少し寝坊したあとに

 青空は夢を見ていた。寝心地のよいベッドの上で楽しい夢を見ている。それは砂糖菓子のように甘くて、綿あめのようにふわふわしていて、春の日の菜の花畑のように明るい夢。


 楽しくて夢から覚めたくない。そろそろ起きないといけないことは分かっているのだが、もうちょっと、と青空は心地の良い眠りに身をゆだねる。

 何が楽しいって、休日の二度寝ほど楽しいものはない。何も用事がない日に、自分の欲望のままに布団の中でうだうだする。最高に幸せだと思う。


 青空がもう少し夢の余韻に浸っていようとすると上から声が聞こえた。

 優しい声だった。優しい声の持ち主だろうか、誰かが青空の髪の毛を優しく撫でていいる。


青空そら。そろそろ起きろ」


 この声を青空は知っていた。

 けれどもまだ瞼が重い。もうちょっとだけ眠っていたいなぁ、と思いながら青空は瞼をぴくりと動かす。


「青空、いくらなんでも寝すぎだ。いつまで眠るつもりだ」

「んー……」


 青空は呻いた。

 もうちょっとだけ寝かせて。そう思うのに確かに寝すぎたという自覚があるのか青空はぱちりと目を開いた。

 すると深紅の瞳と目が合った。


「あれ、ハディル……様?」

「おはよう。青空」


 青空は驚いた。なぜならハディルが笑みを浮かべていたから。青空を見つめるその瞳に歓喜が溢れている。やわらかな眼差しに青空の胸が切なく締め付けられた。 同時に、この人のことがどうしようもなく好きなのだと思った。

 どうやらいままで青空の髪の毛を手のひらで梳いていたのは彼のようだった。青空はぱちぱちと瞬きをした。


「青空」


 ハディルは青空を抱き起こした。

 青空はされるまま首だけを動かした。青空は大きなベッドに寝かされていた。青空の体の周りにはなぜだか花が供えられていた。それも大量に。


(えっと……どういう状況?)


「ハディル様……わたし……」

 青空は記憶を整理しようとする。たしか気を失ったはず、と考え青空は顔を歪める。少し頭が痛んだからだ。

「青空。俺は怒っている。いくら〈光の剣〉が人間には無害だとはいえ、その剣の光を体に浴びたんだ。その衝撃でおまえはずっと眠っていた」


 ハディルの言葉に青空はすべてを思い出した。

 そうだった、青空もこの魔王に言いたいことがあったのだ。


「だったらわたしだって言いたいことがあります。なんなんですか。青空になら殺されてもいいって。そういうこと軽々しく言わないでください」


 そうだ、あのとき青空は怒っていたのだ。勝手に青空の気持ちを決めつけて、それから勝手に絶望をして勝手に終わらせようとしていた彼に。

 どうして青空がハディルのことを殺せるというのか。そんなこと、できるはずもないのに。どうにかできそうな裏技的な入れ知恵をディーテフローネから授けてもらったから、それをハディルに伝えたかったのに、彼はまったく聞く耳を持ってくれなくてこちらに攻撃してきた。あれは、かなり切なかった。


「わたしがハディル様のことを傷つけられるわけがないでしょう。そんなことも分からないんですか」

 青空はハディルの腕から逃れるように、彼の胸を押し返す。二人は至近距離で見つめ合う。

「あれが最善だと思ったからだ。それなのに、おまは俺に許可もなく自分が傷つく方法を選んだ。俺がどんな気持ちだったか、考えてみろ」


「そ、それはお互い様です。わたしだって、あのときめちゃくちゃ悲しかったし切なかったですよ。ハディル様わたしの言うことなんてちっとも聞いてくれなかったし!」

「黄金族の力を借りて自分が魔王の振りします、なんてあの場で言われても絶対に俺は協力しなかったし止めた。青空が傷つくことを、俺が認められるわけがないだろう」


「ちょっと、眠っちゃっただけじゃないですか。〈光の剣〉は人間には無害なんです。知らないんですか」

「ちょっと? 三十三日も眠っていた。その間、俺がどんな気持ちだったか……、いや、あのとき〈光の剣〉の力を受けて倒れた青空を見たときの俺の気持ちがおまえにわかるのか?」

「そっくりそのまま言います。わたしだって、ハディル様が倒れちゃったら心臓が壊れちゃうくらいに衝撃受けますからね」

 いつのまにか、二人は大きな声を出し合っていた。


「俺だって同じだ。目の前で愛おしい女が倒れているんだ。俺の心臓を壊す気か」

 ハディルの衝撃発言に青空は次に言う言葉が出てこなかった。

 ぽかんとハディルの顔を見つめた。

「え……っと……」

 そのあと、少し遅れて彼の言葉が脳内に染み込んでくる。今、彼はなんて言ったのだろう。


「青空、無事でよかった」

 ハディルは青空をもう一度胸の中に閉じ込めた。

 青空は、されるがまま。頭の中に状況が付いて行かない。


(えっ? えっ? えぇぇぇっ?)


 人間驚きすぎると言葉にもならないのだ、としょうもないことを考えた。


「これからは勝手に突っ走らないでくれ」

 彼の言葉が耳元に響いたとき。青空は衝撃から立ち直った。

 どうしても、言わないといけないことがある。

「ハディル様も、勝手に突っ走らないでください。あなたを失うなんて……考えられないから」

 それから、と青空は続ける。


「わたしたち、夫婦なんですよ。夫婦は話し合って、自分たちの気持ちをお互いに伝えあって、家族になっていくんです。わたしは、ハディル様ともっとちゃんと分かり合いたいです。だから、勝手に決めないでください。わたしの気持ちを」

「……わかった」


 ハディルは小さくつぶやいた。

 青空はハディルと見つめ合った。彼の深紅の瞳の中に青空の顔が映っている。

 と、彼の顔が近づいてきた。青空は、胸の中に浮かんだ予感に素直に従って瞳をそっと閉じた。

 二人の唇が重なり合った直後。

 部屋の扉が勢いよく開かれて。


「青空! ようやく目が覚めたのじゃな!」

 ヒルデガルトが勢いよく部屋へ突入をしてきた。


「わぁぁぁっ」

 青空は勢いよくハディルを両手で突き飛ばす。とはいえさすがに魔王相手だ。ハディルはベッドの上で身を反らせるくらいだったのだが。

  

「む。何を驚いておる」

「ヒルデ! お、おねがい。ノックをして……」


 青空は脱力をした。心臓に悪すぎる。おちおちキスもできやしない。などと考えて青空は再び体を熱くする。


「あら、起きたのね。まあ兆候はあったものね。あなた二度寝どころか四度寝くらいの勢いでずぅっと眠りこけていたものね。そこの魔王が毎日毎日待ち焦がれていたわよ。最終的には寝ずの番をしていたのだからなんていうか、……初恋って恐ろしいわね」

 ヒルデガルトに続いてディーテフローネが部屋へと入ってきた。

「青空、心配させないでよ」

「青空さまぁぁぁぁぁ」

 そのうしろからはルシン。それからヒーラーと続いていく。


「みんな!」

 青空はびっくりした。


「おまえたち。少しは空気をよめ」

「む。ぬしに言われたくはないのじゃ。今しがた青空に何をしようとしておったのじゃ。寝起き早々青空を襲うとは不埒な奴め」

「きゃぁぁぁぁ」

 青空は叫んだ。赤くなって両手でほっぺたを覆って悲鳴を上げる。


(見られてた。ばっちり見られてたよぅぅぅ)


 恥ずかしすぎて今すぐに穴を掘って埋まりたい。

 青空の顔と行動から、なんとなく事態を察したルシンとヒーラーは別の方向に視線を向ける。


「青空。あなた一人に無茶をさせてしまったわね」

 ディーテフローネは青空の額に手のひらをあてた。その手はひんやりとしていて気持ちよかった。

「ううん。ディーテフローネさんが手伝ってくれたからまるく収まりました。わたしは後悔していません」

「少しは反省しろ。黄金族の娘」

 俺はもうあんな思いはたくさんだ、とハディルは続けた。

 ディーテフローネは小さく肩をすくめた。


 この件では一生ハディルに頭があがらないなあと青空は思った。しかし、この次にハディルが暴走をしたら青空は今度こそ彼とちゃんと話し合う。そして二人で最前の方法を見つけるのだ。


「そうじゃ。青空。元気になったら我に菓子を作るのじゃ。グランゼのやつはてんで駄目なのじゃ。まったく青空のようにはいかん。奴は菓子作りの才能がないのじゃ」

 ヒルデガルトがぴょこぴょことリボンを揺らしながら主張をするとディーターに「何を言っているのですか。青空様はまだ病み上がりなのですよ」と怒られ、ついでにハディルにも「青空はしばらくは絶対安静が必要だ」と言われる始末。


 するとヒーラーが「その前に青空様をしっかりとお磨きしますわ」と手を挙げ、青空は起きたそばから忙しく世話をされた。


 すっかりいつもの日常だった。

 さすがに一カ月も眠っていたから体がすっかり固くなり、体力も少し衰えていたけれど毎日出されたご飯をちゃんと食べて少しずつ体を動かしていって青空はすぐに元気になった。

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