青空とディーテフローネの謀

 魔王ハディルが放った濃く黒い霧が彼と青空の二人を覆いつくした。

「なんと!」

 ディーテフローネの側で誰かが声を漏らす。

 彼女は魔王と聖女の戦いを外から見守っていた。中の様子を知ろうとリュデンシュベルの王子や神官たちが聖術を使うも失敗。


(まあ、魔王の力ですものね)


 ディーテフローネは内心ごちた。魔法と〈光の剣が〉ぶつかる音と光、それから振動。ディーテフローネ以外の者たちはそのたびに動揺するように声を出す。しかし一連の出来事の首謀者たる彼らは皆がこの場に留まり成り行きを見守っていた。

 ディーテフローネもまたこの場に留まり、青空の様子を見守る。青空にはあらかじめ己が宿す蝶の一部をあずけてある。


「中の様子が分からぬぞ。ええい、おまえたち、どうにかできないのか」

 少し離れたところでアレキクリスが苛立つ声を出している。


 ディーテフローネは横目でそれを見てからもう一度正面を見据えた。

 青空はハディルを説得することができるのだろうか。


(まあ、上手くいくかは五分ってところなのだけれど)


 黄金族は古の一族だ。光の神と混沌の闇との闘い、それから現在の世界の均衡についての知識を有している。人間はすっかり忘れてしまったこの世界の理を。

 人間は寿命が他の種族に比べるとはるかに短く、そのうえ野心が強い。人の領域と定められているリヴィースノピ大陸の半分側でしょっちゅう小競り合いを繰り返している。魔族やその他の種族に比べてぜい弱だが繁殖力は強い人間たちは数が多く、そのせいか領土争いが絶えない。その争いに聖なる遺産がたびたび巻き込まれ、彼らは自分たちの手によって光の神の残した遺産の力を弱めてしまった。


 ディーテフローネは力のその弱まった〈光の剣〉の特性を逆手に取り青空にある知恵を授けた。


 地鳴りが響いた。

 闇の壁の中で二人はどのようなやり取りをしているのだろう。

 青空の声が途切れ途切れに聞こえ、〈光の剣〉が閃光を放った。

 雷が落ちたような強い光が落ち、そののち。

 魔王と聖女を取り巻いていた黒い壁が霧散した。

 その中で、魔王ハディルが青空を抱きかかえその体を揺らしている。


「青空! 青空! 青空!」

 ハディルの腕の中で青空はぐったりとして動かない。

 ディーテフローネは青空に駆け寄った。


「青空!」

 青空のすぐ傍らに膝をつき、彼女の頬に触れようとしたところでハディルによって手を払われる。


「青空に触るな」

 彼は全身全霊でディーテフローネのことを威嚇する。

「ああもう。いまはあなたとやりあっている暇は無いの。青空を助けたいのでしょう。だったらわたくしを受け入れなさい」


 ディーテフローネがぴしゃりと言うとハディルは素直に従った。なんだかちょっぴりこの魔王が可愛く思えてしまったディーテフローネである。

 ディーテフローネは青空の頬に手を添え己の力を引き出す。光の神の力を一身に受けたのだ。いくら人間に対しては無傷だとはいえその衝撃は計り知れない。青空の受けた力を緩和するためにディーテフローネは治癒の聖術を使う。


「青空に何があった。いや、何を吹き込んだ」

「魔王を殺したら世界の均衡が崩れること。彼女はあなたを倒すことはできなかった。だから、わたくしが入れ知恵をしたの。〈光の剣〉を騙すことができるかもしれない、と」

 ディーテフローネは小さな声を出す。人間たちに聞かれてよい話ではない。

「なに……?」


 ハディルは青空を己の胸に押し付ける。青空は目を閉じたまま、ぴくりとも動かない。

 ディーテフローネは嘆息をして、話し始めた。


「青空はあなたの魔力を体の中に有していた。だから、わたくしの〈光の蝶〉が力を貸せば〈光の剣〉を騙すことができるかもしれないと考えたの。青空を魔王だと勘違いさせることができるかもしれない、と」


 そう前置きをしてディーテフローネはハディルに種を明かしていく。

 青空の聖女としての運命を終わらせるためには一度〈光の剣〉に満足をしてもらわなければならない。この剣が魔王を打つことで青空にかけられた召喚魔法に組み込まれた彼女の聖女としての役割は解放される。魔王を倒さないと聖女の役割は青空にずっと付きまとう。けれども青空はハディルを倒したくはない。だからといって別の魔王を倒すこともできない。それが青空の主張。ディーテフローネとしては世界の均衡を崩すことはしたくはない。均衡を崩せば、それは滅びへの第一歩へとつながる。


 だったら取れる方法が一つだけある。


「おまえは、そんなことのために青空をそそのかしたのか。俺は青空になら殺されてもよかった」


 ハディルははっきりとそう言った。

 一度強い表情でディーテフローネを見据えたハディルはすぐに青空に視線を落とした。目の前の女が愛おしくて仕方がない、そういう目をしていた。


「ばっかじゃないの。そういう初恋を知った少年みたいな寒いことを言っているから青空が身体を張る羽目になったのではなくって」

「なんだと」

 ハディルの声が一段低くなる。しかしディーテフローネは意に介さない。


「わたくしの話を聞いていなかったのかしら。青空はね、あなたを殺せない。かといって自分自身も死ぬまでこの世界に留まる決心もまだできていなかった。だったら、今とれる最善を取るしかないじゃない」

「その結果がこれか」

「青空は人間よ。〈光の剣〉は人間には無害。傷一つ付けない。〈光の剣〉が貫いたのは青空の中に宿ったあなたの魔力。それから青空があなたから吸い込んだ魔王の魔力。あなたの身につけているもので、あなたが強い執着を示しているもの。それを魔王だと〈光の剣〉に思わせる。わたくしの〈光の蝶〉の力で。この蝶は幻術を操る。夢を媒介にして力をふるうわ。だから〈光の剣〉に錯覚をさせたの」


 青空のことを魔王だと思わしめること。青空に預けていた蝶々たちは見事に〈光の剣〉を惑わした。


「青空が目を覚まさなかったら……俺はお前を殺す」

 二人が至近距離でにらみ合っているとき。

 じわりと周囲の人間が近づいてきた。


「青空の聖女としての運命は果たされたわ。彼女は、魔王に

 ディーテフローネは淡々と告げた。

 彼女の声にアレキクリスが「くそっ」と叫び、この場で一番の位にある神官は沈痛気味に「またしても駄目だったか」とつぶやいた。


 この様子では彼らは本当に理解していないのだろう。

 ここで魔王の一人を倒すということは世界の均衡を崩してしまうということに。


(まあ、それをわたくしの口から説明しても信じてもらえるかどうかはわからないのだけれどね)


 ということでディーテフローネは彼らにあえて真実は伝えない。なにしろ長い年月を経て、黄金族と人間との間にはそれなりの溝が生まれているから。人間たちの信仰する光の神という存在は、権威の象徴。俗世にまみれすぎてしまった。そうして彼らにとっての魔族や魔王という存在はリヴィースノピ大陸を不当に半分も占拠する異端の者たち。


「青空は返してもらう」

「好きにしろ。その女にもはや価値はない」


 ハディルの宣言にアレキクリスが吐き捨てる。

 ハディルが青空を抱いて立ち上がったためディーテフローネも慌てて付いていく。まだ青空の側についていないと、彼女の回復が遅れてしまう。


 というのに彼はふらりと青空を連れて飛んでいく。

 まったく、最後まで身勝手な魔王だと思いつつディーテフローネは彼の後を追った。

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