2. 競プロ部の部室はここですか?
時刻は三時半過ぎ、放課後である。
私は競プロ部の部室前まで来ていた。部室棟三階の端、ドアの横には段ボールが乱雑に積まれ、一見しただけでは物置なのではないかと疑われた。しかし、ドアに『競技プログラミング部』と書かれた表札がぶら下がっていることにより、辛うじてここが競プロ部の部室であると認識できる。
私は一つ深呼吸をする。第一印象というものは人間関係を構築する上でとても重要なものであり、
私はドアの前に立ち、コンコンコンと三回ノックした。三回叩くのがマナーだという話を聞いたことがある。いや四回だったか。まあ、どちらでもいい。ノックという行為それ自体が重要なのだ。
物音ひとつしない静かな部室棟にノックの音だけが響く。ところで、なぜ部室棟はこんなにも静かなのだろう。他の部室には誰もいないのか。または誰かいるのにも関わらずこんなにも静かなのか。はたまた防音設備が優秀なのか。不思議で仕方ない。
私が余計なことを考えていると、部室の中から「どうぞー」と間延びした声が聞こえた。
「……失礼します」
私は声を抑えながら部屋に入った。大きな声を出すのが苦手というのもあったが、周りが静かであるため声が響いてしまわないか心配になったのである。
私がそっと部室の中に入ると、そこには女子生徒が二人いた。一人は本棚側の机を陣取り、もう一人は机を挟んで反対の窓側に座っている。
私はさっと目を巡らせてその二人のスカーフの色を確認する。二人ともスカーフは赤色であった。赤色のスカーフは一年生であることを表しており、山口先生が言っていたことが正しいことを裏付けていた。つまり、この競プロ部には私を含めて新入生が三人だけということだ。
「ようこそ、競プロ部へ。と言っても私たちも入ったばっかだけどな」
パイプ椅子の上で
日に焼けたためかその髪色は焦茶色をしており、肌も少し焼けている。制服を着崩し、スカートも短く、どこかスポーツ少女といったふうに見えた。
私は先に挨拶をする。
「入部希望の小流詩織です。よろしくお願いします」
礼儀として丁寧な言葉遣いを心掛けてみた。たとえ同じ学年だと分かっていても、はじめから馴れ馴れしい態度を取ることは、人によっては悪影響となる。注意しておいて損はない。
「ああ、よろしくな。私は
スポーツ少女改め、時田早希は軽い口調で自己紹介をしてくれた。そして、「そこの椅子空いてるから座っていいぜ」と一つの椅子を指し示す。窓側の長机には小さな女の子がちょこんと座っており、その子の隣が空いていた。
私は言われた通りにその席に座る。
「えっと、玲奈さんもよろしくね」
そして、隣の小さな女の子、西玲奈に声をかける。
「……玲奈でいい」
玲奈は真っ黒な瞳で私を見つめ、小さく頷きながら答えてくれた。かわいい。
「うん。じゃあ、玲奈で。私のことも詩織って呼んでね」
「分かった」
玲奈は制服を着ていなかったら小学生と見間違うであろうお人形さんのような可愛らしい見た目をしていた。さらに、その無表情さが可愛さに拍車をかけている。とても撫で回してみたい。
「それにしてもこの煎餅なかなかうまいな。食べるか?」
私が席に座り一息着くと、早希が煎餅を勧めてくれたのでありがたく受け取った。私が部室に入ってくる前から、早希はずっと煎餅を食べ続けていたようで、机の上には煎餅の袋が散らばっている。
「うん、ありがとう。……これ何煎餅?」
「これは成田山に行ったとき買ったぬれ煎餅だな。参道にたくさんお
成田山は千葉県成田市にあり、新勝寺というお寺があることで有名だ。そんな成田山名物のぬれ煎餅、少し柔らかくて食べやすいので私は好きである。
「玲奈ももう一つやるよ」
早希は玲奈にも煎餅を勧める。
「ありがと」
玲奈は両手で優しく煎餅を受け取った。そしてその小さい口で煎餅を小さく
「詩織は好きな食べ物ある? 私はオムライス」
早希が突然、自己紹介においてあるあるの質問である「好きな食べ物何?」を投げかけてきた。早希は人に話しかけることに対して、特に何も気に掛けないタイプの人間であるようだ。いわゆる「陽キャ」なのかもしれない。
「うーん、うどんかな。人生で一番食べてると思う」
私は無難な返答をする。敬語を使うか悩んだが、早希はそれを望んでいないようだったため、私はため口で話すことを決めた。敬語は礼儀を示せる分、友達との会話では距離を感じて不向きかもしれない。
「いや地味だな。うどんって」
生まれてから16年間、思えばうどんを食べ続けた人生だったといっても過言ではない。「うどんを食べない人生に意味はない」、これは母の言葉である。母の影響でうどんを食べに食べ、うどんに対する思いは人一倍だった。
「早希はうどん嫌いなの?」
「うどんは好きだけど、一番ではないな。20番目くらい」
「え?」
好きな食べ物ランキングでうどんが20位の人なんて、この世に存在するのか。あの煌びやかな麺、力強い喉越し。うどんに勝る物などないはずだ。信じられない思いで私の頭の中はいっぱいになった。
「まあ、好き嫌いは人それぞれだしさ。そんなことよりな、私が作るオムライスがめちゃくちゃ美味しいんだよね。自分でもびっくりするくらい。今度、詩織にも食べさせてやるよ」
早希がニコッと八重歯を見せた。
私はまだうどんのことを引きずっていたが、「ありがとう、今度食べさせてもらうね」と返事をする。
その後も、私と早希が簡単な雑談を交わし、その横で玲奈が煎餅を齧っている時間が続いた。
「とりあえず競プロ部はこれで全員だな。いやー、それにしてもよく三人も集まったな」
先ほども言ったが山口先生の話によれば私を含めて競プロ部の入部希望者は三人であり、そしてこの部室には三人の生徒が集まっている。つまり、これで競プロ部員は全員揃ったということだ。そして、問題はこれからどうすればいいのかということである。
「良く分かってないんだけど、競プロ部って何するの?」
私は煎餅を食べながら正直に二人へ尋ねた。
山口先生に勧められるがままに競プロ部に入った私は、今のところ競プロというものが何なのか分かっておらず、興味があるかないか以前の状態だった。
私よりも先に入部を決めていた二人の方が競プロというものに詳しいであろう。
しかし、返ってきた答えは予想とは少し違っていた。
「何だろうな、競プロって」
新しい煎餅の袋を開けながら早希は平然とそう言った。
これはもしやである。
「もしかして、早希も競プロやったことない?」
私がそう尋ねると、早希は煎餅を齧りながら「うん」と頷いた。
「そもそもプログラミングが何なのかも良く分からん。一応、ちょっとだけなら触ったことあるけど」
中学校の授業でちょっとだけやったんだよなー、と早希は続けて言った。それを聞いて私は少しホッとする。競プロ初心者が私だけではないと分かったからだ。
「私も同じ、中学のとき授業でちょっとやっただけだよ」
競プロ部などという未知の部活に入るくらいだから、ゴリゴリの経験者が集まっているのではないかと勝手に思い込んでいたが、そうでもないようだ。
「ハローワールドとか何とかを画面に表示させるプログラムを書かされたんだよな」
「それそれ、あれ何だったんだろうね」
「分からん」
私と早希は中学の授業で同じようなことをやっていたらしい。いや、やらされたという表現の方があっているだろうか。何も分からないまま、良く分からない記号の列をパソコンに打ち込まされたのだ。
「じゃあなんで早希は競プロ部に入ったの?」
それはそうと、私が言えることでもないが、なぜ早希は競プロ部に入部したのか。早希も先生から勧められてたのだろうか。私の仲間なのか。
「なんでって言われてもな。強いていうなら何となくだな。部活の一覧を見て、よく分からんけど競プロ部おもしろそうだなって。そんなもんだろ?」
とても漠然とした答えだった。
「……まあ、そうだね」
しかし、私も言えた立場ではない。他に選択肢がなかったからという消極的な理由で競プロ部を選んだ私と比較すれば、早希のほうが数段上であろう。
「私は知ってる、競プロのこと」
静かに座って熱い緑茶を飲んでいた玲奈が、突然に口を開いた。
「へぇ、じゃあ玲奈は競プロ経験者なんだ。あと、私もお茶飲んでいい?」
「経験者ではない。そこのポット、好きに使っていい」
この競プロ部の部室には玲奈が持ってきたらしい湯飲み用のポットがあり、玲奈はそれでお茶をいれたようだ。両手で湯飲みを小さく持つその姿はとても可愛らしい。私の家に持ち帰って飾りたい。
「それで玲奈は競プロやったことはないの?」
「やったことない」
玲奈は小さくそう答えた。
これはもしやの出来事である。競プロ部の三人全員が競プロ未経験という
「だけどプログラミングはそこそこある」
「おお」
「ゲームをいくつか作った」
「おお!」
何やら凄そうだ。ゲームを作るというのは「プログラミングをやる」という行為の中でも、かなりハードルが高いものではないか。もしかすると、この玲奈という少女は高レベルのプログラミングマスターなのかもしれない。
「めちゃくちゃすごいじゃん。どんなゲーム?」
早希が興味深々に尋ねる。もちろん、私も気になる。
「宇宙破壊シミュレーションゲーム」
「というと?」
「たくさんの星を飛ばしてぶつけてブラックホールを起こす。それでどんどん宇宙を壊していく。早く壊せるように頑張るとスコアが高くなる」
予想以上にぶっ飛んでいた。
「面白そうだな。ちょっと斬新すぎるけど」
「小さい星で大きな星を壊せたら得点が高い」
「そうなんだ……」
あの時田早希さえもが困惑した表情を見せる。さすが玲奈といったところか。早希もなかなか扱いづらそうな人物ではあるが、玲奈もつかみどころのなさが尋常ではない。常識的な人間は私だけのようだ。
「まあ、今度やらせてくれよ」
「分かった」
「それにしても、玲奈がプログラミングできる人で良かった。私たち競プロ部、路頭に迷うところだったよ」
とりあえず玲奈がプログラミング経験者ということが分かって安心する。みんながプログラミング未経験だと、何をするにも分からないことだらけで一年や二年を棒に振る可能性が大いにあっただろう。おそらく。
「じゃあまずは競プロが何なのか調べなきゃね」
競プロが何か分からないままでは何も始まらない、私はそう考えた。
「そうだな。埃かぶってるけど本棚に競プロの本らしきものが何冊かあるからそれ読もうぜ」
一つだけポツンと置いてある小さな本棚をざっと眺めてみると、『プログラミング』や『競技プログラミング』、『プログラミングコンテスト』などという単語がついたタイトルの本が並んでおり、まさにそれらは私たちが求めているものである。
「あと、一台くらいパソコンも欲しいよな。私、自分のパソコン持ってないしさ」
早希が部室内を見回して言った。続けて、「コンピュータ室とかからこっそり持ってこれないかな」と物騒なことを考え始める。
しかし、パソコンが無いのも事実だ。部室を見回してみても、パソコンはどこにもない。廃部状態が長く続いたためであろうか。となればどこからか貰ってくるしかなかろう。
「パソコンのことは顧問の先生に聞いてみるしかないのかな」
私はそう呟いたあと、はっと気づく。
「そういえば顧問の先生って決まってるの?」
山口先生も顧問の先生が誰かなどは何一つ言っていなかった。ここ数年間、廃部状態だった競プロ部に顧問の先生がいなくても不思議ではない。いや、いないほうが自然だろう。
「顧問の先生も探さなきゃな。面白くなってきたぜ」
早希が満面の笑みを見せる。早希は忙しくなるほど燃えるタイプのようだ。そういうタイプの人は生きやすそうだなと勝手に思っている。私はやることが多くなるほど、逆にやる気が削がれていく人間だ。
「じゃあ、また明日からよろしく」
時刻は四時を過ぎて、日が傾き始める。
これにて競プロ部における初の顔合わせが終わった。そして、競プロ部の日常がゆっくりと幕を開ける。
■■■ つづく ■■■
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