第二章 元服と初陣

第六話 船は往く往く、親父も行くの!?

 関東公方家の古奈こな温泉での定宿は白旗閣びゃっきかくである。源頼朝公が入浴したという、由緒ある宿で、伊豆の国人衆の纏め役でもあり、堀越御所の家老格でもある宇佐美左衛門尉さえもんのじょうが経営に深く関わっているようだ。


 石造りの浴槽の横に置かれた簀子(皮を剥いだ木の枝を並べたようなものだ)に腰を下ろし、掛け湯をしてから、持参した麻袋を桶に汲んだ湯につけて、その袋で体を擦る。それを、左衛門尉さえもんのじょうが見とがめてきた。


「ああ、ぬかだよ。米ぬかを布袋に入れたものだ」

「ほう。糠ですか」

「昔から体を洗うのに使っていたのではなかったか」

「白米を口に入れることなど滅多にありませんからな。糠など、我が家ではほとんど出ませぬゆえ。しかも、布袋に入れて垢をこすることなど」


 一通り体を洗い、桶に湯を汲んで、頭に手を回し元結を外す。何度か、髪の毛にかけ湯してから、袋の紐を外して糠を手に取出し、髪に擦り付ける。二度三度、糠で髪を洗い、掛け湯をしてから湯船に体を沈める。


 ふと目を上げると、揺れる松明と星明りの中、驚愕の面持ちで俺を見つめる左衛門尉がいた。

「髪も、糠で洗われるのですか」

「宇佐美はしないのか」

「糠は使いません」



「ふう」

 ひと月ほど前のそんなやり取りを、思い出しながら、檜造りの湯船に体を沈める。洗った髪は、白手拭いを巻いてある。

「茶々丸様、よろしいですか」

「もちろんだ」

 俺の脇に体を沈めたのは、頭に白手拭いを巻いた関戸播磨守である。


「白旗閣自慢の、新しい筥湯はこゆはいかがですかな」

「播磨よ。感謝している」

「何をおっしゃいます」

「気が違ったと思われてもしかたないと思った。しかし、播磨ならば、とも思った」

「はは、突拍子もないことをおっしゃるのは、小さい時からでございましたからな」


「ああ」

「されど、修理大夫の儀(太田道灌が暗殺されたこと)は、尋常ならざることと、覚悟いたしました」

「悪いな。しかし、あのままでは」

「十年しか生きられぬ。でしたか」


 うんと、うなずくと、言葉をつなぐ。

「此度の上洛のこと。俺の知っている、歴史には起きなかったことだ」

「では、茶々丸様の身の上は」

「俺にもどうなるかわからん。あの、長尾左京という男が何を企んでいるのかもわからないし」


「儂が付いていければ良いのですが、お気をつけなさいませ」

「ああ、あとは地震、津波の備えだな。ひえの備蓄は始めた方が良いだろう」

「はい」

「あと、潤丸や父上のこと頼むぞ」


 播磨守は、怪訝な顔をした。

「聞いていらっしゃいませんでしたか? 関東公方様もともに上洛されると」

 聞いてないよ。

「え? そうなの」


「なんでも、伊勢船が三津の内浦湊に入ることになったようで。三津衆と下田衆に号令があり、上洛の護衛を仰せつかっております」

「船旅か。その方が早いだろうしな。護衛って、誰が行くの」


「下田衆からは、河内丹波が。三津衆からは西浦の鈴木兵庫助殿が出るとのことで」

「あ、ふか五郎の兄ちゃん、もうずいぶん会ってなかった。あと、江梨えなし鈴木か。大瀬崎の偏屈親父だろ。土肥で揉めたってあいつだよね」

「海賊衆ですからな。土地よりも、金、人でございますよ」


「そうか。・・・にしても、親父も一緒かよ。あの人、船乗ったことあるのかな」

「はて、川舟ならばあるとは思いますが」

 物凄く、悪い予感がした。


 翌日、堀越館に戻ると、屋敷中大騒ぎになっていた。

 原因は、義母である。親父も、上洛すると知ってむくれているのだ。昼間から大騒ぎ。

「おお、茶々丸帰ったか。なんとか、言ってくれぬか」


 俺を見つけた、親父が義母を押し付けようとする。俺が、義母と仲が悪いの知っているだろうに。

 義母築の方が、きっと俺をにらむ。

「母上。都は、応仁文明の乱が治まったばかり、いたるところ焼野原で見る影もないのでしょう?」

「それは、十年も前の話ですっ」


「はい、ですが、十年で都がもと通りになると思われますか? あの、花の御所室町御所すら、焼けたのですよ」

「べ、別に都へ行きたいというわけではないのです」

「はい、分かっております。父上は必ずここに帰るよういたしますから」


 それはまあ、二度と帰らぬと決めて京を出てきたからには覚悟はしていても、身近な人が行くとなれば嫉妬心も煽ろうというものだ。

 何とかおさまってくれたが、この方と話すのって、もしかしたらほとんど初めてかもしれない。もちろん、母上などという呼びかけもそうだ。やっちまった感に襲われて、少々憮然とする。

 そして、自室に戻ると、客がいた。


 大きい。それが第一印象だった。狩衣を纏った、総髪の男が、開け放たれた部屋の障子の先の庭に端座していた。俺が部屋に入ると、その場で平伏した。

「風魔か」

「さようです。面白き話を聞きましたゆえ、参上いたしました。風魔を束ねる風祭出羽守と申します」

 耳の奥に響くような声。


「顔をよく見せてくれないか」

「では」

「あと、話しにくい。上がってくれ」

「それは、ご遠慮申し上げる」


 顔を上げた、風魔の首領はどこにでもいるような、特徴のない風貌であった。

「天城のこと、受けてくれるのか」

 男は、ただにこっと笑っただけであった。

「俺の言うことを戯言と思うかもしれない。だが、曲がりなりにも人の上に立つものとして、しなければならないことがある」


 男は何も答えない。笑っているだけである。

「その知識がどこから来たのか、知ったのか、それは言えぬ。だが、起きることは分かっている。伊豆や相模、駿河の国が地震に、そして大津波に襲われる。民は、塗炭の苦しみを味わうだろう。天災を防ぐことはできぬ。だが、民の苦しみを軽くすることはできる」


「どのように」

「食料の備蓄。高台への避難場所の用意」

「なるほど」

「その手伝いをしてほしい。そして俺の、目と耳と口と、そんな役割を期待している」

 男は、俺の目を見た。

「荒唐無稽なことではあれど、嘘をついているようにはみえませぬな」


「おお、では」

「天城には、向かわせましょう。ですが、仕えるとまではお答えできません」

「支度金は、播磨が用意する。この証文を、韮山の伊勢屋に持って行け」

 懐から、封書を取り出して、縁側を降りようとする。


 見ると、風魔の首領はすぐ手の届くところにいた。動いた気配などなかった。ずいぶんと離れたところにいたはずなのに。

「ありがたく」

 封書を押し頂いて、後ずさる。足音はしない。

「上洛なさるとか。人を一人お付けしましょう」


 そんな声が聞こえると、もう男の姿はどこにも見えなかった。

「風魔か」

 俺は、心の中で叫んでいた。忍者!超絶格好いいっ!



 年明け二月の半ば過ぎ、晴れた日、俺たちは出発した。

 御所近くの川舟の船着き場から、親父、清丸、俺、分乗してもう一艘に左京とその郎党。見送りに、潤丸を抱きかかえた義母や、宇佐美、関戸、伊東の家老衆。潤丸は泣き出す寸前だ。


「では、参る」

 父のその声とともに、船は動き始めた。


「あにうえー」

 潤丸の泣き声が聞こえて、思わず立ち上がりかけて、船頭に制止され潤丸の顔を見ることは叶わなかった。

「潤丸も、帰るころには大きくなっておろうの」


 親父の声にうなずきを返した。果たして、俺は帰ってこれるのだろうか。

 ふと見ると、清丸は俺の肩越しに、睨むように何かを見つめている。

 この小さい体に詰まっている思いはどんなものか、清丸は帰ってこないことが決まっているのだ。

 

 船は、本城山を過ぎる。川関は立てられた旗印の足利二つ引を見て静止すらしない。ここで、黄瀬川と狩野川が合流するが、富士の雪解け水で水量の増えた時期は要注意である。富士山の雪解けの清流が轟音を立てて流れる黄瀬川の中流は現代でも一見の価値はあるが、その水に船を浮かべようというのは無謀というほかはない。


 狩野川の河口を出ると右は沼津の千本浜、左には浜から海に牛臥山が聳え、その向こうは深い葦原が続く。最初に現れる島は爪島、その先鼻岬の向こうが江浦えのうらで、その先亀の甲羅のような淡島と海岸そばの重寺の間をとおって内浦三津に入る。


 内浦三津には、伊勢船の船団が停泊していた。正規の廻船航路になるかはわからないが、伊勢船としてもお試し期間なのだろう。新たに採掘がはじまった伊豆の金山からの儲けの匂いにひきつけられているということでもあるだろう。瓜生野や土肥の金山は、廻船の母体である伊勢神宮に、親父が寄進をはずむほどに

利を稼ぎ出していた。


 護衛となる三津衆と下田衆も合流し、船に乗り込む。

 俺たちは、急ごしらえの御座船然とした一席に乗り込む。半屋形船といった雰囲気。俺ら親子と長尾、鈴木兵庫助、各々の郎党数名。他は、別の船に分乗である。ここで、驚き、小奇麗な成りをした小姓然とした少年が挨拶するから、だれかと思えば、イシタタキだった。ツツ丸と呼ぶことにする。


 さて、出航。海岸沿いに、まずは伊勢の大湊を目指す。さらに難波津から淀川経由で京への旅。

 そしてしばらくして、親父と清丸、左京の三人が船酔いにやられていた。


 ああ、そういえば、そんなものもあったな。下田への船旅でやられたことがあった。播磨め、人が苦しんでいるときに高笑いなどして。そんな経験のおかげか、今回は俺は無事だった。


 親父は、船べりで盛大に朝食を戻して、あとは屋形に引っ込んで出てこない。左京は、むしろの上に座っているが、顔色は真っ青である。目がすこしきょどっている。清丸は、筵の上で俺の膝枕で横になっている。船頭にもらった竹筒に入った白湯を少しずつ飲ませたり、頭をなでたりしている。ツツ丸? 元気に跳ね回っているよ。海に落ちないでくれよ。


 波乱の幕開けって言葉がぴったりだけど、無事に京についてくれるよね。

 考えるとフラグが立ちそうで嫌なんだけど、なんか、悪い予感がするんだよ。

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