眼は逸らさない。

「明日の伊豆のためじゃ」

「かしこまりました。私も、相模守様にお供いたします」


 親父が、うむと頷くと、後ろを振り返った。

「左京」

「管領殿への使い、頼むぞ。」

「はっ」

四郎関東管領殿が参らずとも、お主は堀越に戻るように」

「御意に」


 楠美宗右衛門丞の屋敷は、江浦湾の北端、江浦の浜にあった。

 俺達を出迎えたのは、商家の旦那風の初老の小柄な男だった。

「楠美宗右衛門丞でございます」

「堀越の足利相模守という」

「これは、関東公方の御世子様。本日は何用で」


「伊豆、駿河の国境だがな。律令の頃から、黄瀬川と決まっておるな」

「はい、それが何か」

「当家は伊豆の裁量を行って居るが、黄瀬川が狩野川と合流したその下手の国境についてはどうじゃ」

「江浦までは、駿河。内浦から南は伊豆と存じますが」


「いやいや、それがな」

 話しながら、懐から奉書を取り出す。これを待ってから、京を出立したのである。

「儂も、疑問に思った故、上洛の折に朝廷にお尋ねしたところ、返事があった」

 奉書を差し出す。

 宗右衛門が、三拝して、読みだす。


「こ、これは!?」

「黄瀬川の下流は狩野川が国境である。そう書かれてあるじゃろう?」

 震えながら、目を皿のようにして、何度も読み返す宗右衛門。銭百貫でなんとかなったが、領地はせいぜいが五十貫だろう。目の前の利しか見えぬものには理解できまいよ。

「は、はい」

「関白様の名も花押もある。これ、何度読み返しても変わらんぞ」


 返せと手を差し出すと、土下座するように、奉書を返してきた。

「ついては、堀越へ出仕するように。韮山に店を出してはどうだ? ああ、そうだ。伊豆の御用湊は三津だが、内浦、江浦、西浦のことだそうだな」

「は、はい」

「大舟が来ると、荷の積み替えの場所が足りなくなりそうだ。三郎衛門と浜の区割りを話すと良い」

「し、しかし」


 口では何と言おうと理に敏い商人ならば、朱印状の船荷が呼ぶ利についてはすぐ気が付く。韮山からは陸路で宇佐美、伊東、熱海、水路で修善寺、大社から箱根を超えて小田原、秦野とつながっていく。何しろ、ゴールドラッシュに乗り遅れかけてるからな。内心は焦っていたはずだ。


「なに、駿河のことなら、心配はいらぬ。年内には、龍王丸殿が家督を継がれるからな」

「す、すると、小鹿おじか様は?」

「武勇に優れた方だけに、惜しいな。犬懸いぬかげの縁者でもあるしな」

「え、そ、それでは」


「龍王丸殿が家督を継ぐのは、京の公方様も認めたこと。武勇に優れた、小鹿殿が配下になるは、なんとも頼もしい限り」

 宗右衛門も三郎衛門も呆然と俺を見ている。

「宗右衛門殿。香貫山の西、狩野川の南は伊豆じゃ。努々ゆめゆめ忘れぬようにお願いしますぞ」

 獅子浜には、綿花を植えてもらおう。綿花は、塩に強いはずだ。半士半商の楠美宗右衛門利用させてもらおう。実入りは相当に良いはずだ。


 龍王丸殿には今川の後継を支持する旨手紙を書こう。

 伊勢新九郎にもだ。兵は送れないが、金を贈ろう。小鹿は野心が大きい小物だ。扇谷に操られれて裏切られるのは困る。さっさとつぶれてもらうに限る。龍王丸は今川氏親だったか、今のうちに恩を売って、伊勢新九郎が伊豆を攻めないようブレーキになってもらわなければ。


 あ、そうだ。

「ツツ丸」

「はい、何でございましょう」

「肉が食いたい。何とかならぬか」


「獣の肉ですか。我が里で手に入りますが、臭いですよ」

「構わん。根生姜と煮れば臭みは何とかなる。儂は、大きくならねばならぬ。今のような、麦飯と野菜だけでは、たんぱく質が足りない」

「丹波の?」


「あとは小魚じゃこだな。カルシウムも足りない」

「じゃこが軽石ですか」

「そうだ。鹿か猪、兎でも良い」

「当たってみましょう」

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