第十二話 野洲川の横田の渡し
「揆一郎殿。後程ゆっくり話がございます」
周りの嘲りを含んだ視線から隠れるように身を竦ませ、俺は頷くしかなかった。
案に相違して政元の私室で叱責はなかったが、図らずも、風魔衆の話をせざるを得なくなった。
そして、甲賀衆頭領格の望月家当主、望月三郎の書状も見せることになった。幕府軍に敵対しない旨内諾しているのだ。
だが、政元の興味は別のところにあった。
細川家の陣屋(俺も間借りしている)の広間の中で、細川の家人に気づかせずツツ丸に気配を消して行動させたり、小道具を見せたりして、大いに喜ばれた。そうだった。この人は魔術オタクだったのだ。忍術オタクにスライドしても不思議じゃない。
そして、ツツ丸の、甲賀、伊賀にも同じことのできるものは多数いるだろうという発言に、さらに興奮したようだ。望月家を召し出すつもりのようだ。俺は自筆で書状をしたためることになった。元管領細川政元の書状に添えるためである。慣れない花押を描くのにずいぶん時間がかかった。
翌日、近江八幡に築かれた陣屋の広間で、やっと渡湖した、将軍義尚を加えて、再度評定が開かれた。
昨日一通り話し合った後なので、すいすいと話が進む。
近江守護六角行高一党が籠る観音寺城の城攻めである。だが、観音寺城は
時間はかかっても下から、一つずつ砦を潰していくか、周辺の砦を押さえながら、本城を一気に叩くか。
だが、間道を全て潰すことができない以上六角行高が落城まで留まり続けることは考えにくい。とはいっても、さっさと逃げ出しては守護大名としての沽券に係わる。抵抗もせずに逃げ出しては後々国人衆が心服するわけがない。
だから、六角行高は当初は抵抗し、期を見て城を退去するだろう。その後甲賀に籠り、嫌がらせのような小競り合いを続け、幕府軍が退去するのを待つだろう。甲賀という地は起伏に富み隘路につぐ隘路、大軍を運用できるところではなく、土地勘があるものが少ない状況では、苦戦必至である。
では、逃げ出した六角行高はどこに逃げるだろう。守護と昵懇の間柄にある甲賀衆は少ない。ほとんどの家が家格が低すぎるのだ。五十三家の纏め役は望月家だが、信州の出ということを意識してか守護家とは一歩離れた付き合いで、ほかの大身の中では、山中氏、三雲氏か美濃部氏であろう。山中氏の居城は甲賀でも奥過ぎる。三雲氏の三雲城か美濃部氏の水口城であろうと、蒲生藤兵衛尉と京極六郎がかわるがわる説明する。
「火のように攻め立て逃がさねば良いだけのこと」
ふんっと鼻息も荒く言い切ったのは、若狭守護武田大膳大夫宗勲。おそらくは、この僧形の武将が城攻めの大将格となる。
「水も漏らさぬ布陣をお願いしますぞ、
「南近江といえど我が掌のうち、三雲城への道は私が塞ぎましょう。揆一郎殿よろしいか」
「もちろんです。六郎殿」
「では、某が水口城の道を見ましょうぞ。道については、そこな蒲生殿にお願いいたそう」
遺恨があり絶対に武田宗勲の下に付きたくない丹後一色家の後嗣が藤兵衛尉に呼びかける。藤兵衛尉殿はかしこまってござる。と頭を下げた。
「よし、あとは城攻めの布陣じゃ。宗勲、思いを述べよ」
「ははっ」
武田宗勲が一礼して、
「大手には第一陣、織田大和守殿、第二陣、畠山弾正少弼殿・・・・」
「おう」
「おおう」
次々と、守護大名あるいは名代の守護代等有名武将が呼ばれる。それに応えて野太い声が応答する。
少々の布陣の修正を行い、総大将、将軍義尚が声を上げる。
「まさしく、水も漏らさぬ布陣じゃ。のう、関東殿。初陣なれど、槍振る場もなくなりそうじゃ」
いきなり、俺に振られた。それに、関東殿じゃなくて関東後嗣だ。
「それは、残念至極。槍を振るうは伊豆に戻ってからにいたしましょう」
礼をしつつ声高に通り一遍のことを言上する。
「ははっ。あすは出陣じゃ。みな、励め」
義尚は叫ぶと、大名たちが頭を下げる中退室した。
翌日、おれは、京極六郎殿の軍に混じって、出陣した。
軍勢は一旦南下し、北国街道に出て、北上する。我々別働隊は、逆に南西に進み、祖父川に出たところで、川に沿って、今度は南東へ。川に沿って歩いていくと、流れは真南に変わっていき、岩根という集落に出る。岩根の向こうに流れているのが思川そこから一キロ半向こうが、名にしおう暴れ川野州川である。
水口城に向かう一団は、そこから東海道に抜ける細道を抜けて、東海道を水口城へ向かう。
京極六郎殿は、岩根村に陣を張り、物見を放った。
野洲川の支流でもある思川の畔に立って、流れを見ていると、いつの間にか左京が横に立っていた。
「左京、六角殿はこちらへ来るかな」
「来るでしょう。三雲城はなかなかの要害。しかも、後背に甲賀五十三家がありますれば」
「その、甲賀五十三家だけど、もう四十くらいは、切り崩せたみたいだ。さっきツツ丸から貰った」
書状を渡すと、食い入るように読んで返してきた。
「いつからでございますか」
「元服の後、大樹様に初陣を言われてね。その直後から」
「驚きましたな。これでは、三雲家か美濃部家にしか行きようがないではありませんか」
「春は、餓死者が多いらしいね。畿内では戦乱が続いているから実りも良くないみたいだ。金は銀の十倍の価値があるからね。使える商家は限られるけど、麦や粟を買えば領民の飢えもしのげるだろう」
「もらった方は恩義に感じるでしょうな」
「それを期待して渡してるからね」
「六角殿が憐れですな」
「甲賀を巻き込んで戦をされたら、それこそ、2年や3年じゃ終わらないんじゃないかな。三雲は大身で金の効果が今一つだし、三雲だけしか残らなかったら、不審に思うでしょ。ん?んんっ」
「どうかなさいましたか?」
「昨日ぐらいから、声の出が悪いんだよね。風邪でも貰ったかな?」
「それはいけません。陣屋に戻りましょう」
戻ったら、六郎殿に誘われた。村長の居宅を借り受けるとのことだ。
「揆一郎殿。行高めは、二日は粘ると思いますがいかがじゃろう」
「雨が降れば、もっと早く城を捨てるやもしれません」
「確かに。そろそろ、梅雨時であるからの」
俺は、村長の姿を探した。部屋を出て行こうとしていた。声をかける。
「村長殿、野洲川を渡る一番早い道はどこかな?」
「早い道なら、東海道の渡しの、横田が早いと思います」
「村端の鎮守様の橋を渡って、真っ直ぐいくと東海道に出ます。そこから、渡し守の在番まですぐです」
「では、そこに一隊置きましょう」
六郎殿は深く頷いたのだった。
「他には?」
「水の少ない時期なら、歩いても渡れましょうが、丈の高い葦の原なので歩きにくいのです。野洲川は橋もありませんし。すぐ、流されてしまいますのでね」
雨は、三日後夜半に振り始めた。
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