黒竜の名前はおはぎです
双子を地上から見送った青空は隣に佇むハディルに若干恨みがましい視線を送った。隣のハディルは平然としているのだが。
「わたしも……ついて行きたかったです」
「駄目に決まっているだろう。城の外は人間にとって危険が多すぎる。魔物がうろちょろしている場所だってある」
「うぅ……」
青空のやる気が若干そがれた。青空が今安心していられるのはレギン城内でハディルが守ってくれているから。相変わらずヘルミネに命は狙われているけれど、それでもこのお城の中には常に誰かが側についてくれている。
「大体、青空はあれに乗れるのか?」
ハディルが示すあれとは魔法で強度を増された金属の柵の中でくつろいでいる黒竜たち。青空の何倍も大きく、ごつごつと固そうな鱗で覆われている。大きな爬虫類のように長い尻尾を持ち、飛翼が背中についている未知の生物。
「うぅ……」
地球には存在しない大きな生き物に青空は後ずさり。たしかに乗れる気がしない。乗馬だってしたことが無いのに。
「おい、おまえ。黒竜について説明をしてやれ」
ハディルが話を振ったのは黒竜の飼育係。飼育係の男は突然やってきた魔王に平身低頭で命令通り即座に口を開いた。その説明によると、食用であるスォーク・ドラゴンよりも高尚な存在。そのほかに存在する竜の種族に比べても賢く、魔法にも長けているため、本来人型やら獣型の魔族に飼われるにはプライドが高すぎるのだが、そこはやはり黒竜も混沌を由来とする魔に属する生き物。魔王をはじめとする力の強い存在には恭順の意を示す。
オランシュ=ティーエ国内でも黒竜に乗ることのできる者は希少であり、また騎竜隊として彼らの背に乗る権利を持つ者たちは選りすぐりの強者のみとのこと。
「す、すごいんですね」
青空は慄いた。乗れる気がしない。ハディルは青空の心をくじくために飼育係に詳しい生態について説明をさせたのだろう。
「だがおまえは魔王の妻だ。黒竜に乗れるに越したことはない」
「へっ?」
ものすごい無茶ぶりを振られた。
(え、ちょっと待って。ハディル様本気?)
「触ってみろ、青空」
「え、いや……ちょっと、心の準備が……」
ハディルに手を引かれて柵の前へと連れてこられる。すると魔王に気が付いたのか黒竜が一頭こちらへやってきた。そしてハディルの隣に立つ青空を見て目を細めて息を吹きかける。
「きゃぁっ」
(もしかしなくても馬鹿にされている……)
絶対に目の前の黒竜は青空で遊ぶ気が満々だ。現に今度は青空に顔を近づけ大きく口を開ける。鋭い牙が見えて青空の顔が青くなる。
「青空は俺の妻だ。この意味が分かるだろう、黒竜たちよ」
しかし、ハディルが声をかけたとたんに事態が一変した。
グルルと唸りながら大きな牙を見せていた黒竜が突如びくりと背を伸ばし、その直後お行儀よくお座りをした。そしてそのまま待機。
「ど、どうしたの? 急に」
青空は目を瞬いた。突然にお行儀がよくなった。
それはハディルが魔王の気配を表に出し、飼育場にいる黒竜たちを威圧しまくったからなのだが、人間の青空はもちろん気が付かない。とばっちりを受けた飼育係は魔王の波動を受けて今にも倒れたいのを必死で押さえている。
「青空、せっかくだから触れてみろ」
ハディルはもう一度青空に向かって提案した。
「えぇっ! そんな」
青空は躊躇する。触って噛まれたらどうするのか。噛まれたら腕ごともげそうだ。
「大丈夫だ。……そうだろう?」
ハディルは青空に頷き、次に黒竜に尋ねた。そんな、慣れた犬猫じゃないんだから人の言うことなんてすぐに聞くわけない、なんて青空が内心突っ込んでいるそばで、黒竜がこくこくと首を上下に揺らした。急に長年連れ添ったペット並みに意思疎通がとれていて青空は目を丸くする。
「これに乗ることができれば街でも森でも連れて行ってやる」
「頑張ります!」
ハディルの譲歩に青空は元気よく返事をした。
◇◆◇
ヒルデガルトとルシンが砂糖を求める旅に出かけて数日が経過した。
お菓子作りが出来なくなり暇になったかと思いきや、それなりに忙しい日々を過ごしている。
まず、ディーターに勧められて魔法を使う練習を始めた。
ハディルから(一方的に)押し付けられ、青空の体内に宿った彼の魔力。これを青空の意思で自由に使えるようにしましょうと言われたのだ。
「とはいえ、いきなり魔法を使えと言われても難しいでしょう」
ディーターは指をぴっと立てて説明をする。物腰が柔らかいため教師も似合うのではないか、と青空は思った。
「もともとはハディル様の魔力ですから、それを操るのは骨が折れるでしょうが、目標があれば上達も早いと思います」
ここでディーターが示した目標とは第二厨房の設備を自分で使いこなせるようになること。それができれば便利になるなあ、と青空も考えていたため、イメージトレーニングから実践まですべて厨房で行うことになった。
もうひとつやるべきことがある。それは黒竜に乗れるようになること。
厨房での魔法の練習と料理が終わった後青空は黒竜の飼育場所へ向かう。
日中の気温は薄手のブラウスでも事足りるくらいで、気持ちがいい。
青空が庭園を歩いていると、きらきらと陽の光を浴びた蝶が舞っていた。
「わあ。きれい」
それは不思議な蝶だった。金色の粉のような粒子をまき散らしている。鱗粉だろうか。その羽はお日様の光を受けて七色に光っている。不思議な蝶はまるで青空のことを見ているかのようにその場でふよふよと留まっている。
あまりにきれいで青空は、とたたっと蝶に近づいた。すると蝶はふよふよと飛んで行ってしまった。
「あー、残念。きれいだったなぁ。さすがは異世界。不思議な蝶がいるんだね」
あんなにもきれいな蝶を見れて今日はいい日かも、と青空は足取りも軽やかに黒竜の元へと向かった。
青空が柵の前までやってくると件の黒竜は烈火の速さで青空の元まで飛んでくる。そしてびしりと礼儀正しくその場に座る。
昨日など、青空が恐る恐る手を伸ばすと、そこに自ら頭を擦りつけてきた。最初はびっくりしてきゃっ、と声を上げたら、黒竜の方が驚いたようでその場にひれ伏した。なぜだか冷や汗をだらだら流していた。
今日の乗馬、もとい乗竜(?)練習にはハディルが付き添うようで青空よりも少し遅れた後にやってきた。
彼曰く、暇だということだ。現在のオランシュ=ティーエの国政に魔王たるハディルは直接かかわることは無い。普段は何をしているのだろう、とディーターに聞けば象徴としてのお仕事があります、との答えが返ってきた。
青空の知る乗馬と同じように、黒竜の背に乗るときにも専用の鞍を乗せ、口にはハミをつける。青空は一人で鞍にまたがり、黒竜はゆっくりと低空飛行をする。
今日で五日目。黒竜乗りにもようやく慣れてきた。
まだ一メートルくらいの高さしか飛んでいないのだが、これでも上達したほうだと思う。今日はハディルに見守られているからか、なにか気恥ずかしい。授業参観の日を思い出す青空だ。
「少しずつ慣れてきたな」
青空が黒竜から降りようとしているとハディルが手を貸してくれた。彼の手に自分のそれを重ねる。
「けれどまだ一メートルくらいの高さしか飛べてませんけれど」
「徐々に慣れていけばいい」
ハディルが青空に柔らかな顔を向ける。ほんの少し笑ったような気がして、青空は自分の頬が熱くなるのを自覚する。最近ハディルの表情の変化に敏感になっている気がする。
「黒竜もとってもいい子なんですよ。ねぇ」
青空が黒竜の方へ頭を向けると、彼はこくこくと大きく頷いた。それからしっぽをどさどさと左右に揺らす。
「そのようだな」
ハディルは黒竜の態度に満足そうに頷いた。それを確認した黒竜は安堵の息を吐く。
そのあとも小一時間ほど黒竜の背に乗り、本日の練習は終了。
飼育係の男は「お妃さまは日に日に上達しておりますよ」と話しかけてきた。
「ありがとうございます」
お世辞でもうれしい。上達のコツはやる気とモチベーションの維持だからだ。
「お妃さま。あの黒竜に名前を付けてやってはいかがでしょうか」
飼育係はそんなことを言い出した。彼もまた、先日ハディルが黒竜を無言で威嚇した場面に立ち会っており、魔王の本領を発揮したハディルの放つ混沌の波動を一身に受けた。青空とハディルの前でいいところを見せようと必死になっているのだ。
「名前……。わたしが付けてもいいんですか?」
「ええ。もちろんですよ。それから、私に敬語は不要ですよ、お妃さま」
最近いろんな人から同じことを言われるが、日本人として生きてきた青空としては年上の人間に気安くため口を叩くことについていささか抵抗がある。とくに大学生になってバイトを始めてからは。
「名前、付けてやればいいんじゃなか」
ハディルが付け足した。
青空は黒竜を見た。でもわたしなんかが名付けていいのかな、と迷っていると黒竜はぶんぶんと頭を上下に激しく揺らした。
「お妃さま。この竜も乗り気でございますよ」
「じゃ、じゃあ。せっかくなので」
青空はうーん、と考えた。どういう名前がいいのだろう。そういえば昔飼っていたうさぎには大福と名前を付けていたことを思い出す。目の前の黒竜は黒い。そしてこんもりしている。青空は閃いた。
「そうだ。おはぎ。黒くてまるいからおはぎ。どうかな?」
黒竜はこくこくと頷いた。
「よかった。じゃあ、おはぎ。明日もよろしくね」
かくして青空専用の黒竜の名前はおはぎと決まった。
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