プロローグ 2

 荒く息を吐き、ピンク色の妄想を脳裏に描きながら、ベッドの上で右手を動かす。そのとき、俺は、自家発電に勤しんでいた。


 やがて、クライマックスが来て、妄想は白金の光に塗りつぶされ、海老のように体が跳ねる。


 ふわっと宙に浮かぶような感覚とともに、ドスンとベッドから落ちた。まだ、体が揺れている。


 可怪おかしいと気が付いた。俺がドジっただけではない。


 これは、地震だ。しかも、大きい。ベッドから落ちた姿勢のまま、慌てて半脱ぎの下着とズボンを一緒くたにたくし上げる。


 その所作も終わらぬうちに、一際大きく床が揺れて、一拍後に、大量の本が体中に降り注いだ。やばい、本棚の上の方には百科事典数冊分の巨大本『戦国全誌クロニクル』が置いてあったはず。あんなものが頭にでも当たったら・・・。その予感に、体を逃がすこともできず、運悪く大部な本か金てこか何かのような、重く堅い物が後頭部に激しくぶち当たり、意識は刈り取られた。




 おっおっあっ。自分があげた押し殺した叫びに、はっと目を開ける。


 目の前に、絹布を口に当てていた女がにっと笑った。


「若君様。御立派でございました」




「あ、ああ……」


 訳も分からず、相槌を返してしまう。


 女は絹布を、口から放し、両手をついて深々と礼をする。




「若君のお初を戴き光栄でございました。では、お休みなさいませ」


とそのまま部屋を出て行ってしまう。


 とん。次の間の襖が閉まった音で我に返った。




「なんだ? あれは誰だ? いや、ここは、どこだ?」


 三方が襖、板戸に囲まれた部屋。床は板張りである。フローリングという雰囲気ではなく無垢の板を使っているようだ。古い民家の廊下のような。薄暗く、揺れるような明かり。見ると、小さな皿に小さな火が灯っていて、時折炎が揺らめいている。




 どう見ても、現代風の部屋ではない。


 今の今まで寝そべっていた布団にしてからが、えらく簡素な造りである。その感触から敷布団は、藁束を麻布で包んで、その上に絹をかぶせたものらしい。肌触りは良いが、中身はごつごつごわごわしている。掛布団は、すっかりはだけたままだったが、かいまきのような、形をしている。




「あれ?、……俺の声」


 口に出した拍子に自分の声に気が付いた。やけに甲高い、子供のような声。声変わり前のボーイソプラノじみた声。 


 訳が分からない。いつ俺は子供になった?


 そりゃ、子供に戻ってやり直したいと思ったことは一度や二度ではないが。


 だが、コレはどういうことだ。




 ふと、股間に風を感じて下を見る。


 何かで濡れているそこは、見慣れた密生しごわごわとした毛はなく、いかにも子供然とした光景であった。


 しかも、自分のものにしては、立派過ぎる。




 えーと、若返り?


 まさか?


 寝巻で濡れた局部を隠しながら頭をひねる。




 その時、襖の向こうに人の気配がした。


 可怪おかしい。何故板戸の向こうに人がいるのがわかるんだ?


 俺はそんなに敏感だったろうか。




 心の昂ぶりを抑えるような、壮年の男の声が聞こえた。


「若様、……丸様。起きていらっしゃいますか」


「起きている。何があった」


 考える前に、返事をしていた。




「……御台さまがお呼びでございます」


「母上が? お具合はいかがか」


 考える前に、答えている。俺がではない。俺の今の体がだ。


「薬師の言では今夜が峠とか……」


「そうか。……案内あないを頼む」




 初老の侍(ちょんまげだったから侍だろう)の後に続いてひんやりとした廊下を歩きながら、御台様、つまり、御台所とは、将軍の正室のことである。史上初めて御台所と呼ばれたのは、北条政子であった。それを俺は、母上と呼んだ。であれば、俺は将軍の息子? いや、まさか。等と埒もないことを考えていた。




 次の間から女中が入ってきて身形みなりを整えてくれる。


 冷たく暗い廊下を何度か曲り、板戸の前で、その侍が膝をつき、中に呼びかけた。


 何言かやり取りがあって、俺は中に入った。俺を呼びに来た侍は、入口のすぐ脇に、端座している。




 部屋の中央にだけ畳が敷いてあり、そこにきれいな布団が敷いてあって、女性がそこに寝ている。俺は、枕元に座ると呼びかけた。


「母上」




 俺には見覚えのない女性だったが、その人が自分の母だということは知っていた。


 暗い灯りしかなく定かには分からなかったが、その人の顔はひどくやつれていることは分かった。


 その人は、俺の呼びかけに、目を開き、俺の目を覗き込んだ。ふわりと笑った。




「ちゃちゃや、母は長くありません」


「そんな、母上」


「お前の元服が見たかった……」


「……」


 母が、言葉を繋ごうとして咳き込む。



「公方様が決めることとはいえ、心残りです」


「私から父上にお願いを……」


「いえ、あの方には、考えがあるのでしょう。良いですか。 治部殿の言うことをよく聞いて励むのですよ」


「はい……」


「何かあれば、御義兄様おにいさま山内家やまのうちけを頼りなさい」


「はい……」




 母の眼を見ながら、そっと差し出された痩せ細った手を握り肯いた。母の姿が、まわりの景色が歪み、俯くと自分の落とした涙で、泣いていることに気がついた。


 しばらくして母は、目を閉じ、眠ったようだった。


 そして、その夜まだ明けぬうちに逝ったのだった。




 葬式などがあり、武家の礼服らしきものを着せられ、あちこちと傅かれながら、俺は、呆然と流されるままにいた。


 俺の体が、どこの誰なのか、体の記憶が教えてくれた。


 足利茶々丸あしかがちゃちゃまる、第二代の堀越公方。史上稀にみるDQNと俺は思っていた。

 どの辺がDQNかというと、血筋は良いのに行状が悪く牢に入れられたり、父堀越公方政知が死んで、牢番を殺して牢を脱出すると、義母や義弟をその手にかけて自ら関東公方を宣言したこと、北条早雲に追討されたからではあったものの、死ぬまで元服していない。この辺が当時の武士としてはDQNだろうと思う。


 そして、俺の最も好きな戦国武将、北条早雲の最初の踏み台となって、若い命を散らした、悲運の武将でもある。




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