眠る前に

 青空そらが厨房の魔石を徐々に使えるようになってきてもまだヒルデガルトとルシンは帰ってこなかった。


「二人とも、遅いなあ」


 青空はノートにレシピを書きながらこぼした。

 青空は毎日その日調理した料理のレシピをノートにつけていた。ヒルデガルトたちが帰ってこないため最近ではキッシュやらパイを作っている。米粉と一緒に持ってきてくれた粉の中でようやく日本で売っているような薄力粉に近いものを見つけたからだ。材料の配合やこちらの世界独自の材料などを青空は毎日ノートにつけている。


 キッシュは昔からよく作っていた。一見すると生地からつくると大変そうに見えるが手抜きレシピも多く存在するため簡単に作れて見栄えのする料理だし週末のランチにはもってこい。ハディルへのお菓子供給は止まっているけれど、キッシュも食べてくれたので、現在青空の目下の使命はハディルに野菜と肉を食べさせよう、だ。


「クヴァント族は一度何かに熱中すると時間を忘れる種族だ」


 後ろからハディルの声が聞こえてきた。先ほどの青空のぼやきに対する返事のようだ。

 双子がいなくなってからの変化といえば、青空の私室がハディルの寝室と同じ続き間に移動したこと。


「今日も熱心だな」

 ハディルは青空の座る椅子のすぐ後ろからノートを覗き込む。

「はい。厨房では走り書きのメモしか書けないので、これをちゃんとまとめておかないと」


 ハディルは机の上に飾ってある花に目をやる。

 急に大人しくなったハディルを不思議に思って青空は上を見上げ、彼の視線が可憐な小花に向けられているのを見て、にこりと微笑む。


「きれいですよね。ヒーラーさんが摘んできてくれたんです。日本のお花屋さんに売っている花にも似ているけれど、ちょっとだけ違っていて。やっぱり別の世界なんだなぁって思います」


 紫色のベルの形のをした花。ガク片近くは濃い色をしていて外側に向かうにつれて淡い色へ変化し、先端はうっすらと青味がかっている。


「俺にはそれがきれいかどうかわからない」

「気になって眺めちゃうのが、きれいってことだと思います」

「単にこの部屋に花があるのが珍しかっただけだ」

「あまり好きではないですか?」

「青空は、花が好きなのか?」

「うーん。突き詰めて考えると……どうでしょう。きれいだなとは思いますが、マニアかと聞かれればそこまででもないですし。でも、ヒーラーさんが用意してくれたって思うと、その心遣いが嬉しいですし、見ていると癒されます」


 ヒーラーたちは青空を喜ばせようとあれこれと用意をしてくれる。

 花びらをたっぷりつかった贅沢フラワーバスも頻繁に準備してくれる。


「魔族の暮らす国なのでもっと怖い植物もあるのかと思っていたんですけど。きれいな花が多くて嬉しいです。わたしの住んでいた国では春になると、桜という花の木の下でお花見をするんですよ」

「怖いかどうかは知らないが、こういう小さな花で動物をおびき寄せて地中に潜んだ本体がぱくりと獲物を食らう植物や、毒をまき散らす花や動物を溶かす液体を垂れ流す木があるのは知っている」


「えぇっ。そんなのが生えているんですか」

「欲しければ今度贈ろう」

「い、いえ。いりません」

 青空は丁重に辞退した。


「ルシンたちが帰ってきたら聞いておく。あいつらの一族には植物を研究している者もいる」

「ですからそんな恐ろしい植物いりませんって」


 青空は顔をハディルの方へ向けたまま、ぷうっと頬を膨らませる。

 すっかり手が止まってしまった。

 青空はノートにかりかりとシャープペンを走らせる。話が中断するとハディルが机の上に飾られている花を一輪手に取った。何とはなしに手の中でくるくるともてあそぶ。


「……俺は花には興味はないが……。青空と一緒ならきっと花見とやらも楽しいんだろうな」


 ふいにそんなことを言うのだからハディルはずるいと思う。

 迷子の子供のように、ほんの少しだけ心細い声を出すハディル。そういうとき、青空の胸はきゅっと締め付けられる。


「そろそろ終わったか? 眠る時間だ」

「え、あ……はい」


 急に話題が変わって青空は慌てた。なんだかんだと彼はマイペースだ。確かに今日の分のレシピはまとめ終わった。

 なんとなく自分からベッドに向かうのが気恥ずかしくていつもハディルに声を掛けられて彼に急かされて仕方なく、をいう態度を取ってしまう。


 ハディルが部屋に灯している魔法の明かりを小さくする。

 青空はもぞもぞとベッドの上に登って大きな枕をベッドの真ん中に置く。

 彼は反対側に腰かけている。


「早く寝ろ」

「ハディル様も、早く寝てください」


 自分だけ横になるのは不公平。そういう意味も込めて青空は同じように返した。こういうやりとりを最近は毎日繰り返している。なんだかんだで同じベッドで眠ることに慣れつつある。そのことを認めたくなくて青空は自分に言い聞かせる。これはハディルが強制をしていることなのだと。


 そもそも青空は生れてから二十年と数か月、彼氏なんていたこともなくて。親しい男友達だっていなかったのに。それがどうしてこんなことになっているのだろう。そう考えると不思議でもあるし、ハディルは確かに青空に対して手を出してこないのでまあこれはこれでいいのな、とも思ってしまう。そう思ってしまうことが罠なのかもしれないとも思うが結局は爆睡してしまうのだから青空も大概だと思う。


 ハディルは青空の言うことを素直に聞いて自身もベッドに横たわる。真ん中には大きな枕。これもいまではすっかりルールと化している。朝起きると半分の確率で足元に転がっているのだが。


「ねえ、ハディル様」

「なんだ?」

「そういえば、ハディル様。聞きたいことがあったのですが」


 青空の問いかけにハディルは無言で先を促した。最近はこういう会話の間というものを彼との間につかめるようになってきた。


「このあいだ、レイさんが言っていたことで、ちょっと疑問に思ったんです」

「レイが?」

「はい。彼の声が急に出なくなったときのことです。わたしがこの世界に召喚されたのって、もしかして何か、理由があるんですか?」


 聞きたいと思っていてつい忘れていたことだった。レイが青空に口走ったのは、青空がこちらの世界に召喚されたのはハディルの暇つぶしではないということ。その後言葉をつけ足そうとしていたレイだったが、急に喋ることが出来なくなり結局詳細は分からず終いだった。青空なりにレイの言葉を砕いて考えてみた。


 もしかしたらハディルは何か思惑があって青空をこの世界に召喚んだのではないか。

 青空はハディルの気配をさぐった。青空の位置からは大きくてふわふわの枕が邪魔をして彼の顔は見えない。


 一方のハディルは仰向けになり、天上を眺めたまま。

 青空は辛抱強く待った。ハディルは何も発しない。


 やがて。


「……俺の暇つぶしが原因だ。それ以外なにもない。青空は……俺のことを……」


 発せられた言葉は一番最初に彼が話した内容と同じもの。

 そして。彼は続けて何かを言いかけて。止めてしまった。


「ハディル様?」

「いや……。もう眠れ」


 ハディルは少しだけ苦しそうな、何かを我慢するような、それでいて何かを求めるような声色で。しかし結局は何も話してくれなくて。


 青空はハディルへの追及は諦めて眠りについた。

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