第十八話 酒と銅と塩と
俺と、お松、勝子は、堀越御所で祝言をあげた。
堀越御所に帰ってから二週間ほどしてからのことである。
勝子はまだ体ができていないので、床入りは先に延ばした。『代わりに私が頑張る!』とお松は変なところで気合が入っている。実のところ、俺はそんなにやりたいわけでもない。身体の成熟はまだ先なので、急いで子供を作る必要もないと思っている。実際今子供ができたとして、十二歳差だから、年の離れた兄弟にしか見えないだろう。
余談だが、週という概念はこの時代にもある。唐の宿曜経という経典に七曜が書かれていたらしい。唐から持ち帰ったのは空海であるとのことだ。陰陽寮が発行する具注暦には曜日が記載されているらしい。京にいる間に見たかったが、実物は見ることはできなかった。
とはいっても、吉凶の判断に使うだけで、日曜日が休みとかではないのが不満ではある。地方では暦は、農作業に関連したものでしか一般には使われることはない。京周辺では、皇族や公家を中心に知られてはいるが、暦として意識してはいないことのようだ。
祝言の席で振舞われた酒は、後世有名になる江川酒であった。韮山の町でも有名な土豪で造り酒屋でもある。親父は月に何度となく注文を入れる上客と言って良い。江川家は鎌倉からの名家であるが、韮山に移住してからは代々酒造を生業としている。
その、親父が注文した江川酒だが、面白いことがあった。
京から戻ってから父はあまり義母の部屋に渡らなくなっていたらしい。関東のあちこちの大名が娘を送ってきたのである。金のせいで羽振りが良くなったのをみて、古賀公方と関東管領が和睦していることもあり、縁をつなごうとしたのであろう。若い娘が何人も側室となっていたのである。
それに、俺が元服し嫁を貰って、潤丸は細川京兆家に養子に出すことになりかねない。義母としては堀越御所内での立場が微妙なことになる可能性を感じ取ってか、イライラしていたのであろう。送られてきたばかりの甕の栓を開け、そばにあった火鉢から一掴み灰を放り込んだのである。火鉢も夏だというのにしまいもせずに
火鉢の灰はもともとは木灰であって、水に溶かすとアルカリ性になる。日本酒は醸造した状態では酸性なので、灰を投入することによって中和してしまい、濁りが沈殿して澄んでしまうのである。いわゆる灰持酒になったのである。
それからは大騒ぎだった。午餐時に親父が酒を飲もうとして、女房に命ずると、「御台様が酒甕に灰を入れてしまいました」といって酒を出すのを渋った。義母は、親父に怒られるのを予想してか、部屋から出てこないでいる。
たまたま傍にいた俺が見に行かされた。確かに、甕の縁が灰で汚れて上蓋が持ち上がっている。灰を、きれいに拭いて金てこで、上蓋をこじ開けると、予想していた、灰が混じり黒っぽくよどんだ酒ではなく、灰が底に沈んでいるものの、やや黄味がかった澄んだ、俺の前世の記憶の中にあるような日本酒だった。酒というとこの時代、
柄杓を借りて酒を掬い、掌に零して舐めてみても別に変な味はしない。土瓶を貰い、柄杓の酒を入れ、親父に出すように言う。人をやって江川家の主を呼ぶようにし、親父のもとに戻った。
「舐めてみましたが、問題はなさそうです」
「これが、酒なのか?」
「水のように見えますが、香りは酒です」
「ふむ、いつもよりも良い香りのようだ」
つと盃に口をつけ、舐める。なにやら、考え込むような顔をし、二度、三度と盃を傾けた。
「うまい!」
親父の様子を息を詰めて見つめていた皆は、ほっと息をついた。
俺は、親父にもの申すことにした。
「父上」
「うむ?」
「お手柄は義母上のものにございます。」
「う、うむ」
「なれば今宵は、義母上のもとにお渡りください。これからも武者小路家秘伝の澄酒を飲みたいのであれば」
「う、分った」
「経緯はどうあれ、澄酒を造りだしたのは義母上ですから」
江川家は、偶然できた澄酒に驚き、次の仕込みには大々的に澄酒を造ることにしたようである。
その日偶然出来上がった澄酒は、主だった家来やら、客やらに飲ませると、当然水で割って供したのだが、一甕はあっという間になくなった。その後、澄酒の製法はは堀越足利家、伊豆江川家の秘伝となり、大いに人気を博することになる。
韮山の町や堀越御所のある狩野川流域 は、人口のわりに米が良く取れて、余った米で酒を造っていたわけだが、この酒が売れすぎると、米が足りなるかもしれない。米の集散地を抑える必要が出てくるかな。その時は、大名のいずれかと闘わなければならないだろう。
俺は下田へとやってきた。
丁度、伊勢屋に発注していた、銅が届いたこともある。ツツ丸と小姓連合わせて十人ほどで、内浦から下田へ船で向かう。
博多には、銅が貯め込まれていた。李氏朝鮮との交易目的で集められていたのだが、李氏朝鮮が銅を初めとした交易を縮小しつつあり、行き先を失った銅が山ほどあったのである。史実では博多の商人達の圧力により
下田では、秘密裏に銅塊から、灰吹き法で金、銀を取り出させている。純度が高くなった銅は、鍛冶に命じて銅板を大量に作らせている。銅板は、船底に張り付けるのである。
船底に銅板を張ることで、銅が酸化して生じる緑青から亜酸化銅が海水に溶け出し、これが海洋生物に対し毒性を持つためフナクイムシの付着が妨げるのである。木造船の寿命は、フナクイムシが木の内部を食い荒らすことで極端に短くなる。外洋で脆くなった木製の構造板が破損し、難破でもすれば貴重な水夫の人命が失われる。新造船の船底に銅板を取り付ければ 、伊豆の木造船は寿命が長くなり、他の地域の水軍衆に保有船数で一歩長じることができるだろう。
「御曹司、まだまだ、銅が余りますぜ。どうするんですか? こんなに」
「ん~。銭でも作ろうか?」
「関東公方様が私鋳銭とはまずくないですかね」
「そうかな。良い腕の鋳物師がいればできると思うけど」
「あ、船具作ってくださいよ。銅だったら、鉄みたいに錆びないみたいだし」
「そうだね。そのほうが良いかな。そうすると、錫が必要だな」
次は塩だ。伊豆は三方が海である。塩を作っていないわけがない。
といっても、下田には大規模な揚げ浜式塩田や入浜式塩田を作るような余裕のある砂浜はない。
だから、海岸の崖に流化式塩田を作った。
そんなところに、どうやって海水を汲み上げるかだが、竹を組み合わせて二〇メートルほどの太い竿を作り、その先端付近に五升樽を縄でぶら下げる。五升樽の一方の縁には銅板を張り付け海面に横向きで落ちるようにして置く。竿の反対側は、支点を丈夫な鉄で作って、根元には大量の重りを掛けられるようにしておく。
そう、これは跳ね上げ釣瓶である。錘を少し外してゆっくり樽を海面に落とすと樽に海水が入る。錘を掛けると、驚くほど小さな力で持ち上げることができる。海水から樽を持ち上げた状態で、支点の丸太をゆっくり回してやり、竹枝を束ねて重ねた枝条架の上の受け皿に、樽を傾けると海水が受け皿に入る丁度良い高さに、樽が移動してくる。丈夫な鉄杭を埋めて芯に途中まで穴をあけた丸太を被せて支点の基盤にしたんだが、ここが一番大変だった。
そこで、ゆっくりと受け皿に海水を零してやると、受け皿から枝条架に海水が滴り、太陽熱と風で水分を奪われ、濃縮された海水が、下の受け皿に溜まっていく。下の受け皿に溜まった、濃縮された海水を何度か上の受け皿に流して、濃縮しきった海水を鍋で煮詰めて塩にするのである。流下式の良いところは、狭い敷地で、少ない人数で、冬でも製塩できることである。
できた、塩は藁で編んだ
俺が上洛した二月から僅かな時間で、様変わりしたように韮山の町は人が多い。伊豆ゴールドラッシュの影響と、狩野川流域一帯の収穫が近いことがあるのだろう。だが、まだまだ人は増えてほしい。いろいろと作らせて貰おう。
韮山周辺の水田では、堺で仕入れて送ってあった、大豆が田の畔に、そこここに植えられているようである。今は韮山周辺だけだが、伊豆全体に広めたい。塩造りも伊豆の海岸に広めよう。にがりができる頃には、韮山周辺の田の畔に植えた大豆が収穫時期になるだろう。そうすれば、豆腐も作れるかな。
天城山中の風魔だが、小規模な金鉱を見つけ一息ついたところらしい。造船用の木を伐り下田や伊東に下す。比較的平たんな場所で軍馬の育成。様々なお願いをしていたが、もう一つ無理なお願いを聞いてもらった。
「
「そうそう、天城は水がきれいで冷たいから、沢ワサビができると思うんだ」
「はあ」
「ワサビは土に生えると、他の草木の生育を抑える汁を出すんだけど、そのせいでワサビも大きく育たないから、石造りの田に湧水を流して育てると良いらしいんだ。林間であまり日の光が当たりすぎないようにして、三年ほど育てたものが最上だそうだよ」
「しかし・・・」
「ああ、蕎麦に、刺身。ワサビ漬けもいいなあ」
「刺身ですか」
「そう、注文している雑賀の醤油がもう少ししたら届くと思うんだ」
「・・・・・・」
「伊勢屋に探してもらってるから、ワサビの苗はそのうち届くと思うよ」
「あ、苗は探さなくとも良かったのですね」
さて、次はもみすり器に挑戦しようかな。
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