第十三話 初陣は鑓持たず

 藁葺きの屋根は雨音を消してしまう。

 だから、目が覚めたのは、風の音だったのではないかと思う。

 灯心の暗い明りを見つめながらぼうっとしていると、板戸をだんだんと叩く音がする。


「関東様。先刻より雨が落ちてまいりました。払暁には大降りになるとのことです。ご準備いたされたしと、我があるじ京極六郎が申しております」

「あい分かった。我が郎党にも伝えてくれるか」

「畏まりました」


 今何時だろう、時計が欲しいとか思いながら、具足を身に着けようとして、傍にツツ丸がいるのに気が付いた。湿った匂いがする。外に行っていたのか。

「六角勢が来ているのか?」

「まだ分かりません。備えておくに如くはなしと」

 手際よく、俺を手伝いながらツツ丸が答えた。

 

 一報が入ったのが、昼過ぎであった。3kmほど西の正福寺付近に騎馬の一隊が野洲川の渡河を試みているという。

「では、」

 と京極六郎殿が騎馬を半数連れて向かうことになった。残りは、家老の上坂治部丞が指揮を執るようだ。


 正福寺のあたりは支流がいくつか合流しており、渡河に適した場所ではない。そこにわざわざ騎馬が現れたとすると。


 さらに一刻ほどして慌ただしくなった。

「何が起きた?」

 鎧姿の上坂治部がやってきた。

「騎馬の一隊が横田の渡しに向かっているとのこと。直ちに出ます」


 部屋を出ようとして止められた。

「待たれよ、御曹司」

 あまり上背はないが幅はある、茶筅髷にひげ面のオヤジ、三津衆の鈴木兵庫である。

「我らは、どうすれば良いですかな?」


「ああ、この戦は手伝い戦。討死でも出て伊豆に帰れない者が出ては困る。我らは小勢故、京極勢に任せて、取り逃がしそうなら出張れば良い。俺の初陣であることなどは忘れろ」

「承知仕った」

 表を出ると、道に人数が広がって、通せ通さぬをやっている。すぐにも戦闘が始まりそうだ。


 道を外れて、争いに関わらぬように、渡し場へ向かう。渡し場を監視する位置であるはずのところに、兵が倒れている。3人? 張り番は2人のはず。一人だけ鎧を着ていない。透波か?

 近寄ると、左京が渡し場を指さした。

「揆一郎様、あれを」

 

 横田の渡しは、広い野洲川のなかでも狭い40mほどの川幅を渡る渡し場だ。葦原の中を小舟が二艘やっとすれ違えるほどの水路が掘ってあり、その水路を出ると野洲川の本流に流されながら進んで、対岸の野洲川の支流荒川の川幅を広げた対岸の船着き場のある合流地点へと着く。戻るときは、荒川から流されながら進んで、葦原の中を掘った水路を通って渡し場まで戻る。夜や、大雨の時は渡しに使う小船はしっかりと杭に結わえつけられ、流されないようになっている。


 その小舟を結わえてある綱を鉈で叩き切ろうとしている男がいた。いかにも上級武士といった武装である。焦っているのだろう、時折あたりを見回す。そのとき、兜飾りが見えた。

「あれは、隈立四つ目すみたてよつめ。六角家の紋所です」

 飛び出そうとした。渡河を阻止なければ。しかし、いつの間にか両肩に回されていた、左京の腕にがっちりと固定されたようで動けない。


「あれが六角四郎なら捕えねばならぬ」

「いかにも。しかし、揆一郎様が自ら出ることはなりません。丹波殿」

「おうっ、お任せあれ」

「渡し船で難渋されているお方に、若殿が事情をお尋ねになりたいと仰せじゃ。丁重にお連れいたせ」

「畏まりました」

 下田衆の切り込み隊として名を馳せた、簡易な鎧姿の7、8人が駆け出した。


 立ち塞がるように、どこからともなく4人ほどが現れ、道を塞ぐ。

「三雲の透波かっ!」

「鈴木殿。頼み申す」

「任されよ」


 鈴木治部が腕を振るうと、三津衆が下田衆の助勢に駆け出すと、透波は下田衆の邪魔どころではなくなる。たちまち手傷を負って、囲まれてしまう。下田衆はその隙に船着き場へ向かう。

 ふいに、左京の手の圧力が消えたので、振り向くと、左京が男を切り伏せたところだった。

 誰か後ろに立ったなんて分からなかった。それにしても、凄いな長尾左京。


 小舟のもやい綱を叩き切っていた武将は、水路に船を押し出していた。下田衆は間に合わなかったか。

 下田衆は、川に踏み出すと、腰まで水に浸かってしまい、葦の群生地であることも手伝って、うまく進めないようだ。

 水かさが増えていく野洲川。小舟に乗った武将が竿で葦の原を突いた。ズボッと竿が埋まるだけで推進力にはならず、小舟は進まない。雨で水かさが増え、濁ってしまい、突くべき場所が見えないのだ。


 それでも、何度も突いて小舟はゆっくり進みだす。水かさが増え流れが速くなった本流に舟が出ようとしたとき、ピイと音が聞こえた。

 指笛。ツツ丸の指笛だ。ツツ丸はどこだと探すうち、視界の端を何か大きいものが動いた気がした。


 丸太だ。一抱えもある、長さが5メートルはある丸太が、野洲川を下っていく。

 小舟に乗った武将は、前を見ているので、丸太には気が付かない。


 それは、スローモーションを見ているようだった。

 小舟の舳先に、丸太が当たった。ゴッと鈍い音が聞こえた。立膝だった武将が、尻餅をつき、驚いて川上を見る。そこに、今度はともに丸太が当たり、小舟は大揺れに揺れて、武将は、頭から川に落ちた。


「お助け申せっ!」

 おれは、思わず叫んでした。

 丸太が流れきってから、下田衆が武将を川岸まで引き上げた。

 足場が悪いうえ雨で増水した川、しかも葦原の中を人を運ぶという難事であったから、川岸までかなりの時間が経ったように思えた。


 急いで、駆け寄った。その武者は息をしていなかった。脈は、えーい、分からん!

 兜を外すと、若武者といって良い歳と思われた。

 頭を、道から突出し、斜面に出す。よし、気道確保っ。首の下に手頃な石を置く。鎧は、小札鎧だから動くだろう。

 胸の中心に両手を重ねて、渾身の力を込めて押す。ひとつ。


「若、何をしてらっしゃるんで」

 河内丹波が、聞いてくる。もう一回押して、ふたつ。肋骨が折れるほどの力で押すこと。

「蘇生術!」

 もう一つ押して、みっつ。叫ぶように答え、人工呼吸を続ける。

 三度押し、深く息を吸って、口を合わせて息を吹き込む。また、三度押し……


 十セット以上続けたろうか、若武者は不意に激しくせき込みながら水を吐き出し、海老のように体を反らしては咳を繰り返す。どうやら、蘇生したようだった。

「縛っておけ」

 吐き捨てるように言って、立ち上がると、目の前にツツ丸がいた。

「どうしたんです? 若様」

「あんにゃろうの口、すっげえ臭かった」

「あっははは……」


 こうして、俺の初陣はじめてのたたかいは、槍も刀も振らずに終わったのだった。

 

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