ザイフェルト家の企み

「陛下?」

 ハディルの隣に控えるレイが訝し気に声を出す。


「と、とにかくですね陛下。先代のような残虐さはごめんですが、……やはり年老いた老人は可愛い孫娘には弱いもの。うちの可愛いヘルミネをどうぞ召し上げてくださらぬか。先代の頃には城の奥に女だけの宮殿をつくって、多くの美しい娘たちを囲っていたではないですか」


 ザイフェルト家の当主はここ数日同じような主張を繰り返す。魔王が多くの愛妾を持つことで結果この国に住まう魔族らに名誉がもたらされる、と。


「俺はたくさんの妻を持つ気はない。それよりも、俺は少し席を外す」


 ハディルは立ち上がる。青空に与えた魔力の気配。急な移動が気がかりだ。黒竜乗りの練習を行っていることは知っている。しかし、いまだ低空飛行しかできない青空があのような早い移動をするものだろうか。


「陛下。まだ話は終わっておりませぬぞ。魔王陛下に召し上げられた娘たちは最高の名誉をいただけますゆえ。どうぞ、我が家のヘルミネを。孫娘はそれはもう、毎日毎日陛下に召し上げられる日を楽しみに指折り数えておりますよ。うちの孫娘にどうか。どうかご慈悲を」


 今日のザイフェルト家の当主はしつこかった。

 ハディルはディーターに目配せをする。後は適当にあしらっておけ、という合図だ。

 ディーターは仕方ない、とばかりに微苦笑を浮かべる。


 そのときだった。


「陛下!」

 魔王の間の扉が乱暴に開け放たれた。

 男が一人息を切らして入ってきたのだ。


「おまえ! 無礼ではないか。今はわしが陛下とお話をしているのだぞ」

 侵入者をザイフェルト家の当主が一喝する。

「し、しかし緊急事態なんです。こ、黒竜がっ。黒竜が暴走しました! 背中には青空様が―」


 男、黒竜の飼育員が皆まで言い終わらぬうちにハディルは窓から青空の元へ向かおうとする。


「行かせませぬ。行かせませぬよ、陛下」


 ザイフェルト家の当主が魔法を放った。彼の影の中からいくつもの黒い兵士が浮き上がる。闇の魔法だ。ザイフェルト家の当主は自身の影の中に闇で作られた兵士たちを潜ませていたのだ。


 老人は昏い笑みを浮かべた。

「陛下。これも陛下のためなのですぞ」

 そうしてハディルに闇の兵士が襲い掛かる。


「陛下!」

 レイが魔法で作られた兵士を薙ぎ払うが、もともとは闇。剣で真っ二つに引き裂いたところですぐに元通りになる。


「ザイフェルト家のご当主! 正気を失いましたか。陛下への反逆と見なします」 

 ディーターが即座に魔法で応戦する。ディーターの手の平から青白い炎が生まれ、闇の兵士らに襲い掛かるが兵士たちはぐにゃりと形を変え、青い炎の球を次々と飲みこむ。


「まだまだ若造には負けまいよ」

 老人は不敵に笑った。

「足止めできればいいのです。そう、足止めを」

 くっく、と六家の当主の一人は喉の奥でくぐもった笑い声を発した。

「あんな娘が、異界の娘がいるから、我が可愛い孫娘が日の目を見ないのです」

 さあ、陛下参ります、と老人はハディルに向かって本気の攻撃を仕掛けてきた。本気でやらないとあっけなく返り討ちにあう。そのことを十分にわかっているのだ、彼は。


 老人の魔法がハディルの足元へ向かう。影でも止める気か。ハディルは腕を払う。魔法は霧散した。

 次の攻撃が即座に来る。黒い刃がハディルに降り注ぐ。レイが前に躍り出て魔法で防ぐ。しかし一角族は怪力だが、人魔族よりも魔力では劣る。相手は曲がりなりにも六家の当主となりえた才覚の持ち主。宿る魔力は同じ一族の中でも大きい。結界を越え、レイの剣では魔法の刃ははじけ飛ばすにも限界がある。いくつかの刃がレイの体を突き刺す。ぐっと、血を滲ませ片膝をつく。


「俺の邪魔をするな」

「……っ……面目ございません」


 ハディルはレイを抱えてディーターの方へ投げた。ディーターは魔法を使ってレイを受け止めた。そもそもレイを側に置いているのは魔王に護衛の一人も付かないのはいかがなものか、という様式美のため。

 ハディルは焦っていた。青空の行方が気がかりだった。彼女の中にある魔力を追えばいいとはいえ、移動速度が速い。


 その直後。ずん、とハディルの脇腹にナイフが刺さる。ザイフェルト家の当主が自ら刃を突き刺したのだ。どくどくと血が流れだす。魔法ではなく物理的な攻撃がくるとは思わなかった。ハディルは腹に刺さったナイフを見おろした。


「陛下!」

 ディーターが叫んだ。


 ナイフには毒が塗ってあった。じわりと毒が身体の中を回り出す感覚をハディルは覚える。ハディルはどこかで侮っていた。魔王たる己に本気で立ち向かう魔族などいない、と。


「なるほど。おまえの意思はよくわかった」

 それは事実を確認するだけの声だった。

「当たり前ですぞ。陛下を足止めするのですから」


 ハディルはザイフェルト家の当主の頭を掴み上げた。六家の当主が本気でハディルを足止めするということは、ヘルミネは今度こそ青空を確実に仕留めるつもりなのだろう。


 ハディルの心に怒りの炎が灯った。それと同時に己の甘さを痛感した。魔王の妻になった青空に対して六家の人間が、脅しこそすれ本気で命を狙うとは考えていなかった。


 みしみし、と相手の頭蓋骨がきしむ感覚が手に伝わってくる。それと同時に、体の中で毒を消そうと魔王の力がうごめく。普段は奥深くで眠っている魔王の力、原初の混沌が動き出す。暴れるなら盛大にやれ、と身体の奥から囁き声が聞こえる。

 ハディルは老人の頭を掴んだまま腕を伸ばす。老人を掴んだ手のひらから混沌が染みのように漏れ出る。


「ぐっ……ぁあああぁ……」

 原初の混沌が老人を襲った。

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