レギン城の外

 ディーターと話をした三日後、青空そらは王都アギレーシュの街にいた。もちろん一人ではなくルシンとヒーラーも一緒だ。


「それにしても青空様。よいものが見つかってよかったですわね」

 無事にお目当てのものを買うことができた青空はほっと肩の荷を下ろした。

「ええ。付き合ってくれてありがとう、ヒーラーさん。それからルシンも」

「別にそれはいいけど。今日買ったものが陛下と話し合いをするのに必要なのか僕にはまったく理解できないんだけど」


 ルシンは眉を顰めた。ちなみにこの台詞は本日五回目。

 青空は大通りを歩きながら苦笑い。


「ルシン様ったら。よろしいではありませんか。大事なのは青空様が陛下のことを想っていらっしゃるということです。素敵ではございませんか。異世界から―うぎゃっ」

 道を歩きながらヒーラーが夢見心地で話し始めたため、ルシンが彼女の足にけりを入れた。

「こんな大通りで不用心。よくそれで侍女が務まるね」

 ルシンは冷たい声を出す。

「失礼しましたわ」


 うっかり乙女スイッチを入れてしまったヒーラーは顔を赤くして元のきりりとした侍女の顔に。今日の目的を終えた青空はついきょろきょろと周囲を見てしまう。フードをすっぽりと被っているため若干視界不良なのが難点。人間だとばれると危険だから外ではフードを被っているようにと厳重に言われているのだ。


 ハディルとちゃんと向き合うために欲しいものがある、とディーターに伝えると彼はしぶしぶながら外出を許可してくれた。欲しいものがあるなら手に入れてきます、と言われたのだが、青空は自分の目で見て手に入れたかった。これまで自分の意見を押し通すことが苦手だったのだが、今回ばかりは青空は妥協したくなかった。

 ハディルに自分の心をきちんと示すためにも必要なのですと言えばディーターも仕方ないと折れてくれた。


「それにしてもアギレーシュの街ってにぎやかだね。わたし、レギン城が街のど真ん中にあるだなんて知らなかったよ。だってレギン城は広いし静かだし」


 そうなのだ。レギン城があるのは一番内側の城壁内。初めて地図を見せてもらって青空は驚いた。広いお城が実は、街の一番の中心に位置していたことに。ちなみにアギレーシュの街は二層の城壁から構成されている。


「オランシュ=ティーエは大陸の真ん中に位置しているし、今は平和だからね。一応王都だから人口が多いんだよ。魔王のおひざ元でもあるわけだし」

「青空様、そろそろ車に乗りますわ」


 目的のものも手に入れたのだからさっさと帰りましょう、とヒーラーは青空を急かした。街歩きが目的ではないけれど、この世界に来て初めてレギン城の外に出た青空は異国情緒あふれる街並みに魅了されていた。当たり前だが日本とはまるで違うのだ。


(ハディル様と一緒に歩いてみたいな……)


 青空は何とはなしにハディルと一緒にこの街を歩いている情景を想像する。手をつなぐのは恥ずかしいけれど、市場のような露天商を冷やかしながら他愛もない話をして品物を見定めて。


「青空、ほら帰るよ」

「え、うん」


 ルシンの声に青空は想像の世界から帰ってきた。

 ハディルともう一度話をするために、自分なりの気持ちを彼に示すために今日街までやってきたのだ。目当てのものを買えたのだから早くレギン城へ帰らないと。

 お城までは土オオトカゲの轢く車に乗ることになっている。オランシュ=ティーエでは馬よりも羽の無い竜のような大きな生き物が車を轢いているのだ。


 歩いている青空の視界の端をふわりと何かが漂った。

 もう一度そちらに視線をやるとそれは蝶だった。


「え……」


 まえにも一度目にした不思議な蝶だった。青空は蝶の飛ぶほうへ足を向ける。どうしてだか、その蝶を追いかけないといけない気がしたからだ。


 青空はふらりと足を一歩、また一歩と踏み出す。

 蝶は相変わらず人ごみの上を漂っている。

 上を見ながら歩いていると前方から歩いてきた人とぶつかってしまった。


「ごめんなさいっ!」


 青空は慌てて謝った。

 ぶつかった拍子に青空のフードが頭から取れた。


「きみ、大丈夫? 迷子?」


 叱責ではなく、こちらを気遣うような言葉が返ってきて青空は下げていた頭を持ち上げた。それから目を丸くした。

 目の前にはこの世の者とは思えない容姿をした男女がいたからだ。

 青空はしばし呆然とした。


 白い肌は透き通るように滑らかで、とても艶やかな金色の髪の毛に、黄金色の瞳。金色の瞳をした人なんて青空は初めて見た。瞳孔も濃い金色なのだ。もちろん顔の造作も美しい。年若い二人は見た目年齢二十代前半で青空よりも長身だ。ヒーラーのように角が生えているわけでもないし、しっぽがあるわけでもない。人型の魔族だ。しかし魔族は基本的に赤系の瞳をしていると、青空は以前教わった。ヘルミネやヒーラーのように紫色の瞳の魔族もいるが、紫色にも赤が混じっている。それなのに、目の前の人はどうだろう。金色の瞳をしているのだ。


(もしかして、魔族ではないのかな?)


 と思うあたり青空もこちらの世界に馴染んだのかもしれない。

 そこまで考えて青空は慌ててフードを被った。なにしろ青空の瞳は普通の黒なのだ。茶色の部分もあるけれど、決して赤くはない。目くらましにルシンが魔法をかけてくれようとしたのだが、青空の中にあるハディルの魔力が邪魔をして駄目だった。


(まずい。わたしの目、見られちゃったかな)


「きみ、大丈夫かい?」

 男がもう一度訪ねてきた。

 青空は我に返った。

「え……? ってああ。ごめんなさい。ぶつかってしまって。お二人ともあんまりにもきれいだから見とれてしまって」


 人にぶつかっておいてそのうえ返事もしないとは失礼だと思われたらどうしよう。慌てたおかげで言わなくてもいいことまで青空は口走る。


「あら可愛くて素直な子ね。ねえ、あなたお名前は?」

 女がにこりと微笑んだ。

青空そらって言います」

「変わった名前ね。それにしても珍しいわね。人間がオランシュ=ティーエにいるだなんて」

 女の言葉に青空はどきりとした。やはり人間だと気づかれている。


「青空!」

 そのときルシンが青空の方へ駆けよってきた。遅れてヒーラーも続いてくる。


「青空。何をしているのさ。急にふらふらとどこかに歩いていって」

「ごめんね。ちょっと……あれ? わたし何を見つけたんだっけ」

 レギン城内で見つけたきれいな蝶のことを青空はすっかり忘れてしまっていた。


「もう。しっかりしてよ。それにしても……黄金こがね族が何の用?」


 ルシンは青空に向かって呆れ調子で言い、青空と話をしていた金髪の男女を胡乱気に見上げた。


「なにって、わたしがぶつかっちゃって。よそ見をしていたのはわたしのほうなの」

 青空は慌てた。ルシンの声が相手に喧嘩を売っているような剣呑としたものだったからだ。

「人が多いから気を付けてね」

 女が手をひらりと振った。

「ふうん。それで、黄金族がオランシュ=ティーエに何しに来ているのさ」


「私たちはオランシュ=ティーエに商売をしに来ているだけだよ」

 男の方が柔らかく微笑む。

「ええ。他に何かあるかしら」


 女も笑みを深めた。花が咲く笑顔とはまさにこの人のためにある、と青空は思った。そのくらい惹き付けられる華をまとっている。


「ふうん、そう。青空、早く行こう」

 ルシンが青空の腕を掴んだ。青空はルシンに引っ張られるようにして大股で歩く羽目になる。青空は後ろを振り返った。男女の姿はすでに他の買い物客に紛れていた。


(すごいゴージャスな二人だったな。黄金族って魔族じゃないのかな?)




 青空がクヴァント族の少年に手を引かれて歩いていく様子を、黄金族と呼ばれた男女二人組はじっと目で追った。


 青空と名乗った少女は人間だった。瞳の色が魔族のそれとは違った。なにしろ黒かったからだ。


「初めて話をしたけれど、いい子だったわね」

 女がぼそりと呟いた。

「うん。素直で可愛らしい子だ。魔王ハディルが執心するのも分かる気がするな」

 男が返した。


「妃にしたって、魔族のお偉いさんたちは慌てていたみたいね。命まで狙われて。なにを考えているのかしら、魔王ハディルは。ねえ、あなたわかる?」

「さあ。同じ男だとしても私に彼の考えることは理解できないよ。なにしろ彼は魔王なのだし」


「わたくしの蝶もあの子のこと気に入ったと言っているわ。素直でよい子って」


 女は宙に手をかざす。すると七色に光る羽を持った蝶がふわりと舞い降りた。

 青空が見つけた蝶だった。

 しかし、道を行きかう人の目には、その蝶は映っていない。


「さて、このあとはどうする?」

 男が尋ねると女は思案気にもう片方の手を口元に添える。

「そうねえ。かなり予想外のことが起こっているようだし。もうすこし様子見かしら」


 なにしろ、ただの人間の少女が魔王ハディルの妃に収まり、その上彼から婚姻の誓いとして魔力を授かったのだ。

 女の手から蝶が再び飛び立つ。

 蝶はふわふわと高く飛んでいった。

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