第四話 流され武士とイシタタキ

 修善寺から一旦狩野川の本流沿いに戻り、川沿いに南下。狩野川に柿木川が合流する場所で、西に行く道にの先に柿木神社があり、その奥に金山がある。そう話すと、狩野道一は、広げた右手を突き出して止めた。


「そこまで、伺えば結構。あとは、山師を使って調べまする。では、某は・・・」

「ほう。そうか。我々は、この先船原川に沿った道を進み、棚場山の尾根を越えて、土肥山川といやまがわの道を下ったところにもあるので、そこに行ってみよう。伊豆は国ごと金山のようなものだな」

「あいや、そちらも、山川の上流であれば、狩野の仕切りでござる」

「では、もうしばらく付き合ってもらうぞ。狩野殿」

 

 土肥山川の流れに分け入って、何粒かの砂金を見つけ歓声を上げる、狩野道一を見つめていた、播磨が振り向いた。真剣な様子で俺を見つめる。ゴクリとつばを飲み込む音が聞こえるようだ。

「茶々丸様。下田、下田には金は出ませぬのか?」

 俺が、伊豆は国ごと金山だと言ったからだろうか。自分の領地でも金がと、期待に目が輝いている。

 思わず、クスリと笑ってしまった。


「下田か。下田にはないなあ」

「さ、さようでござるか」

 がっくりと、俯いてしまった。

「あー、下田にはないが、河津にはあるぞ。それに、下田と河津の間に、縄地という場所がある。河津から北に上ったあたりにもあったはずだ」

「そうでござるか! これは、帰り次第、山師を集めねばならんの」

 途端に上機嫌になる、播磨守。


「おいおい、お主まで金掘りに行ってしまっては困るぞ」

 俺を忘れるなと、言ってやると。

「もちろんでございます。息子には話しますが・・・」

 いきなり表情を変えて、両手を広げる。


「若、しばしそのままに」

「大丈夫だよ」

 声が上から降ってきた。

 バサバサという音とともに、毛皮をまとった少年が降りてきた。2メートルはある高さから、飛び降りたのにケロッとしている。この辺りでは珍しい、クスノキの大木の枝が大揺れに揺れて葉をこぼしている。


「今は味方だから。中頭なかのかしら黄三郎様から命じられ、繋ぎをつけておいた。富永衆の主だったものは、河口の船着き場に集まることになっている」

「お前の名は?」

「イシタタキて呼ばれてる」


 イシタタキとはセキレイのことだ。昔から神の使いとされる。コミカルな動作に古人も感じるところがあったのだろう。

「イシタタキでは呼びにくいな。セキレイをツツと呼ぶ国もあるらしいな。お前はツツでよかろう」

「ツツ?」


 少年は変な顔をした。俺は、そいつの顔が、薄汚れていながら、造作は妙に整っていることに気が付いた。

「にしても、お主のような子供の言うことを富永の海賊衆が信用したものだな」

「ああ、そうだ。これ、返すよ」

 言いつつ、ひょいと何かを放った。


「何をする!」

 さっと、俺の前に出て播磨守がそれを掴み取った。

「こ、これは?」

 驚愕したようすで、手の中のものを俺に捧げ渡す。


 それは、印籠だった。黒漆で表面を塗った上に金で描かれた足利二つ引は、流石に足利一門以外にそうそう持ち歩けるはずもない。これは、俺が「黄門ごっこ」をやる時のためにと(本当にやるつもりはないよ)作ったものである。この時代印籠というと文字通り『印を入れる籠』であることが普通だったので、出来上がったそれを見て、印籠と呼んだら変な顔をされた。曲面を仕上げるのが大変だった。紙やすりがほしかった。出来上がってみると結構便利で胃腸薬(ゲンノショウコの粉末)包みを入れ持ち歩いていた。


 昨夜は、風呂から上がったら、印籠がなかったので焦った。代わりに小さな板切れがあったのだが。

 俺は、その板切れを播磨守に渡す。

「『土肥にてお返しいたす』ですか」

 気が付くと、イシタタキと名乗った少年はどこにも見当たらなかった。

「ああ、なかなか仕事が早い」

 おれは、苦笑いするしかなかった。



 土肥山川に沿って歩き、開けた場所に出たが、そこは、荒れ放題の水田、いや、かつて水田であった湿地であった。海に向かって歩いていくと、人が集まっているのが見え、その向こうに千早らしき船が何艘か砂浜に引き上げられている。

 俺たちが歩いて行くと、人々が集まってっ来て、俺に向かって跪いた。五十人いやもっといるな。女子供も少ないがいるし。主だったものどころか全員じゃないのか。


 体の大きなおっさんが跪いている。なんか、みすぼらしいというか、臭いそう。

 こういうの苦手なんだよな。心の中で、文句をたれながら、俺は口を開いた。

「関東公方が一子、足利茶々丸である。名族、富永家を名乗る一党と聞いた。何故あって、この伊豆国土肥にいるのか」


「申し上げます。富永備前守実直と申します。

 初代足利将軍尊氏公から、建武二年、三河国設楽郡を賜り、以来150年余り野田館を居と定め、一帯を治めておりましたが、・・・」


 長いので割愛するが、何でも周囲の国人衆に領地を侵食され、最近は、郎党を養うにも窮していたそうだ。そんな時、とある戦で敗戦の責任を咎められ放逐の憂き目にあった家臣を、庇おうとして頭首の癇に触れ、自らも廃嫡になってしまった。付き合いのあった渥美地方の戸田氏の縁で東に逃れ、放棄された集落を見つけ住み着いたというものらしい。


「関戸播磨守。土肥の領有についての意見はあるか」

「松崎と、田子、安良裡あらり宇久須うくずまでは我ら下田衆の名分になります。土肥とい戸田へたは三津衆との係争がございまして、土肥、八木沢の住民は、戸田に逃げたと聞いております」


「では、戸田以北を三津衆のものとし、宇久須以南を下田衆と決めれば、土肥は空くのではないか?」

 さんざん話し合っている内容だが、人前でやるとなると緊張するなあ。播磨も上手く合わせてくれよ。

「御曹司、それでは我らの・・・」

「三津には金山はないぞ」

「う、三津衆が呑みますかな」


「三津は伊豆の御用湊とする。海路の荷は川舟に積み替えねばならん。堀越から朱印状を出して三津から狩野川に通せばよい。本城山に関を置いて三津の者を詰めさせればよい」

「う、それは確かに。しかし、上様がなんとおっしゃるやら・・・」

「伊豆の民の利になることだ。呑んでもらうさ」


 伊豆に向かう荷は、三津つまり江浦、内浦、西浦のどこかで荷揚げし川舟に積み替えてもらう。ここで税を徴収し、税を徴収した荷には朱印状を発給して、三島なり韮山なりに行ってもらう。穏やかな駿河湾の海岸沿いなら川舟でも十分運行可能だ。


 もちろん、沼津で荷揚げをする船もあるだろうが、狩野川と黄瀬川合流地点(本城山)で川関を設けて、そこで税を徴収する。もちろん、税額は同じだが、徴税には荷改めがつきものである。海岸での荷改めと川で船の上での荷改めが時間がどれほど違うか。そして、極めつけは、堀越御所では、三津での朱印のない荷は受け取らないということ。


 もちろん、宇佐美ら家老衆には話は通っている。

 この場で、彼らの手付たつきの道を与えてやる、頼りになる、主家の跡取りを演じているのだ。

「さて、富永備前よ」

「はっ」

「いかに、餓えていようとも武士。よもや、この土肥を掠め取ろうなどと企んではおるまいな」


「もちろんでございます。されど・・・」

 備前守は、自分の郎党、女、子供を振り返る。

「聞けば、この地は、下田衆、三津衆の帰属不確かな土地。二方にそれなりのものを渡せば、二方とも引いてくれるやもしれぬ。いや、きっと認めさせよう。この茶々丸が」


「さ、されど我らには、銭など・・・」

「分かっておる。分かっておる。そこでじゃ、お主らに、一つ良いことを教えよう」

「は、はい」


「この土肥には、金が、金の鉱脈がある」

「き、金が!」

 備前守はこっそりあたりを見回す。いや、そんな金山の跡らしきものはどこにもなかったはず。分かっていたはずだ。

「そう、そして、その金は、まだだれも掘り出してはおらぬ」

「へ?」

 とたんに胡散臭いものを見る顔つきになったな。そりゃそうだ。


「お主たちが掘り出すまではな」

 おれは、屈んで備前の守の肩に手を置いた。

 はっと顔をあげた備前守に、二カッと笑いかける。


「ど、どうして金があることがお分かりになるのです?」

「夢枕に立ったのよ。八幡太郎義家公がな」

 そして、俺は語った。語りぬいた。関戸播磨守相手にさんざ練習してきた、夢枕話を。

 ま、必ず金は出るんだから、硬いこと言いっこなしってことで。

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