第22話 朝比奈家の新年



1月1日、元旦。


降り注ぐ日差しの中、太陽の光をいっぱいに吸い込み目が覚める程の色鮮やかな草花がどこまでも続き、終り無き広大な草原を彩る。

時折吹くそよ風が清々しい香りを運び、俺の鼻を擽り胸いっぱいに吸い込みたくなる。


『なおやくぅん、まってよぉー』


甘く澄み透った美声が俺を呼ぶ。


『あはははっ、美香もう少しだ! 追い付いてごらん』


前を行く俺を、美声の持ち主である美香が追いかけてくる。


『はやいよぉー! だっこしてよぉー』


甘えた言葉で可愛く拗ねる美香へと振り向くと、真っ白な上下の水着ビキニが眩しく、上下へと揺れる二つの胸に俺の目が釘付けとなる。


『あははっ、我儘な子猫ちゃんだ。そんなことしたら美香に見とれて走れないだろ。 あはははっ』


『もぉー、直弥くんのいじわるぅ……でも、だいすき』


『あはははっ、俺も美香が大好きだよー、あははははは――――』


俺は足を緩め、美香が追い付いたところで手を繋ぎ、幸せを感じながらに幻想的で美しいお花畑を歩む。






俺だけ、すっぽんぽんで。






ジリリリリリィ――っと、そんな初夢を見ている途中に、目覚まし時計が鳴り響き、目が覚めた。




変態じゃねーか。くそっ。

いよいよ俺の頭もお花畑だな。


しかも、なんで俺だけ全裸なんだ。せめて美香も裸にしろよ。

俺の脳内フォルダーに貯め込んでるデーターでは変換が出来んのか?


まぁ無理か。見たことないし。


そんなくだらない事を考えながら、布団から出る。


年の初めとなる本日も、目覚めは良好だ。

すぐに愛用のジャージに着替え、毎日の日課をこなる準備をする。


正月だろうが、お盆だろうが雨が降ろうが雪が降ろうが関係ない。日課の筋トレは絶対にする。――流石に台風とかは無理だけど。


それがシュワちゃん様への第一歩と信じているから。


家族はまだ起きていない。ランニングシューズを履くために玄関の灯を付け、履き終わると、消す。


ドアを開け外に出ると、まだ薄暗く空に冷たい空気が今年の始まりを告げてくる。

薄い手袋の上から息を吹きかけ悴かむ手をほぐす。そして、新年の第一歩を踏み出した。


疎らな街灯に照らされた道を走る。住宅街であり何の刺激も無い道、そこを抜けると街灯がぽつんぽつんとしかない坂道、そこを下ると大きな公園となる。公園の中は芝生を縁どる散歩道があり、そこをひたすら走る。


一周、二週、三週と。


その頃には人影も増えてくる。正月早々で何時もよりは人は少ないが、それでもこの公園を訪れる人はいるみたいだ。


挨拶を貰うと返し、清々しい朝日が公園を照らしたところで家へと向かって走り出す。


家に戻ると、冷蔵庫に入れてある冷えたスポーツドリンクを飲み、その後、トレーニングルームで更に汗を掻く。


そしてシャワーを浴びる


此処までが何時もと変わらない、俺のルーティン。


この後、お布団ダイブとなるのだが……今日は正月、家族が既に起きているので至福の二度寝は許されない。


なので、スウェットに着替え、ダイニングキッチンへ向かう。

部屋の中では話声が聞こえるので、家族は既に起きているのだろう。


ガチャっとドアを開け中に入った。


「おはよー」


「はい。直弥君、お早う御座います。それと改めまして、明けましておめでとう御座います」


「明けましておめでとう御座います」


御節料理の準備をしている父さんが、新年の挨拶をしてきたので同じく返す。


「おにぃちゃん、おはよー! あけおめだよー!」


「はいはい。あけおめ」


続いてソラにも返す。

ソラは相変わらず朝のテンションが高い。女みたいな口調と、あざといポーズが少しウザくは有るが。


昨夜も除夜の鐘の後にも新年の挨拶はしたが、明るい時間にすると、新年が来たのかと実感する。


「あれ? 母さんは?」


流石に新年までは仕事が無いらしく、年末となる昨晩はずっとお酒を飲んでいた母さんは此処にはいない。


「まだ、寝てるかな」


寝てるんかい! 

俺も二度寝しとけばよかったし。


「今日は初詣だからねー。昼前にはお迎えに来て貰えるから用意しないとだし、もうすぐ起きては来るよ」


「了解」


「初詣楽しみだねっ!」


初詣って楽しいのか?

俺は人混みに酔いそうで辛いんだよな。それでも、俺だけ行かない選択肢は無い。昔に一度拒否したら、母さんが怖すぎたから……。


中学の頃は少人数で毎年同じ神社に行ってたが、去年から大人数に変わり何かと派手になった。その思い出が頭を過る。まぁ今年は流石に着物だし、去年程に派手では無いだろう。


「今年も、同じ神社?」


俺は服装以外は何も聞かされていない。


「そうだね。家族全員で新年の初詣を無事に行ける事が、去年お参りした初詣の御利益とも考えられるし、だから出来るだけ同じ神社に、と。――まあ、そんな感じだね」


「ふぅん。なるほど」


縁起事になってるのかな。


「それに、あの神社は沢山の御利益もあるし、何より家から近いからね」


「確かに。遠いところは移動だけで疲れるしね。それよりも混むのが本当に辛い……」


「はははっ、それでも結構混と思うから覚悟しててね」


「うん……」


初詣とか混み過ぎでホント疲れる。

それを思うと、げんなりしちゃうな。




間もなくして、寝ぼけながらの母さんが部屋に入ってくる。

母さんとも再度新年の挨拶を交わし、全員揃ったところで御節料理を食べ始めた。


御節料理は、毎年父さんが仕込みから調理までやっている。テレビとかで見る豪華な料理と変わらない程の出来栄えだ。しかも凄く美味しい。


「直弥! 数の子ばかり食うな! 黒豆を食え!」


大好物の数の子ばかり食べていると母さんに怒られた。


「えー、やだよー」


黒豆苦手なんだよね……。


「好き嫌いするな!」


母さんこそ、伊勢海老を丸ごと奪ってるじゃん……。


「はははっ、新年の朝も賑やかで、パパは嬉しいよ」


「おにぃちゃん、海老の皮を剥いて上げたからね。これ食べて」


ソラがせっせと皮を剥いていた海老を俺の皿に置いた。


「おう。ありがと」


海老は美味しいけど、皮を剥くのがめんどくさくて余り手を付けないんだよね。


「蒼空はホント良い子だ。直弥も見習え」


「てへへっ」


「……」


見習えって言われても……。

良い子じゃ無くてもいいから、男らししろと言ってやってよ。母さんは何とも思わないのか?


その後、家族団欒の食事も終わり、各自出掛ける準備をする事になった。


俺も着物を着る為にと、父さんの部屋に行く。


クリスマスの時の様なやばいのが無いか周りを見渡すが、今回は大丈夫そうだ。

男性用の落ち着いた紺色の着物が掛けてあるだけだし。


しかし油断は出来ない……あれは、父さんので俺のは別とか普通にあり得る。


警戒はしていたが杞憂した事も無く、そのまま掛けてある着物を父さんに手伝って貰いながらに着替えた。


今回は特に問題無がない。

派手でも無い地味な紺色だし、変な飾り付けもない。


ホッと胸を撫でおろす。


しかし、和服って着るのが大変だけど着心地も良いし、やっぱり日本男児には着物が落ち着く。お相撲さんみたいで男らしく恰好良いし、俺的にはかなり気に入っている。かなり御満悦。


「直弥君良く似合ってるよ。やっぱり着物はいいね。正月の雰囲気を感じれるよ」


「そ、そうかな……。でも確かに心まで引き締まった気がする」


素直に褒められると照れるし。


「次は髪の毛をセットするからね」


「え? セットまでするの?」


「もちろんだよ。きちっとしとかないと、神様に失礼だよ」


「な、なるほど」


確かに折角の初詣だし、髪もセットしないとダメかな。


そのまま鏡の前に座らされ、手慣れた感じで父さんがセットをしてくれる。

父さんって何でも出来て凄い……。本当に関心する。


「あれ? そういえばソラは何処に行ったの?」


何時もならキャッキャっと煩いソラがいないのが珍しい。


「蒼空君はママと一緒に着付けしてるね」


「ああ、母さんの着付けの手伝いね」


女性の方は大変だしな。


「……まぁそんなところ。よしっ、出来上がり」


少し意味深な感じもあるけど、納得したと同時に髪のセットが出来上がった。


鏡で見ると、ワックスべったりでオールバック。

灰色の髪でオールバック?


んー、黒の髪色だと侍みたいだけど男っぽいけどなぁ。

しかも俺の顔が隠れて無いから恥ずかしいような……。


「有難いんだけど、俺にオールバックって似合ってなくない?」


「そんな事ないよー。凄く男前さんだよ」


「そ、そうかな……」


男前って言われると嬉しいし、まぁこれでいっか。


「さて、次は自分の用意するから直弥君はリビングで寛いでてね」


「了解ー」


これで俺の体が大きかったら、本当のお相撲さんみたいなのに。

貧弱な体が嘆かわしい。



それからリビングに戻り、テレビの電源を入れてリモコンをポチポチと押す。

しかし、幾らチャンネルを変えても興味を示す番組が見当たらない。


毎年、正月になると思うが、同じ様な番組ばかりで飽き飽きする。放送倫理の問題で無難な企画をしているのはわかるが、もう少し体を張った男らしい番組は出来ないものか、とも思うが――とりあえず無難な番組を見ながらに時間を潰している。


間もなくして、着付けが終わったのか、リビングの外から母さん達の話声が聞こえてきた。ドアが開くとまず父さんが入って来る。


「直弥くん。おまたせ」


似合ってはいるのだが、日本人らしからぬ容姿ではあるので、外人が着物を着ている違和感みたいなものを感じてしまう。

更に、その後ろから続いて入ってきたのは母さん。そして俺を見るなり一瞬うれしそうな顔をしたかと思うと、すぐに眉を顰める。


「ゴロゴロするな。服がシワになるだろうが!」


「はい……」


そしてその第一声が相変わらずの口調。


「まぁ、だが似合ってるぞ」


テレ隠しなのはわかるけど、それなら、せめて褒めてから怒ろうよ。

母親にツンデレされても返す言葉に困るわ。


「そりゃ、どうも……」


可愛い息子なんだからさ、もっと褒めて育てても良いんだよ?


そんな母さんは、息子である俺が贔屓目で見ても着物姿は似合っている。子供が二人もいる様には全く見えない。だから余計に、その容姿に似合わない口調が凄く違和感がある。


そして母さんで忘れていた時、モジモジとしながらリビングに入ってくる、ソラ――。


「おにぃちゃん……どぅかな?」


「……」


言葉が出ない。油断した。今回は何も無いと。


確かに先程までは無かった。


だから、警戒心を解いてからの、これは――。


「――なんだ、その恰好はッ! なんで女性の着物なんだよッ!! 何気に違和感が無いのがムカつくしッ! 余りの出来事に言葉が出なかったわッ!」



パッッッコォーン!



俺の興奮した声以外は、静かだった部屋に良い音が鳴り響いた。

そして俺の頭に微妙な痛さが襲う。音の原因に目を向けると、凄く怒った顔の母さんがいる……手にスリッパを持って。


スリッパで叩くとか、芸人だけかと思ってた……。


「直弥ッ! 蒼空に謝れッ!」


「いや――「謝れッ」」


「だから――「謝れ」」


「ご、ごめんなさい……」


「ふんッ! まぁいい。今度そんな酷い事を言ったら、小遣いなしだッ!」


どっちが酷いんだよ……。

そもそも弟に女性服を着せる親の方が可笑しいだろ。


「おにぃちゃん、気にしてないよ。似合うって言ってくれたからソラは嬉しいよ!」


「一言も言ってないだろーがッ!」


「なぁぁおぉぉやぁぁ」


母さんにすっごい睨まれてるし。


「あ……ごめんなさい」


ソラの耳は都合が良い様に聞こえる変換機能でも付いてるのか? 

ある意味羨ましいわ。


「直弥も照れずに素直になれ。どこからどう見ても蒼空は可愛いだろ?」


「ア、ハイ。ソーデスネ」


本音言ったら怒るから、何も考えずそう口にするしかないし。


「そうだねー。パパも蒼空君は本当に可愛いと思うよー」


「ふふっ、そんなパパの素直なところが、チョーラブリーで、チョベリグだ」


「パパ、ママ、おにぃちゃん、ありがとッ!」


「…………」


なんだこれ?

子供の前でラブリーとか言うなよ……しかも、チョベリグってなんだよ。初めて聞いたし。


「あはははっ、僕も美鈴さんが大好きですよ」


「もぅもぅー! 信弥さんったら……」


父さんもガチでデレないでよ。母さんが乙女に変わってるし……。


俺の家では、よくある光景だけど、流石に新年早々に息子の前でイチャイチャするはどうかと思うのだけど……。


まぁ、もうソラに関しては諦めよう……。

俺が女装してる訳じゃないし、外では他人のフリでもしとこう。


「さて、少し早いですが準備終わりましたね。お迎えが来てくれるまでは、ゆっくりしときましょうか」


「信弥さん、喉が渇いたからビール欲しい」


「出かける前ですので、少しだけですよ」


「はーい」


母さんまだ飲むのかよ。

昨日も飲んで、御節食べながら飲んでたのに。


「ソラも飲み物ほしいー」


「一緒に持って来ますね。直弥君もいるでしょ?」


「……うん」


出掛ける前に疲れてしまう……。



それからリビングで一緒に寛いでいると、テレビから帰省情報が目に入り、何気無く母さんに聞いてみた。


「そういえば、母さんと父さんの実家に一度も行った事が無いけど、帰らなくていいの?」


「ああ……まぁ、そのうちな……」


「……」


祖父も祖母も健在みたいなんだけど、会った事が無い。父さんの方は海外だからって理由。母さんの方は県外って理由らしいけど。だから写真でしか見た事が無い。だけど日本にいる母さんの祖父と祖母には何時でも会えそうなのに、その話をすると何時も濁った返事をするんだよね。


まぁ俺は別に構わないけど。




ところで………お年玉、無いの?






それから間もなくして、お迎えが到着した。

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