【考えていること5】

2021/09/24


 コメントで教えていただいた作品「QK部-1213-/黄黒真直」を読みました。素数大富豪(通称QK)というトランプゲームの部活の話です。それとは別に「ハッカーとチョコレート/鶴見トイ」という作品も読みました。こちらはCTFという情報セキュリティのスキルを競うコンテストに出場する部活の話です。


 どちらの作品も競プロと似たような競技に打ち込む女子高生たちの話でとてもおもしろかったです。そして、どちらの作品にも私の作品にはない「何か」がありました。その「何か」がなんなのかは分かりません。しかし、これらの作品と私の作品では明確に違いがあるように感じるのです。


 おもしろい小説とは何なのか、ということをずっと考えています。おもしろい小説を書きたいと思っているのに書けない、これはなぜなのでしょうか。私自身が「おもしろい小説」を定義できていないことが原因なのでしょうか。しかし、小説を読んで「おもしろい」と感じることはできるのです。ということは言葉では定義できていないだけで、「おもしろい小説」の感覚は持っているということなのでしょうか。


 小説を書いているとずっとそんなことを考えてしまいます。いろいろ言っておきながら、単純に力不足かもしれないのに。だけれども、力不足というのは裏を返せば、ずっと小説を書き続けていればいつか「おもしろい小説」が書ける可能性があるということでもあります。もちろん私に伸びしろがあればの話ですが。


 そしてこの話は小説に限った話ではありません。たとえば競技プログラミングでも「レッドコーダーになりたいのになれない」という状況が存在します。「おもしろい小説を書きたい」と「レッドコーダーになりたい」は似たような話だと思います。つまり、「おもしろい小説を書きたいのに書けない」と「レッドコーダーになりたいのになれない」は同じようなことで、できる人もいればできない人もいます。そう考えてみると、その違いが何なのかを明確に説明できる人はいません。何が言いたいのかというと、小説書くしかないよね!、ということです。


 また駄文を書き連ねてしまいました。小説を書いていると不安になります。自分が何を書いているのか分からなくなるのです。なぜ書いているのかも分からなくなります。何がおもしろくて何が大切なのかわけが分からなくなるのです。それでも文章を書くこと自体は楽しいと感じます。不思議ですよね。


 それでは、また。

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