第十一話 六角征伐あるいは歴史の分水嶺
翌日の辰の刻、五の太鼓が打ち鳴らされる中、幕府軍は出陣した。
先頭を往くは若き将軍足利義尚、その姿は、代々伝わる赤地錦の鎧、金襴に唐草模様の直垂、梨打ち烏帽子(萎烏帽子、揉烏帽子、引立烏帽子ともいう柔らかな布地の烏帽子)から髪を束ねずに垂らし、黄金づくりの吉兆の太刀を佩き、左手に重藤の弓、右手に梨地の鞭、背には24本の中黒の矢、騎乗する馬は艶やかな黄金色に輝く河原毛の馬で、まさに伝説の武家の貴公子さながらである。
付き従う武将は、細川、斯波、畠山、山名、一色、京極、武田等の畿内とその周辺の大名の面々。醍醐寺の大門を軍勢が通り過ぎるのに6時間もの時を要したと後に語られた。
大御所義政、日野富子は並んで
俺は、京極飛騨守、蒲生藤兵衛、長尾左京といった面々と行動を共にしていた。京極秀綱は、出陣直前に大樹様に紹介されたのだが、幼少期からの参陣と、貴種ともいえる血筋とで、俺に親近感を感じてくれたようである。蒲生藤兵衛も同じ近江衆ということで、同じ陣に入るようだ。
俺は、いつの間にか、京極殿と馬を並べていた。
「私は近江と美濃の国境近くの伊吹山に始祖氏信公が文永年間に築いた
「私も十一で、弟は六つです。身につまされますね」
俺と清丸の年齢差もほぼ同じ、母親の立場は逆だが、身分差を考えると同じといえなくもない。人並というよりよほど大きい体躯のため、若年であっても侮られはしないでいるが。
秀綱殿と俺には共通点が山ほどあった。
「京極殿は……」
「あいや、六郎と呼んでくだされい。揆一郎殿には他人という気がいたさぬ」
「では、六郎殿。戦のない日々をどう思われますか」
「戦のない日々のう。思えば、大平寺城で過ごした童子の頃がそうであったか」
馬はゆっくりと進み、徒士武者の雑多な揃わない足音が、彼らの交わす言葉が、低い言葉をかき消してしまうようだ。雑音の中、六郎殿の言葉を俺の耳は拾い上げていく。
大平寺城は、伊吹山の山麓、おそらく標高千メートル以上の高地に作られた城らしく、霞ヶ城とも呼ばれたという。眼下の街道、越前街道(北国脇往還)から見上げると、雲の中に霞んで見えたのだと云う。
孫童子丸との仲は悪くはなかった。というより、接点があまりなかった。庶子が故に臣下としての教育を受けていたところ、急に敵だといわれても戸惑うばかりであったそうな。
下界と隔絶した城に育ったが故に、庶民の暮らしは分からなかった。見えるようになったのは、最近、家老の多賀氏が反乱を起こし、越前敦賀に逃げざるを得なかったその頃からであるという。
「童子の頃から、戦に次ぐ戦でござって、逃げ足だけは速くなりましたな。まあ、戦なぞ、負けて何度逃げても、最後まで生きていたが勝ちでありますからな。ふむ、民にしてみれば、田畑を踏み荒らされることもなく、兵にとられることもない日々はなによりでしょうが、戦がなければ、某など馬にもろくに乗れないままであったやも知れませぬな」
笑いながら、腿を叩く。史実では79歳まで生きたはずの人が言うと、何やら含蓄がある言葉にも聞こえるから不思議だ。
何度かの休憩をはさんで、大津の宿に着く。ここで、軍を分け、義尚ら本軍は、琵琶湖沿岸沿いに北へ坂本を目指す。畠山、山名、浦上といった西方の守護を中心とした別軍が瀬田から街道を東へと進む。
荘園の押領を幕府に訴えた寺社公家の筆頭が比叡山である。比叡山の門前町が坂本で、琵琶湖水軍衆の根拠地堅田は坂本から指呼の先である。
別軍の浦上隊が野洲河原で開戦。六角側は兵数も少なく、すぐに退却したとの知らせが入ったのが、琵琶湖を渡る船に乗り込む直前だった。幸先良い知らせに皆が沸き立つ。
京極隊と同道した俺たちは、琵琶湖を超えて対岸の八幡山手前の浜に大挙上陸した。
八幡山の中腹の八幡山城、
二城は、十日もかからずにあっさり落ちた。
門前町の隣に陣屋を構築する。商家が多数ある町の傍に陣を築くのは物資の調達が楽に済むと、政元が決定したようだ。
次は、いよいよ六角氏の本城観音寺城である。攻めるのは、将軍義尚が着陣するのを待ってからになるだろう。その前にと、細川政元主導で評定が開かれた。
間道も封鎖して、城攻めすべしと評定の意見は大勢が占めた。しかし、異を唱えたのが、京極六郎殿である。曰く、観音寺城は規模が大きい山城で、廓は数十あり水源も豊富、間道は数え切れず、封鎖など無理との意見であった。
史実では、六角四郎はまんまと甲賀に逃げおおせ、鈎の陣といわれた近江での滞陣は、二年にも及び、義尚の体は病魔に蝕まれ遂には亡くなってしまうのだ。二年もの間碌に追討もせずにいたことから、幕府をこの地に移そうとしていたという説もある。しかし、史実では9月であったが今は、5月。4月早いことが、何か変化を生むのだろうか。
「ならば、どうする?」
政元が京極六郎に訊ねる。
「逃げ道を塞ぐのは至難。されど、逃げる先は決まっております」
「それは、どこじゃ」
「甲賀三雲城」
「甲賀郡の入り口の城か」
「いかにも。甲賀は小山がひしめく地形にて、大軍の運用は不可能。甲賀に入られれば後が厄介なことになりましょう」
「城主は、三雲新左衛門実乃、甲賀五十三家の北辺に位置する大家でござる」
そういいながら、六郎殿はぴしゃりとおのれの額を平手で叩く。
「実は、某も多賀宗直に攻められた折、世話になりましての」
「はは、三雲城を押さえるのは、京極殿でよろしいか」
「甲賀は水の良いところ。是非にお願いいたす」
「では、六角が三雲に入らなければ何処へ」
「やはり、甲賀の山中家か美濃部家かと」
「ふむ、やはり甲賀は厄介だな」
苦りきった表情で政元がつぶやく。
「
「お、これは、宗勲殿。何か」
僧形のずっしりとした体格の男が政元に呼びかけた。武田宗勲。若狭の守護大名である。
「公方様がまだおられぬのは致し方ないとしても、何故隣国の守護が居らぬのか」
「伊賀は六角の分家だから来ぬ。美濃は守護、守護代の内訌での、政所で調停の使者を出したところ、兵を出すにしても秋になろう。間に合わぬかもしれぬな。越前朝倉は鞍谷殿が何やら動いているとか」
「武衛様がまた訴えられたか。ならば、尾張も……」
武将の何人かは、そわそわと落ち着きがなくなった。守護の国許で火種を抱えているのだろう。
「蒲生殿」
「なんでございましょう。揆一郎様」
おれは、評定が進む中、末席で隣に座る藤兵衛尉にひそひそと話していた。
「六角殿は、籠城されるのだろうか」
「いえ、まずしないでしょう。もうじき梅雨に入ります。雨天の夜に逃げだすと思います」
「蒲生殿は、六角殿は主筋ではないのですか?」
「確かに、主筋ではありますが、我が家は六角様とは代々距離を置いた間柄にて」
「そうですか」
史実の六角家の股肱の重臣というイメージの蒲生家は、蒲生氏の傍系が主家を乗っ取った後の姿なのだ。
「伊庭出羽守貞隆という莫迦者がおりましてな、これが、いえ、これは聞かなかったことに」
「三雲城に入れないとなると、六角殿はどこに向かうでしょう」
「美濃部家を頼るでしょう。おそらくは、水口岡山城。美濃部源吾」
「それにしても、近江は城が多いですね」
「はは、近江五百城と申しますからな。某も覚えきらぬほどで」
「実は、望月家に繋ぎを取っているところでして」
「若、若っ」
「なんだい、左京。俺は藤兵衛尉殿と・・・」
振り返ろうとしたところで、間近にいる人に気が付いた。
こともあろうに、先の管領細川政元であった。
「関東殿。何やら、面白そうな密談でござるの? この
まずった!
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