第三話 古の公方の墓で

 修善寺の町に入った。指月殿という古びた寺の脇に細い石段がある。登っていくと少し開けた場所に出る。

 ほの暗い林間を背に苔むした石が丈の高い枯草の中にまばらに並んでいるが、一つだけ小奇麗に世話をされたように見える石塔がある。それが、鎌倉幕府第二代征夷大将軍源頼家の墓であった。


 源氏に名を連ねるものとして、神妙な気持ちになり、道端で摘んだ小さな花を捧げ手を合わせた。本来であれば、線香を焚くところだが、高価なものゆえ持出は許されなかった。抹香の類もどこかにはあるのだろうが、持って来ることはできなかった。


 かつて、前世にも城跡散策の折参じたことがあったが、様相が全く異なりいかにも侘しげな墓であった。指月殿を建立したという、母の北条政子はここに参じたことはあったのだろうか? 息子を自ら死に追いやったも同然と、誰もが囁いた。それから、二世紀半ほどだろうか、母の思いも、子の苦しみも、権力を欲し野望に燃える有象無象も何もかもが時間に流されていく。時の流れは、すべてを虚無へと押し流すようだ。


 室町幕府第三代義満公は、国王と自称し、天皇をも凌ぐ権威を手中にしていたというのに、百年も過ぎていないのに足利の実も名も、歴史の表舞台から消えようとしている。足利将軍の最後十五代目は、俺には狂言回しにしか思えない。


 俺は、あらがえるだろうか? 時の流れに、人の思いに、野望に、そして悪意に。

 俺の両脇で手を合わせていた、関戸播磨守と狩野道一が、俺が立ち上がったことを察して顔をあげた。

 二人ともごつい体格にひげ面だが、似ているのはそれだけだ。播磨守は茶々丸と始終一緒にいるため、以心伝心に伝わるものがある。おそらく俺のことは、孫のように考えているのではないか。日に焼けた赤銅色の顔つきはいかにも海の男であった。狩野道一は熊が服を着て歩いているような雰囲気がある。これでも、当代の狩野介、代々守護代の家柄なのだ。


 その道一が言った。

「若様。もう暗くなります。今宵は、修善寺に泊まりましょう」

「うん。分かった」


 修善寺の寺前町を南北に分ける桂川の橋を渡ろうとして、道一が足を止める。

「この橋が、虎溪橋です」

 目の前の小さな橋を指さし、振り返って、右手の町屋を指さす。


「ここに、頼家公が襲われた筥湯はこゆがあったそうです」

「今はないのか」

「ございませんなあ」


 橋を渡り終えて、河原の上流を見ると水が溜まっているように見える場所がある。目を凝らすと、湯気が立ち上っているようだ。

「あれが、独鈷の湯と言われているものです。かの弘法大師様が、錫杖を岩に突き立てると、そこから湯が噴き出たとか」

「ほう、弘法大師様が」


 そんな会話を続けながら歩を進める。すぐに山門らしきものがある。

 門をくぐり、石段を上り、今度は大額がかけられた門がある。門の奥、あるべき建物のない空虚さが際立っている。僧坊など僧侶の日常での最低限の施設はあるのだろうが。


 修善寺は、親父の居た天龍寺と同じ臨済宗だが、応永九年の大火災で大伽藍が焼失したまま、再建のめどが立っていないらしい。流石に、寺領で賄えるわけもなく、狩野一族の領地内とはいっても、自領の防衛や領民のたつきの方が優先されるのは当然のことではある。


 その夜、俺が、食事の後、温泉に浸かっているとき。麻の糠袋で、からだを清め、湯に浸かって脱力している時だ。不意に、背後に人の気配を感じた。播磨守には一人で入浴する旨言ってあるので、そこここに見張りがつき、近づく者はいないはずだった。


「ここは伊豆の国一の名刹、修善寺の内湯だ、ならば、そなたは、この寺の僧であろうか」

「いえ、私は僧ではありません。ただ、次期公方様にお礼を申し上げ、一つ願いを奉るために忍んでおりました」


 あ、忍者的展開来た~! 心の中で叫びながら、振り返った。身の丈七尺近くあるのではなかろうか、筋骨隆々たる大男だった。髪を洗うためか、髷を結っておらず、月代も剃っていないらしく総髪である。武家としては羨ましすぎるその体躯に羨望と恐れを感じながら、口を開く。声震えてないよな。


「まず、名乗ってもらおうか」

「分かりました、源氏の御曹司に名乗れるほどのものではございませんが、

箱根別当、小田原城城主、大森信濃守様が配下、風間かざま黄三郎きさぶろうと申すもの。

かの、比企能員の変ひきよしかずのへんにて滅ぼされた比企家の末流に身を置くものでございます」


 その変で、比企一族は北条得宗家によって皆殺しにされ、将軍頼家は退位させられ、修善寺に幽閉されたのだったか。そして、小田原の大森か、扇谷家の重鎮だったな。箱根の関を押さえる、財政豊かな家だったはずだ。


「して、その風間殿。かざま・・・風魔ふうま。足柄の風魔かっ!」

「ああ、我らを知っておいでなのですね」


「風魔か。 むう、張り番をしている我が郎党は?」

「それと気づかずに寝入ってございますよ。皆様、お疲れのようで」

 さもありなん、彼らを振り回している自覚はある。


「すると、礼とはいにしえの二代様の墓に詣でたことか。 願いとは、一党を儂に雇えということかな?」

「いえ、そんな大それた願いではございませぬ。指月殿から東に十間ほど、鎌倉から修善寺まで頼家公につき従い、目の前で主を殺され、敵討しようとして果たせずに果てた者どもの墓がございます。そちらも、」

「分かった。行ってみよう」


「ありがたき」

 黄三郎が、最敬礼する。なんとも、気恥ずかしい。

「風魔は、儂に仕える気があるか?」

「さて、どのような」

「目と、耳がほしい。隣人より早く知ることが長生きする秘訣だろう?」


「さて、どなたの言葉ですか?」

「誰のではない、儂の言葉だ。 で、どうだ?」

「兵とするのではないのですか?」

「儂が軍を興す時なら卒として期待もしようが、乱波透波に戦働きは期待はしない。目と耳になってくれ」


「安売りは致しませぬぞ」

「残っている千把扱きをやろう。売れるものを作ってもらおう。鉱山の場所を教えよう。伊豆は、国ごと金山のようなものだ。家臣の目の届きにくいところを選ぼう。うまくやれ。そしてもう一つ、天城山の南西に起伏がさほどでない場所がある。そこで、馬を育ててほしい。関戸と狩野には諮らねばならんが、どうだ?」

「畏まりました。茶々丸様が、御所へ帰るまでにはお返事を致します」


 そのまま、黄三郎は湯船に潜ってしまった。

 おいおい、と思っていたら、いつの間にか縁の岩を枕に目を閉じていた。目を開くと、薄明かりの中で、関戸播磨守の顔が視界いっぱいに広がっていた。


「いくら気に入ったとしても、長湯はよくありませんぞ」

思わず、口角が上がる。

「久々に、播磨の小言を聞いた」


「茶々丸様は、このところ、すっかり行儀良くなってしまわれましたからの」

「まだまだ、播磨を驚かすことなら、たんとあるぞ」

「千把扱き、金山、そうそう、糠袋ぬかぶくろもありましたな」


「それにしても宇佐美左衛門尉殿のあの顔、今思い出しても笑えますなあ」

「『金などあるものか』と言っていた男が、金が出たとわかると、一番熱心に掘っていたからなあ」

「あの、八幡太郎義家公が夢枕に立ったなどという言い訳は、腹の皮がよじれそうでしたぞ。明日は、ここらにも金を掘らせるのですか」


「天城道から土肥に下りる山道の途中になると思う」

「でしたら、守護代狩野家の領内でしょうな。その土肥ですが、やはり富永という一族がいつの間にか入っているようです」

「富永か。海賊衆か?」

「元は三河の伊良湖のあたりに居たらしいのですが」


「良くは、分からない、と」

「はい」



 翌日、俺たちは、十三士の墓と呼ばれる頼家近習の墓らしきものに手を合わせた。誰かが世話をしているようには見えないが、実は手入れがされている。そんな印象を受けた墓だった。

 そして、謎の一族(?)富永氏の待つ(?)西伊豆中部の土肥へと向かったのである。途中金鉱が見つかる予定なので、土肥に着くのはいつになるだろうか。

 そして、どうでも良いことだが、どういうわけか俺以外誰も気が付いていないようだったが、荷物の中から、千把扱きが消えていた。それが、湯殿での一幕が夢でない証しであった。



 


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