競プロ部始動編
3. 何から始めたらいいですか?
ここは競技プログラミング部、通称『競プロ部』の部室である。長机が二つと小さな本棚が一つ置いてあるだけの質素な部屋で、これぞ競プロ部というようなものは一切置かれていなかった。
大きく開いた窓から見えるテニスコートでは、快晴の空の下、テニス少女たちがひらひらと飛び回っている。スポーツを全くやってこなかった私には、彼女たちがなぜあんなに楽しそうに走り回れるのか不思議で仕方がない。
時刻は二時半。いつものように競プロ部の部室には三人の部員が集まっていた。
「今日の数学のテスト全然分かんなかった。授業は真面目に受けてるのになあ」
私は机に
二次関数のグラフの最大値や最小値を求めることが何の役に立つのか、まずはそこから教えてほしい。これではただのパズルゲームではないか。私はパズルをやるために高校に通っているわけではないはずだ。
「そうか? 私は簡単だと思ったけどな」
美味しそうなプリンを食べながら、早希は何でもなさそうに言った。
「早希、数学得意なの?」
「別に得意っていうほどでもない。でも授業適当に受けてたら、あれぐらいの問題すぐ解けるだろ」
「なんだ、天才タイプか」
競プロ部に入ってから数日経ち、この時田早希という人物のことが少しずつ分かってきた。早希は見た目こそ不良チックではあるが、実のところかなり頭が良いようだ。入学後すぐの学力テストでは学年一位を取ったという噂もある。やはり人を見かけで判断してはいけない。
「別に天才じゃなくてもあれくらい解けるって」
「天才はみんなそう言うから。……玲奈はどうだった?」
私の質問に対して、何やら分厚い本に目を落としていた玲奈が顔を上げる。
「ふつう」
いつになく無表情のまま、玲奈は一言だけそう答えた。言葉数こそ少ないが、玲奈は内に熱いものを秘めているタイプの女子であり、今も熱心に本のページを行ったり来たりしている。あんなに行ったり来たりしてちゃんと読めているのだろうか。
「ほらな、玲奈もああ言ってるし」
「うーん、なるほど」
競プロ部における三分の二、つまり過半数が問題なく解けたということは、あの数学のテストは本当に簡単だったのかもしれない。心配になってきた。大学受験のことも考えて塾に通うことを検討しよう。
「まあ、このプリンやるから元気出せよ」
そう言って早希は自分が食べているものと同じプリンを袋から取り出すと私にくれた。さらに「ほら玲奈もやるよ」と玲奈にも手渡す。
早希はいつも競プロ部におやつを持ってきていて、そして有難いことにそのおやつを私たちにも分けてくれる。これはとても徳の高い行為であり、早希は来世も良い人生を送ることになるだろう。私も見習わねば。
「これどこのプリン?」
「学校近くに高野喫茶店ってあるだろ? あそこ持ち帰りもできるから昼休みに買ってきた」
「おお、すごい行動力」
まさか昼休みのそこまで長いとは言えない時間内に、学外まで買い物に行くとはさすが早希である。
「ありがとね。今度は私もお菓子持ってくるよ」
たしか、
「お、いいね。みんなでお菓子交換会でもやるか」
楽しそうじゃん、と笑う早希の笑顔はステキだった。活気ある少女の笑顔というものも素晴らしいもので、何度拝んでも心を和ませてくれる。
「私も持ってくる」
そして意外にも玲奈が乗り気になった。
「玲奈はどんなお菓子持ってくるの?」
「和菓子」
何というかイメージ通りだ。玲奈はいつも温かい緑茶を飲みながら和菓子を食べていそうだ。もしかしたら家が和菓子屋なのかもしれない。和菓子を静かに頬張る玲奈の姿を想像して私の心は幸せに満ちた。
「ところで玲奈が読んでる本、競プロのやつ?」
玲奈は表紙に螺旋の階段が描かれた本を読んでいた。タイトルに「プログラミングコンテスト」と付いており、おそらく競プロの本であろうと思われた。
「そう」
「何か分かった?」
「競技プログラミングは、プログラミングを使って問題を解くゲームみたいなものらしい」
「ゲーム? 面白そうじゃん」
早希が目を光らせる。勝手なイメージだが、早希は外で遊んでいる姿が似合いそうで、ゲームに興味を示すのは意外だった。
「早希ってゲーム好きなの?」
「おう、好きだぜ。学校帰りにゲーセン行って音ゲーとかよくやってる」
「あー、なるほど」
ゲーム好きとは言っても、私のような家に籠ってブツブツと独り言を呟きながらゲームを遊ぶ人間とは違い、早希はゲームセンターで他の人と肩を並べて遊ぶタイプの人間。住む世界が違う。
私が最後にゲームセンターを訪れたのはいつだったか。中学生の頃に一度みんなでプリクラを撮ったことがあったような気がする。あのときは裕子に誘われて仕方なくいったわけだが、私はそもそも騒がしい場所が苦手なのだ。
「まあ、なんか楽しそうだな、競プロ。実際にやってみなきゃ分からんけど」
玲奈はそっと本を閉じて口を開く。
「いろんなウェブサイトで競プロのコンテストが開かれていることは分かった」
「コンテスト?」
「そう。世界中の人たちがインターネットを通じて競い合うらしい」
「おお、すげえな。かっこいい」
早希が目を輝かせる。
たしかに世界中と聞くと凄みが出てくる。もしかしたら、私の好きなハリウッド俳優トム・ハンクスも競プロをやっているかもしれない。そうしたら、私はトムと同じコンテストに出て、共に切磋琢磨することになるのだ。それはとても素晴らしいことである。
「いいね、コンテスト」
私もちょっとノリノリになってきた。
「うん」
「それでどうやったらコンテストに参加できるんだ?」
早希もコンテストに興味津々らしい。
「それを今から調べる」
そう言って玲奈は自分のカバンをガサゴソと探り始めた。何を出すのかと見つめていると、そこから出てきたのはノートパソコンであった。表面が光沢のある青色で眩くきらめいている。おそらくサイズは15インチ以上あり、体の小さな玲奈が持っていると、そのサイズ以上の大きさを感じた。
「いかついパソコンだな」
「うん、私のお気に入り」
玲奈は手慣れた手付きでパソコンを操作していく。何やらカチャカチャとキーボードを打っている玲奈を眺める私と早希。何をしているのか分からないが玲奈のその姿はかっこよかった。
そして、玲奈の巧みなパソコン操作を眺めていた私はハッと思い出す。
「あっ、そう言えば私もパソコン持ってきてたんだった」
数学のテストのことで頭がいっぱいになり失念していたが、競プロ部に行くならパソコンも持っていったほうがいいだろうと、昨日のうちにノートパソコンをカバンに突っ込んでおいたのだ。昨日の私、ナイスファインプレー。
私はマッドブラックのノートパソコンを取り出す。黒くてかっこいいという理由だけで買ったのだが、特に使う用途がなく部屋の隅に放置されて埃が積もっていたかわいそうなパソコンである。
さっそくパソコンを開くと起動ボタンを押す。
久しぶり過ぎて起動してくれないのではないかと少し心配したが、数秒経ってOSの起動画面が表示された。
「よかった、起動したよ」
私がそう言うと、早希が席を立った。
「ということはパソコン持ってないの私だけか。それは寂しいな」
「私のパソコンで一緒にやる?」
「いや、やっぱり私もパソコン欲しいし、競プロ部のパソコンがないってのもおかしいしな。ちょっと探してくるぜ」
早希はそういって席を立った。「思い立ったが吉日」と昔から言われてはいるが、パソコンをそう簡単に見つけるなんてことができるだろうか。しかし、早希の顔は自信に満ち溢れており、本当にパソコンを手に入れてしまいそうだ。
「探してくるってどこに?」
「そこは任しといてくれ。パソコン余ってそうなところの目星はつけてあるからさ」
そう言い残すと、早希は足早に部室を出て行った。思いついた瞬間に行動へ移すことができる早希のやる気には驚かされる。さすがの行動力だ。私にもそれだけの行動力があればもっと豊かな人生が送れるかもしれない。
「行っちゃったね」
私がそう呟くと、パソコンの画面を凝視していた玲奈が顔を上げる。
「任せとけばいい。早希なら大丈夫」
玲奈はすでに早希のことを信頼しているらしい。やはりいつもお菓子を持ってきてくれるからだろうか。私もお菓子を持ってきたほうがいいのだろうか。お菓子で玲奈の心を掴めるのならば安いものだ。
「インターネット繋がった」
そして、玲奈が小さくつぶやく。
「インターネット?」
「隣のパソコン部のWi-Fiが使える。パスワードが簡単に推測できた」
競プロ部の隣にパソコン部があることを初めて知ったが、セキュリティ意識が低いというあまり知りたくないことも一緒に知ることになってしまった。パソコン部の皆さんが心配になる。
しかし、今はそんなこと問題ではない。
「私もパスワード教えてもらっていい?」
玲奈からパソコン部のWi-Fiのパスワードを教えてもらい、私もインターネット環境を手に入れた。ありがとう、パソコン部。
「じゃあさっそく調べる」
玲奈はブラウザを立ち上げて競プロについて検索を始める。
私も『競技プログラミング』と打って検索してみた。そうすると一番上にウィキペディアのページが現れた。やはり調べ物ならばまずこのページを読むことから始めるべきだろう。
上から流し読みをしていると主要なコンテストという章を見つけた。たしかに玲奈が言っていたように世界中で競技プログラミングのコンテストが開かれているようだ。中には世界的に有名なIT企業が実施しているコンテストなどもあった。
私が参加するべきは日本で開催されているコンテストだろう。残念ながら私は日本語以外読めない。さらに言えば日本語も読めるか怪しい。国語の成績は小学生の頃から低空飛行であり、今も自信はなかった。
「……良さそうなブログを見つけた」
私がそんなこんなしているうちに玲奈がとあるブログを見つけていた。
「どんなの?」
「これ」
私は玲奈のパソコン画面をのぞき込む。
そのブログは全体がキラキラというか、ギラギラとしていた。タイトルは『女子高生の女子高生による女子高生のための競プロブログ』。とても長ったらしく、また最後の「プロブログ」の語呂の悪さがとても気になった。
「なんか怪しくない?」
私はそのブログが発する不審さからすぐに拒否反応を示した。しかし、玲奈は小さく首を振る。
「怪しいけど内容は大丈夫」
「そっか」
いかにも怪しいブログだが玲奈が大丈夫と言うならおそらく大丈夫であろう。
ブログのタイトルテキストはカラフルな珍しいフォントを用いて書かれており、背景にはおそらくブログの管理者が描いたであろう動物らしき何かが飛び交っている。さらに、ページのあちこちで下手くそな幾何学模様がチラチラと表示されたり消えたりしている。洗脳されそうだ。
とても怪しい。しかし、玲奈がすでに内容を確認して大丈夫だと判断しているのだ。大丈夫だ。問題ない。
■■■ つづく ■■■
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