第9話 side高梨沙織



10階建てマンションの6階、とある一室。


無機質な本棚、仕事道具が乱雑に置かれた木の机、大量生産されたパイプベッド。この部屋には、拘りはどこにも見られない。


横を向くと硝子窓からは、まんまるな月が目に入る。少し空気の入れ替えの為に窓を開けると、冷たさが肌を刺す。


殺風景な部屋。


これが私、高梨沙織の部屋。


そして、デザインより使いやすさを重視したデスクの前、現在連載している簡単なラフ画を書きながらに、今日の喫茶店カフェでの事を思い出すと自然と笑みが 零れる。



昔の私では考えられない程に充実した、日々。



私は小学校、そして中学校で美香と出会うまでは本当に暗い女の子で、根暗、オタク、幽霊やキモい女とまで、様々な呼ばれ方をしていた。


背が高い事へのコンプレックスに、背を低く見せる為に猫背にもなった事が原因で余計に暗そうに見え、そして、そんな悪口を言われる様になった。

最初は気にはなってはいたけど、言い返せない私は、その呼ばれ方ですら受け入れ始めると女の子をするのを諦め、青春と言われる行動を取らなくなった。



その代わりになったのが、漫画や小説。


特に漫画の世界はよかった。


現実では味わえない世界にのめり込み、妄想の中だけは、かわいいヒロインになれる。素敵な男性達に囲まれ、恋愛なんて思いのまま。


その世界でなら私を取り合う王子様に騎士様、貴族達、そして勇者に英雄など、本を変えれば思うがままだ。


ラブコメや少女漫画になるとイケメンクラスメートに先生や大人達、そんな男性達のヒロインになれる。


だけど、そんな世界にのめり込む程に不満を抱きだした。


自分の思う様な展開にならないし、思い描く理想の男性と違うからだ。

そして自分の理想を求め続けて、最終的に辿り着いたのが――自分でペンを取る事。


最初はストーリを考えてもいたけど文才の無さに絶望し、絵を書く事に熱中した。

私の理想のヒロインや理想の男性達。そうすると物語を足せる様になっていった。


最初の頃はそれを見ると悶絶しそうな程に恥ずかしく、机の引き出しに鍵を掛け封印したものだ。


だけど、書き続けていると、慣れても来る。


その時に考えた事が――誰かに見て欲しい、と言った願望だった。


しかし、悲しい事に私には現実社会には友達が一人もいない。出版社やネットに出すなんて事は私の弱い心では有り得ない。



そんな思いが日に日にと強まっていた時に、美香――姫と名高い西織美香が声をかけてくれた。


勿論、見た事はあったのだけど、真近で見ると物語に出てきそうな程に奇麗でかわいい。私の想像するお姫様そのままのイメージだ。


余りの眩しさにクラクラしてしまう程。女としての嫉妬なんて描く以前の問題だった。


私とは天と地ほどの差がある、女の子。


初めは席が隣ってだけだったかも知れないけど、話下手の私に合わせる様にゆっくりと、真剣に向き合ってくれた。


あれ程に嬉しかった事は無い。


私は徐々に心を開きだすと、勇気を振り絞って漫画を描いてる事を話した。大袈裟な程に驚いた美香は興味津々。


それなら、と。私の見せたい願望を叶える為に、見て欲しいとお願いをした。


勿論、不安があった。読み終わると豹変して悪役令嬢みたいになって冷やかされ、笑い飛ばされないか、とか……漫画を読み過ぎた影響が私の心を濁らせる。


次の日、一冊のノートを恐る恐る学校に持って行った。私の渾身の出来の一冊だ。


そして放課後、美香にそれを渡した。


美香はすぐに、心から楽しみだと言葉にし笑顔を向けてくれて、そして持ち帰ってくれた。


その次の日、ドキドキする気持ちを抑えながらに教室に入り隣の席に座る美香と挨拶を交わした後、見惚れる様な笑顔で私に顔を寄せ耳元で囁いた。そして『凄く絵が上手だね』、と褒めてくれた。ストーリに関しては何も言われなかったのだけど……だけど、その一言が本当に嬉しかった。


それからも新作が出来上がると読んで貰える程の間柄となり、感想を聞かせてくれて……そして、私の中だけかも知れないけど、心から親友と思える存在にまでになっていた。


しかし、一度も登下校を一緒にしたり休みに遊んだりはしない。その理由を美香に聞き、照れながらに話してくれた内容が、私みたいに妄想癖の強い中学生には刺激が強すぎて豆鉄砲を食らった鳩のような表情になった。


でも、それは仕方のない事だ。


美香があの王子こと朝比奈直弥と友達だとは知ってはいたけど……それでも、登下校から休みまで常に一緒にいるとは思いもしていなかった……。しかも両親公認とか。漫画や小説のベタなストーリーが実際にある事に衝撃を受けた。


美女は美男を呼ぶのかなって思うと、納得は出来たのだけど。


それ程の王子の評判は知らない人がいない程に有名だ。それは親友である美少女の美香より話題に上がるぐらいに。


超絶イケメン。クールビューティー。王子など……色々と呼ばれ、顔面偏差値が凄まじい程に高い美顔の持ち主、それが――朝比奈直弥。


噂も、多様に存在する。


目を直接見たら意識を飛ばさせてしまうから、伊達眼鏡してる。

その微笑は凶器であり狂喜でもある。

余りに取り巻きがうるさいから護衛に騎士をつれている。

接近禁止、二次元だと思え、距離を取れ。

外国の芸能人の父親を持つとか――。


他にも山ほどにある。


更に美香が爆弾を投下する。

そんな王子と私を合わせたいって言った。その時、私の心臓を壊す気なのかって本気で思ったのは至極当然だ。


それからの美香の行動は早かった。

王子呼びは禁句との注意事項も聞き、嫌がる私を無理やり引きずる様に朝比奈直弥のところに連れていかれた。


余りに場違いな私は、何時もの様に目線を下げ猫背になり怯えた下等生物の如く存在感を薄めた。チラっと伸びた前髪の間から見る朝比奈直弥は、同じ場所で息を吸ってる事さえ謝罪しそうな程の存在感だった。そして、その美顔から繰り出された彼の第一声が……きょどりながらの、よろピク。


余りに噂や見た目とは違い、人間不信かと思える私に似ていると一瞬思ってしまった事もあり、緊張が和らいだ私は小さな声で笑ってしまった。


すぐに、ハっと我に返り、やってしまったとの後悔してすぐ、違う意味で有名な岩崎智樹が続く様に『よろぴく』と言い切った。


緊張を和らぐ為だったのか分からなかったけど、私には十分な程に落ち着きを取り戻す事が出来て、私も小さな声だったけど、よろしくと伝える事が出来た。


確かに御伽話にでも出るような笑顔で挨拶をされていたら、危なかったかもしれないのは確かだけど、その後、美香を加えて話してみると言葉の内容も凄く幼稚で馬鹿らしく、良い意味で親近感も沸き美香同様とまではいかないけど、普通に話せれるぐらいにはなった。


それから3人と一緒にいる事が増えた。

しかし、その代償として周囲から分かる程の嫌がらせを受け始めた。


あの3人と一緒にいると、そうなるのは最初からわかっていた事だから、と。自身に納得もさせた。でも、それ以上に友達となれた事の方が凄く嬉しい。嫌がらせも気にする素振りを見せず、そして何時の間にか嫌がらせなども自然と無くなった。


影響力のある3人に知られ嫌われ、学校生活に支障が出る程にリスクがあると思ったのかも、知れない。



そんな当時の私は、直弥も、そして智樹も、別段恋愛感情ある異性と意識する事も無く日々を送ってはいた。



けれど……ある出来事から四人の関係性に変化が訪れた。


それは今でも忘れはしない、高校生5人に絡まれた、あの日の出来事。


不良の男の人達は美香狙いなのがあからさまで、私なんて殆ど眼中にも無かったのだけど、それでも怖いものは怖い。


美香の腕を引っ張り、どこかに連れて行こうとする男の人。私は怖くて何も言えなかったし、震えているだけで何も出来なかった。


そんな時に直弥が凄い勢いで走ってくると、美香の手を掴んでる男に勢いのままに突進した。


美香は怖いながらにも直弥だとわかると安心した表情になるも、すぐに仕返しを恐れ、目を瞑ってしまった。私も怖くはあったけど、男の人達は私には興味は無く蚊帳の外だった事もあり、その後の出来事もしっかりと見ていた。


直弥は後先考えてはいなかったのだろう……よく見ると、震えてた。


それでも男の人達の前に立ちはだかり、美香を守ろうとしている姿は本当に王子様みたいだった。しかし悲しい事に多勢に無勢、明かにその後の光景が目に浮かぶ。

 

すぐに突き飛ばされた男が立ち上がり直弥に向けて罵声を吐きながら向かっていった。そんな危機一髪の状況で信じられない事が起こった。


直弥から何時も離れる事が無い、岩崎智樹。


飛び込んだ直弥より少しだけ遅れて到着すると、直弥に殴り掛かろうとしている男の拳を片手で受け止め、もう片方の拳を相手の顔面に叩き込む。更に悶絶してる男のお腹を蹴り上げた。


何が起こったか分からない様な感じで茫然とした表情の他の不良達。だけどすぐに仲間がやられた事に腹が立ったのか、4人で智樹に向かっていく。


智樹は逃げる訳でも無く、堂々と落ち着いた様子。

そして、不良達の拳を受けたり、交わしながらに、投げ飛ばし、殴りつけ、蹴る。


それからは一方的な展開。


一人は伸びてるとしても、4人同時に相手するのは現実的に不可能だとも思えたのだけど、杞憂だった。


余りに一方的展開に不良達が可哀そうとも一瞬は思いもするが、すぐに、ざまーみろって思い直した。私の親友の美香を泣かせたんだから、いい気味だ。


それから間もなくして、外の騒動に気付いたコンビニの店員が店から出て来て警察に通報したと大声で言うと、高校生5人は慌てながらにもヨロヨロとした足取りで逃げて行った。


その後すぐに智樹が一言『いくぞ』と。

それを聞いた私達もその場から走って逃げ出した。


結局、喧嘩の最中に智樹が口を開いたのがその一言だけではあったのだけど、その姿や声は私が描き求めていた理想の男性像そのものだった。


そんな感情を抱きながら私の前を行く智樹に目線を送ると、喧嘩の時にも無表情だったその表情は苦虫を嚙み潰したような顔だった。その目線の先は二人で手を握って走る、直弥と美香。胸がチクっとした。


その時は深くも考え無かったし、その意味もわからない。


直後、私の雀の涙程しかない体力が尽き足がもつれこけそうになると、智樹が私の腕を掴んでくれて、『頑張れ』と、仏頂面で言ってくれた。


その瞬間、私の鼓動は痛いほど高鳴り、顔は秋の紅葉の様に赤く染まったと実感した。


勿論、直弥はその美形に加え王子様の様に勇敢に悪に立ちはだかる姿は、誰が見ても恰好良かったのだろう。


だけど、それは、姫を助ける王子を他人事の様にスクリーン越しに見ている、そんな感覚。


それよりも、無表情ながらにも私達を助け、尚且つ、今も貧弱な私の腕をがさつに掴む大きな手が現実を実感させる。私の脳裏で繰り返すあの勇姿、その事が私の感情を凄く揺さぶる。だから、今もこの瞬間、体の疲れでは無い息苦しさで胸が痛い。


その思いは、漫画や小説を漁り続け鼻で笑い馬鹿にしていた単純過ぎるチョロインの気持ちが少しわかった様で……それこそが、私の理想としていた初恋だと実感すると少し気恥ずかしくもなった。


それから私は家に帰ると、恐怖が残るその足で忘れていた女の子の感情を込み上げながら、そして、照れながらに……お母さんにお願いした。



髪を切って、と。



お母さんは美容師。父と離婚した後、私を一人で育ててくれた。

離婚した父親は、借金、暴力、暴言、酒に煙草に浮気、甘いマスクが取り得だけの最低男。だから小さい頃の思い出は散々なものだ。


お母さんが一人で泣いてたは、一回や二回じゃない。


その影響もあり、私は心を閉ざし、人嫌いになり、現実の男性に興味を無くしてしまったのかも知れない。


その事が更に、お母さんを悲しませていると自覚している。


そんなお母さんが、少し驚いた表情の後に何も聞かず棚から道具を取り出すと、少し笑った表情のままに私をかわいくカットしてくれた。更にはその後も私の顔の手入れをまでも。


太く伸びた眉毛を丁寧に揃えて。


スキンケアなどした事の無い私の顔に、メイクををしてくれて。 


適当に切ってる爪を丁寧に整え、ピンク色のマニキュアを塗って。


そして、最後に自然な色付きのリップクリームを塗ってくれた。  


その最中も、お母さんは私に何があったかは聞かない。


夜に化粧をしても、お風呂に入ったら消えちゃうのも解っていただろうし、朝やれば良いとも言わずに。


只々、表情や声も、楽しそうに、嬉しそうに私を褒めながらに――。





私を、女の子にしてくれた。





そして出来上がる時に、母さんの横顔を見たら、笑顔のまま涙を流していた。



ごめんね。お母さん。心配かけてたね。



――だけど、もう大丈夫。



これからは女の子らしく、好きになった男の子に振り向いてもらう努力をするから。


だけど、すぐには、この感情をぶつける程に勇気は無い。


だけど……。


だけど。



絶対に智樹君を私に振り向かせてみせる。



漫画で培った知識を、オタクを舐めるな。覚悟して!


そんな思いを描き、その夜はあれ程の出来事があったはずなのに、怖さなんて完全に消え熟睡も出来た。


次の日、学校へ行くと周りから奇麗になったと褒め言葉を貰うようになり、それ以降は徐々にだけど周りとも話が合いだし、3人程の親友とまで行かないまでも友人と呼べる友達が増えた。





それから……。


漫画を描くのも読むのも辞めてまで、智樹にアピールまでしてたのだけど……全くと言って良い程に気付いてもくれない。


リアルの鈍感な男って、イラっとする。

 

更に追い打ちを掛ける様に、そんな智樹の気持ちが美香では無く……直弥だと気付くにはそんなに時間は掛からなかった。


同性なんかに、負けないし。 


今は、智樹も美香も引くほどの感情や行動を直弥に向けてる。

だけど、絶対に私が智樹の心を奪ってやる。


だから、親友の美香と直弥の仲を凄く応援する。

でも、美香の感情が異常過ぎると、本人が自覚していないのが本当に困ってしまう。

まあ、直弥のスルースキルがそれ以上に異常ではあるのだけど。




そして、何故か……やけくそになって書いた智樹と直弥をモデルとしたBL漫画が余りに出来が良くダメ元で出版社に送ると賞まで貰って、あれよあれよとプロになった。


しかも、月間連載まで決まり、そこそこに人気があり家計でお母さんの手助けも出来ていると言う、おまけ付。




こうなったら、嫌味の如く智樹が私に振り向いてくれるまで、二人をネタにしたBLを書き続けてやると、心に誓った。










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