第十五話 嫁さん二人

 目を覚ますと、俺の顔を覗き込んでいる少女がいた。おかっぱの同年輩の少女である。

 薄暗い中、にこにこと楽しそうな表情が印象に残る。

「あんはん、関東の御世子はん?」

「そうだが、君は?」

「とと様がいわっしゃった通り、可愛い男はんどすなぁ」

「な?」

 

 思わず起き上がると、コロコロと笑いながら、黒衣を翻して部屋から逃げて行った。

 耳を澄ますと、走り回る軽い足音と、それを追うような大人の足音、少女の笑い声そして『かつこさま、かつこさま』という声が響いている。

 してみると、あの少女が『かつこさま』なのかもしれない。


 ここは、京と近江の中ほど、山科本願寺の宿坊である。

 出陣は醍醐寺だったから、近江へ向かうのに山科本願寺を通ることはなかったが、帰りは最短経路を選んで、山科で一泊である。山科には広大な敷地を誇る山科本願寺があった。

 王法為本を唱える浄土真宗法主蓮如師は、本願寺を幕府軍の帰洛途上の宿とすることを快諾したのだった。

 

 蓮如師は真宗を巨大宗教集団にした立役者である。当年とって73歳。紀伊から帰洛したばかりとのこと。老いてますます盛んを地で行く存在で、紀伊に下向した際畠山氏の娘を娶り先頃13番目の娘が生まれたという。因みに男子は8人生まれており既に長男は遷化(死亡)なされているとのこと。


 昨夜は、蓮如師と会食(酒はなしだ)したのだが、師は正に人格者であったと思う。

 聞き上手であるという印象が強い。包容力のある人と思われた。

「蓮如師、仏の教えとは、突き詰めると何でございましょう?」


「『じょ』の心と思っております」

「『恕』とは?」

「許し、許されること。お互いを認め合い、思いやる心です」

「寛容の心ということでしょうか」

「いえ、寛容という受け身ではなく、もっと積極的にお互いを認め合うことこそが、『恕』と」

「なるほど」

 その心が門徒衆に伝われば、決して悲劇的な一揆など起きないだろうに。


 決して押しつけがましくなく、人の道を説く蓮如師に、すっかり感じ入ってもう少しで入信しそうな気持ちになった。

「私は、武家です。いずれ関東をまとめる立場故、蓮如師の言葉には感じるところはありますが、入信するわけにはまいりません」

「はは、よろしいのですよ。御世子殿。私は、生涯をこの道と定めた者。あなた様は、家臣、領民に責任を持つ立場にお生まれなさった。その位からすれば、改宗など、よほどのこと。容易く決めることではないでしょう」

「ありがたき、お言葉です」


 昨夜のことを思いだし、少し青くなった。

 蓮如師には、興奮した勢いで、いろいろと話したのである。王法為本の原則は曲げてくれるなとか、大名家の内訌には係わらないで欲しいとか、延暦寺や日蓮宗等のの敵対的宗派と、和睦すべきだとか、武家と争うのではなくむしろ取り込むべきだとか、そりゃもういろいろぶっちゃけた。歴史を知っているがための、暗示的な表現に終始したが、何かあった時に思い出してもらえばと思っている。でも、しゃべりすぎた気はしている。

 史実の一向一揆による虐殺劇、逆に一向一揆に対する根切り等のの悲劇は起こしちゃいけないと思う今気を付けるのは加賀だ。加賀の守護富樫氏を滅ぼし、国を占領するのはもうじきのはずだ。


 近江から帰洛の道は舟と陸路とに分かれた。

 将軍家と側近たち、細川一門といった、急ぎ帰洛の用がある者たちは船を使い、急がない者、船賃の都合がつかない者たちは徒歩あるいは騎馬で帰った。また、軍は直接返して、大名とその側近たちのみ上洛するもの、京に上らず直接帰国するもの等々。


 近江五百城というがそのうち半数は甲賀にある。甲賀一円の代表として、京極飛騨守高尚たかひさ殿は、蒲生藤兵衛を南近江の守護代に当てるらしい、蒲生は奉行衆となって、幕府にも仕えることになる。北近江は上坂氏になるだろう。もっとも、甲賀衆の内、望月、三雲、美濃部、山中といったところは、細川右京兆家に仕えることになりそうで、丹波に領地を賜り移住する家もあるとか。そうそう、六角行高は京の寺ではなく摂津の教行寺に入るらしい。一向宗の中でも修行に重きを置く寺らしい。


 山科本願寺に泊まった翌日、旅装を解く前に、政元から呼び出された。

 着替えも早々に広間に伺えば、細川の者だけでなく、親父を初めとして、伊豆から上洛した主だった者たちが揃っていた。


「関東殿御嫡子揆一郎殿におかれては、此度の戦では並ぶ者なき武功を立てられた。大樹様も、ことのほかお喜びでござる」

 政元が、大げさな口調で話し始めた。

「関東殿も、かように立派な跡取りが居れば正に将来安泰なれど。聞けば、まだ、娶わせる女子が決まっておらぬとか」

「は、お恥ずかしき次第にて」

 親父、何が恥ずかしいんだよ。まだ、数え十一だよ俺は!


「そこでじゃ。当家に、丁度嫁に行っておらぬ女子が一人おる」

 え、ちょっと待てよ。政元には子供はいないから、姉妹かな、従姉妹か? あ、姉妹といえば、いた。洞松院とうしょういんかっ? 細川勝元の娘だけど、不器量だったゆえに貰い手がなくて龍安寺の尼僧となっていて、明応の政変の直前に播磨守護赤松政家に還俗して嫁いで、当主亡き後女武将として活躍する人だ。赤松家での呼び名は『めし殿』生まれた娘は『小めし』。どこから『めし』なんて呼び名になったんだか。


 婚姻の際「天人と思ひし人は鬼瓦 堺の浦に天下るかな」との落首が京で貼られたんだっけ。でも、竜安寺ってああ、今まだ応仁文明の乱で焼けて、建て直し中だよ、寺の再建落成と同時に出家させられるから、まだ細川屋敷にいるのか。会ったことない筈だけど広いもんなこの屋敷、女子だけに奥から出てこないでは分からない。


「松殿。松殿を、呼び給え」

 ぽんぽんと手を打って、ここに当人を呼ぶようだ。あ、衆人環視の中で、絶対に断らせないつもりだな。


「松姫様、お越しでございます」

「よし、入れ」

 灰色の小紋模様の小袖に、なんとたすき掛けした背の高い女性が現れた。しかし、鬼瓦? っていうか……たしかこんな顔立ちの歌手とかモデルにがいたんじゃなったか。

「姉上、なんという格好ですか?」


「客人の食事の仕込みを手伝っておったら呼び出されたのじゃもの」

 女性は、塗れた手を白い綿布で拭いながら、言い訳を言う。

「大事な用があるから、着飾るとまでではなくとも、小奇麗にしてくださいと言い置いたでしょう?」

「じっとしておるのは、苦手じゃ。お客様のために動くのなら良かろうと思うたのじゃ」


 政元は、額に手を当て、深いため息をついた。こちらへと、座る場所を手で示すと振り返り、縋るような目で俺を見た。

「揆一郎様。これが、我が姉、松にございます」

「姉上、いつまで立っておる。ここに、お座りなされ。この、御仁が幕府関東総代世継ぎ足利相模守政綱あしかがさがみのかみまさつな様じゃ」

 俺は、軽く頭を下げる。顔を上げ、じっと見られていることに気が付いた。何かぶつぶつ言ってないか?


「ショタっこじゃない? 十一か二と聞いていたけど、にしては大きいわね」

 松殿から漏れた言葉にぎょっとする。何を言った、この女?

 まあいい、この時代では、相当な醜女と言われようとも、俺にとっては間違いなく美人に見える。この時代は切れ長の目、低い鼻梁、おちょぼ口、ふくよかなほほが美人で、零れそうに大きな瞳、鼻筋通った高い鼻、良く笑う大きめの口、すっきりとした頬にやや鋭角の顎の線、それらは不美人の造作だろうが、構わない。そして何より素晴らしいたわわな胸部装甲。歳は二十を一つ二つ超えた位か。


 親父を振り返ると鷹揚に頷く、俺次第ということか。

「この話、喜んでお受けいたします」

 政元に、一礼すると、虚を突かれたような顔。

「よ、よろしいのか? 茶々丸殿。我が姉は、ごらんの通り、不調法な上、醜女でござるが」

 パシン。御松様が、立ち上がって、政元に歩み寄り、後頭部を平手でたたいた。改めて感じる。背が高い。政元よりも拳一つ高いのではないか。

「この愚弟が! 姉のことを、不調法だの醜女だのと、お客様の前で」


「ま、待て、姉上。それこそ、お客様の前で・・・」

「あら」御松様は、我々を振り返り、にっこり笑って、更に俺にバチンと音が出そうなウィンクをした。

「ごめんあそばせ。ほらっ、来なさいっ」

 言うなり、政元の耳をつかんで、引っ張りながら部屋を出て行ってしまう。

「痛い、痛い、放して姉上。どうしてこうなるのじゃあ」


「アハハハハ」

 思わず笑ってしまう。

「父上、私は天下の右京兆殿よりも強い嫁御を頂けるようです」

「う、うむ。確かに」

「ふ、ふははは」

 親父も笑った。


 しばらくして、戻ってきた細川姉弟と話し合い、帰国前に祝言を上げ、伊豆でもう一度式を挙げることが決められたのである。

 そして、その翌日、俺に客があった。


 何人かの僧に囲まれ入室した客の名は、本願寺妙勝みょうしょう。通り名はかつこ。つまり、先だって山科本願寺の宿坊で俺の寝顔を覗きこんでいた少女である。彼女は、本願寺蓮如の11番目の娘であり、三番目の夫人如勝おかつのただ一人の子供であった。


 蓮如師の手紙をかつこは俺に渡してくれた。

 

 妙勝かつこの母如勝おかつ身分が低飯炊き女かったが子供の面倒をよく見る気立てのよい女で、二人目の夫人が死んで五年後位の時に周囲の反対を押し切って結婚したが、産後の肥立ちが悪くかつ子を産んですぐ死んだこと。


 かつこが、一度会っただけの俺の嫁になりたいと言っていること。反対すればそのまま家出しそうな勢いだったこと。

 正室にはなれないだろうが、側室でもだめなら、伊豆か相模に寺を建てて住まわせてあげてほしいこと。

 母親の身分が低いせいで、真宗の僧侶相手でも正妻にはなれないであろうこと。

 東国であれば、母親の身分など気にせず暮らせるのではないか。

 なお、先日の、俺の預言については、十分斟酌し今後に生かしたいとのこと。


 そんなことが、つらつらと書き連ねてあった。

「茶々丸様。 いえ、揆一郎様。 私を関東へ連れて行ってください」

 俺の何が気に入ったのだろう。真剣な面持ちで、俺に頭を下げる少女を見ながら、考えた。俺、前世でもモテたことなかったハズだよな。

 ただこの少女が史実では、蓮如師の弟子の妾とされ、不幸にも夭折する身の上であることを考えると、図らずも縁を得た俺に断りの言葉はないのであった。

 どうして、こうなった?

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