第十六話 帰りの船で会った人
俺達が堺から出立しようとしていたときであった。
「関東様、相模守様」
呼びかける声に気が付いて振り向くと、船に乗り込もうとして、押さえられている侍が手を振っていた。
「
非常に気になる名乗りをあげた。それに、大樹の屋敷で見知った顔だ。
「御一人でいらっしゃるか?」
「や、お許しいただけるか」
「伊勢、政所執事、伊勢家の御一族か?」
「さようです。先日、大樹様の御前から
「致仕ですと。それはまた」
幕府の奉公衆であった者というので、親父に目通りさせねばならない。
「では、甥御殿をお助けになるために」
「はい、我が姉には随分と苦労を掛け申した。龍王丸殿も十六にござれば、いつ元服してもおかしくはなく・・・」
親父と会話に興じる伊勢新九郎を見ていると、くいくいと袖が引かれた。市女笠を冠った、細川家の姫、お松さんであった。
「旦那様、旦那様。あの方は?」
「伊勢新九郎盛時。北条早雲と呼ばれるかもしれない人だ」
「えぇっ、それじゃ、旦那様の敵になる人?」
「しっ。声が大きい。あとで説明に困るようなことで大声出すんじゃない」
「はあい。でも、いい男だね」
「女房も子供もいるはずだぞ」
「なぁにぃ~、妬いてくれちゃってんの?」
うりうり、と肘で肋骨あたりを小突いてくる。本当に、遠慮がない人だなぁ。
しばらくすると、右手で頬を押さえため息をつく。
「はあぁ、まるでスギリョーみたいよねぇ」
あ、思わず振り返る。それだ! 時代劇やディナーショーで世のおば様達の嘆息を誘った俳優にして歌手、スギリョーと呼ばれるその人の若い頃に、顔も声もそっくりだったのである。
「そ、そうだよね。本当によく似てる。サインとか欲しいかも」
「あきらめろ。他家の男衆との交流は厳禁だ。ミーハーか」
俺と松姫は軽口をたたきあう仲になっていた。松姫があの夜、夜這い攻撃をかけてきたからである。で、当然のごとく、男女の仲になってしまった。大胆というか豪胆というか。その折に、松姫の秘密を知ることになり、そして俺も秘密を打ち明けたのだ。お互い逆行転生者だったのだ。
「えへへ。やっぱり、嫉妬とかしてくれちゃったりする?」
「しらん。言葉遣いには気をつけろ」
「あー」
「いてぇ」
松姫が俺の脇腹を抓ったのだ。
「何するのっ!」
「悔しいなぁ。私はハジメテだったのに、茶々丸ちゃんは何人も済んでたなんてぇ」
「こんなところで、何言いだすんだよ」
「ああ、堀越御所の篠って人、羨ましい」
ああ、もう。時々変なスイッチ入っちゃうんだよ、この人。年齢は俺の倍なのに、てんで子供。
「ああっ! お姉さまっ ずるい。私だって、茶々丸様とナカヨクしたいのに!」
「あら、勝子ちゃん。だめよ、屋形に入ってなさいな」
「ああ、大声出さないでっ」
じゃれながら先日あったことを思い出す。帰途に向かう前日のことだ。
「え、潤丸を養子に貰いたいと?」
「さよう。我が右京兆家には男子は我しかおらぬ。そして、我は一生不犯を貫くつもりなので、跡継が居らぬ」
政元の私室に親父と共に呼ばれて相談を受けた。
「我が父はな、母を嫌いぬいておった。何か面白からぬことがあって、戯れに甚振るように一日だけ母を抱いて、そして我が生まれたそうじゃ」
「仁榮様(細川勝元の戒名は龍安寺殿宗寶仁榮大居士)がですか?」
「父は、私の能力を認めてはいたが、自分の子と思っていたかは疑問じゃ。聖徳太子の生まれ変わりじゃの天狗じゃのとは言うたが、頭をなでてくれたことも、抱き上げてくれたこともない。母は、我が子のことを物陰から怯えたように見るだけ。家臣や地下人の家族が子を慈しむことは知っておる。見ているし、聞いてもおる。じゃが、自分が信用できぬ。自分が子供を作ってあの父のような、母のような目で我が子を見るようになるのかと思うと、不安でたまらなくなるのじゃ」
「じゃから、儂は実子は持たぬ。しかし、家督のことがあるからの」
「では、あと五年」
親父が言いかけたのを、被せるように言葉をつける。
「いえ、七年。さすれば、潤丸いや、潤童子も十歳になります。その時に右京兆殿のお気持ちが変わらなければ」
新九郎は、愛嬌のある男だった。
船旅の間、誰とでも仲良くなった。コミュ
新九郎の話を聞きながら、思い出した。文明八年の浅間神社の和議というやつだ。
今川家と小鹿家の和議は八代将軍義政が認めている。幕府の奉公衆の仲介した和議だからだろう。だが、その時は、この伊勢新九郎は、幕府出仕前だぞ?
「その、今川家と小鹿家の和議。浅間神社でお立合いになったのは新九郎殿なのですか?」
「いやいや、某、その頃はまだ備中で寺の掃除をしておりましたよ。あれは、兄なのです」
「お兄様? あ、大湊の伊勢屋で伊勢左衛門尉貞興という方とお会いいたしましたが・・・」
「おお、我が兄とあっていなさるか。あの兄は、駿河から帰っていないのですよ。そうでうか、大湊の伊勢屋に」
行方知れず(?)だった、家族の消息を聞いて、心の琴線に触れるものがあったのだろうか、おれに対して今にも抱き着かんばかりの様相でこう言った。
「この舟は大湊には泊まりますな。兄に、会えるかもしれぬということですな?」
結局、大湊での兄弟の邂逅は叶わず、伊勢新九郎は、焼津で船を降りた。
これから兵を集め、今川屋形の
そんな大仕事がこれから控えていることなどおくびにも出さない、ひょうひょうとした後姿を、我々は宿の戸口から見送ったのだった。
ただ、困ったことが一つ。小鹿新五郎は関東府足利家家宰
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