第16話 side岩崎智樹 過去の事件




何時もと変わらない集団下校時、所々に点在する先生や保護者の人達に見守られながらに帰宅していた。学校から家まで30分程度、それ程遠い距離でも無い。更に俺の家から直弥の家まで直進道な事もあり遠目にだが目視出来る程の距離。しかも直弥の家には父親の真弥さんが在宅している。


だから心配もしないし、油断もする。


常に一緒に登下校はしているが、学校からは俺の家の方が僅かに近い。当然帰宅は俺の方が先に家に着く。子供らしく手を振り合い別れてから家に入った。


服を着替え、母親に御菓子を出して貰って頬張っていると、家のインターホンが鳴った。俺の母親がドアを開けると信弥さんがいる。台所から顔を出して見ている俺でもわかる程に、顔を強張らせ、息遣いも荒い。


嫌な予感がした。


何時もの優しい表情は無く、急かす口調で俺の母親に聞いた。



――直弥が来てないですか、と。



当然来ていない。俺と直前まで一緒だったのだから。


俺はすぐに玄関に駆け寄ると、信弥さんの話を聞いた。


何時もの時間になっても帰って来ないから、家の近くで遊んでいるのかと周りを探したらしい。直弥一人で絶対に探せない範囲には行かない。だから焦った。それなら俺の家で遊んでいるのかと思って慌てて来たみたいだが、そもそも一度も家に帰らず俺の家で遊ぶ事など無い。


そして、信弥さんがパニック状態となった。

思い付く全ての事を一人で同時にしようとするぐらいに混乱している。

俺の母親が落ち着かせ、少し冷静になった信弥さんが美鈴さんに連絡を入れた。続いて学校に。その後は俺の母親が持ってきた保護者会名簿を見ながらに連絡しだした。


その後10分もしない間にファンファンファンとサイレンが静かな住宅街に響き渡る。


その音を聞いて、ポジティブ思考とネガティブ思考を口から吐きながら慌てて信弥さんが自宅へと走り出した。その後に俺も靴を履き追いかけた。俺の母親は父親に連絡するらしい。


俺の足で直弥の家に到着して間もなく、三台のパトカーが来た。ドアを開け6人の警察官が降りてくると、玄関に立って待つ信弥さんと話をしている。警察には美鈴さんが連絡したらしい。


その時、既に周りは野次馬だらけになっている。


警察は数名の野次馬に対し状況確認をしている。しかし残念な事に手掛かりとなる答えは無かった。その後、警察官が俺にも事情を聞いてきた。だが残念な事に俺にもわからない。


更に騒ぎが大きくなったところで、警察官2人と俺と信弥さんで玄関内に入る。

玄関を開けた処で、直弥の弟の蒼空君がいる。同じ小学校だが蒼空君は信弥さんが送り迎えしている。そして俺達より早く帰宅していた。詳しい事情は知らされてはいないが、騒がしい外の状況に不安な様子。


それから30分程経過したのだろうか、凄く長く感じられた。

その間で、これが事件事故に巻き込まれた可能性、更に深い内容では誘拐事件の可能性が高いと警察官の一人が非情な通告をする。


それを信弥さんが受け入れると同時に警察官が無線で連絡し、更に数台のパトカーが到着する。


辺りは薄暗くなる中、俺は警察官と一緒に最後に別れた俺の家の玄関まで行くと、その時の状況を細かく説明した。


そうしていると俺の父親も帰ってくる。再度事情を説明している途中に一台のタクシーが直弥の家へと向かっていった。そして降りて来たのは直弥の母親である美鈴さんだ。


慌てた様子で人混みを掻き分け家の中へと入って行く。


暫くして俺と両親も直弥の自宅へと向かった。


直弥と別れてから2時間、俺は不安な思いと何故家まで送らなかったのかと後悔し続けた。心の底から悔しい気持ちが込み上げてくる。何より無力な俺自身に凄まじく腹が立つ。


直弥に、俺の『弟』に何かあったら――。



――そいつを絶対に許さない。



俺は肩を震わせ、怒りで顔を歪めた。


そんな俺を見かねた美鈴さんが声を掛けてくれた。絶対大丈夫だから、と。優しく頭を撫でてくれて、そして俺の表情が落ち着くと『心配してくれて有難う。これからも直弥をよろしくね』と言ってくれた。


勿論、不安な表情はしているけど、その口調からは無事に帰ってくるのが当然だと言いたげだった。


それから更に1時間後、外が暗くなった事で野次馬も減り、パトカーの赤灯が目立ち出した頃に事態が動いた。


一人の警察官が家へと入ってくると、数枚の写真を俺達に見せた。それは、防犯カメラの映像を印刷したカラー写真。


そこには直弥らしき銀髪に俺と別れた時に着ていた服装。その背中が写っている。

その後も場所だけが違う数枚の写真を俺達は見た。


全て、直弥だ。


その隣には大人だとわかる人物。フードで顔は隠れているが長く伸びた髪の毛と体系からして女性だとわかる。


その内の一枚に俺は目が釘付けになった。


薄っすらだが見える顔。警察官が『見覚えありませんか?』と俺達に聞く。


見覚えがあるッ!

一か月前まで毎日の様に見ていたのだから、忘れる筈がない。



――あの女の母親だ。



俺はすぐに声を荒げ、叫ぶ様にそれが誰なのか伝えた。

警察の方も、今割り出している最中だったらしく慌てる様に動き出した。


それからは全てを警察に任せ、祈る気持ちで直弥の家で待った。

信弥さんは美鈴さんが帰ってきてからはずっと蒼空君と一緒に別の部屋に行っている。リビングでは美鈴さんと俺と俺の両親の4人で心配そうに座っている。警察の人は今は部屋にいない。


間もなくして、美鈴さんのスマホに連絡が入った。

電話に出て話を聞き返事をしている内に、美鈴さんの声が震えだし咳き込み涙を流した。一瞬、最悪な事態かと俺と両親は沈痛な気持ちになるが、すぐに安堵と変わった。


電話越しに頭を下げ『有難う御座います』と安心した口調が聞こえた事から、直弥が無事だと確信したからだ。


それから間もなくして、野次馬に見え難い様にパトカーが玄関に着けると一人の警察官と手を繋いで降りてくる直弥がいた。



その瞬間。



美鈴さんは直弥に駆け寄り抱きしめ泣き叫んだ。

真弥さんはその美鈴さんの肩と直弥の頭に手を置き、涙を浮かべる。


先に連絡を貰い待ち構えていた俺達も心から喜んだ。

その様子を見ている俺の親も涙を拭い、泣いてる俺の頭を撫でてくれた。


だが終始、直弥は下を向いたままだ。

不思議に思った俺が直弥を近づき顔を見ると――。


真っ赤になった頬。誰が見てもわかる程に何度か叩かれた形跡。

その目は涙を流しながらも何処か虚ろで表情が消えている。


服装にしても、引っ張られたのか所々の服は伸びて破れている。


そして――。


『なぜ僕は女の子みたいなの?』と。


虚ろな目で呟いた。



俺達は直弥が突然に何故そんな事をに言い出したのか戸惑った。

信弥さんは連れて行かれた先で何か辛い事があったのかと察し、悔しさに耐えるように唇を噛んだ。俺はその言葉の意味は解らないが、それ以上に直弥が傷つけられた事で我慢のならない憤激を抱いた。


だが、美鈴さんは違った。直弥の言葉の意味を理解すると、淋しそうに涙ぐみながらに直弥の頬にキスをして――。



『私の直弥は何処から見ても、恰好良い男の子よ』、と。



両手で直弥の顔を上げ、目線を合わせて、そう答えた。

物悲しげに微笑むその表情は、今でも俺の脳裏から離れない。



俺と俺の両親はその後は部外者でもあるので家へと帰ったので、その後のやり取りは知らない。


それから3日目の夜、俺の家を訪ねて来た美鈴さんに事の顛末を聞いた。


その間、直弥も蒼空君も学校に来ていない。




△▼




事件の顛末。



事の発端は1年前、俺達が小学3年生の時。

授業参観で信弥さんが学校に来たのが始まりだった。


信弥さんは堂々とした姿で俺達の教室へとやって来た。顔を隠す訳でも無く堂々とだ。信弥さんは自身の容姿に鈍感な訳でも無いし、理解もしている。


それでも自身を隠す様な真似は息子の前ではしたく無いらしい。それはこの事件の後からも変わっていない。それは信弥さんに似ている直弥に模範しているかの様だ。


だが、やはりその容姿は注目を浴びる。


小学校では入学式から始まり、各種保護者参加の行事も全て信弥さんは学校へ訪れる。更には蒼空君の送り迎えでも学校へ来る。


その都度、女性の保護者から黄色い声が飛び交う。中には本気で親交を深めようと接近する人もいる。そんな人にでも全て笑顔で対応し、嫌味な気分になどさせない。それならば女性にだらし無いかと言えばそんな事は無い。家族思いで常に美鈴さんの事を思っている。


理由は簡単だ。


色目で寄って来る女性との会話は、全てロシア語だからだ。


日本人でロシア語を話せる人は多くない。不可解な言語ではコミュニケーションは成り立たない。勿論、日本語に違和感など無いし、逆に俺達とロシア語で話した事すらない。


だから、寄っては来てもすぐに苦笑いに愛想笑いを浮かべ信弥さんから離れて行く。



だが、小学3年生の時の授業参観の日は何時もと異なった。

一組の親子が信弥さんと直弥が休み時間に教室の廊下で話している時に駆け寄ってくる。その時、俺も近くにいたので一部始終みていた。


初めは笑顔を向け何時もの様にロシア語の挨拶をして早口で会話をする。普通ならこの時点で遠ざかるのだが、その母親は違った。


スマホで翻訳してまで会話をしようとしたのだ。

流石の信弥さんも顔を引き攣らせ、戸惑いを見せる。


それでもやはりスマホ越しとなると簡単では無い。大した内容も無いままに休み時間が終わるチャイムが鳴り、教室へと戻ろうとした。


去り際に、その母親は直弥に話し掛け、最後に自分の子供をおしつけるよう紹介する。直弥も困惑するが笑顔でそれに答えた。


だが、この日からこの女の子が直弥に執着しだした。

そして、それが原因となり、この不愉快極まり無い出来事が起こってしまった。





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