砂糖炎上事件

 その翌日。事件は起こった。


 突然に大きな爆発音が聞こえてきて、ヒーラーと一緒にレギン城の庭園を散策していた青空そらは侍女の「大変ですー」という掛け声に慌てた。

 顔色を変えた侍女たちに連れていかれたのはすっかりお馴染みとなったお城の第二厨房。

 厨房の中からもくもくと煙が上がっている。


「おーほっほっほっほっほ」


 聞こえてきたのは高らかな笑い声。甲高い声は忘れもしない爆乳金髪魔族、ヘルミネのもの。

 厨房の外廊下にヘルミネは胸を反らして立っていた。


「ふふん。わたくしのハディル様を誘惑した、謎の異世界物体はわたくしが今しがた厨房ごと真っ黒こげにしてやりましたわ」


 ヘルミネは高らかに宣言をして大きく胸をのけ反らせて「おーほっほっほっほっ」と笑い始めた。

 一方の青空は、それどころではない。


「えっ……」


 ヘルミネの言葉が衝撃過ぎて立ち尽くしたまま。彼女はいま何て言ったのか。

 謎の異世界物体とは砂糖のことだろうか。というか砂糖は厨房の戸棚に入れたままにしてあった。ヘルミネが厨房ごと焼き尽くしたのなら当然砂糖も今頃灰と化している。


「うそでしょ……」


 青空は呆然とつぶやいた。

 青空と一緒にこの世界にやってきた砂糖たち。増税前に買いだめに走った帰り道のことだったため、持ってきた砂糖もそれなりの量と種類があった。使えば無くなるものとはいえ、まだ十分にお菓子が作れたはずなのに、炎に巻かれてしまった。


「いいざまですわ~」


 ヘルミネは再び高笑い。

 反対に青空の顔は白いまま。


「いますぐにあなたのことも炭にしてさしあげますわ」

 彼女はまだ青空を殺す気満々らしい。紫色の瞳をぎらぎらと輝かせる。


「死ぬるのはおまえじゃ。たわけ者」


 青空の後ろから知った声が聞こえた。

 ヒルデガルトの低い声と一緒に魔法で作られたビームのような光線が青空の背後から伸び、ヘルミネに注がれる。


「ひゃっ」

 ヘルミネは少しだけ驚いてからそれを避けた。

「ちょっと! 危ないですわよ!」


 今しがた青空を殺そうとしていたヘルミネは青空の後ろに向かって文句を言い放つ。


「ふん。おまえなど、今すぐに死ねばよいのじゃ。何遍でも死ね。おまえが燃えて消えるのじゃ!」


 いつもより興奮した声を出しながら青空の隣へやってきたヒルデガルトはまっすぐにヘルミネを睨みつけた。見た目年齢十歳そこらの童女が可愛らしい顔と声で物騒な言葉を吐く光景はシュールだ。


「ヒルデガルト。嘆かわしくてよ。あなたのような偉大な研究者までこの女の怪しげな食べ物の虜とは。信じられませんわ」

「悪いか。青空の作る菓子は甘くて美味なのじゃ。我の今一番のお楽しみなのじゃ。それを、おまえは取り上げた……。この仕打ち、許さぬ。我への恩義も忘れて……」

「ふんっ! それとこれとは話が別ですわ」


「我のつくった薬のお陰でその爆乳を手に入れられたことを忘れたか。この元貧乳娘が!」


「なっ! ちょ、ちょっと。ここでそれをばらすのは反則ですわよ!」

 ヒルデガルトの発言にヘルミネが顔を真っ赤にする。

 青空はつい、彼女の胸を凝視してしまった。

「あの胸は作りものじゃ。我の薬のお陰なのじゃ。それを、あの愚か者……。やっぱりいますぐにここで死ね」

「お、覚えていなさぁぁぁい!」


 爆乳を作りものだと恋敵の前で暴露されたヘルミネは瞳に涙を溜めて、空へと飛び立った。


「ち。逃げたか」


 ヒルデガルトは悔しそうに舌打ちをした。

 青空はその場にぺたりと座り込む。


「ああ……我の今日の菓子が……」


 ヒルデガルトも続けてその場にぺたりと座りこむ。今しがたの威勢のよさは消え失せ、トレードマークの大きなリボンも下に向いてしまっている。小さな子が打ちひしがれているのを見ると、青空は助けてあげないと、という気持ちになる。


「ヒルデ、一緒にこの世界で砂糖を作ろう。どのみち砂糖は使えば無くなっちゃうんだから。それがちょっと早まっちゃったんだよ」

 ゆっくりと立ち上がった青空はヒルデガルトに向かって手を差し伸べる。


「……そうじゃな。我の研究も進んでおる。それに砂糖は我の研究室にも少しばかり残っておる。さっそく今日からオランシュ=ティーエ流の砂糖を開発を加速させるのじゃ」

 いつもの調子を取り戻したヒルデガルトの瞳に力が宿る。


「がんばろうね!」

「もちろんなのじゃ」


◇◆◇


 ヘルミネに砂糖を燃やされた翌日。青空はヒルデガルトの研究室に招かれた。

青空からしてみればヒルデガルトの研究室というのは昔絵本で見た魔女の実験室そのものだった。


 備え付けの本棚に入りきらない書物が乱雑に床の上に置かれ、タワーを作っている。

 暖炉には煮炊き用の鍋が吊り下げられている。これは絶対に魔女の薬を作るためのものだと、青空は胸の中で確信する。なにしろ周りには鉱物やら瓶に入った何某やらがたくさん転がっているからだ。

 ほかにも薬草棚やら液体の入った瓶が所狭しと並んだ戸棚やら、とにかく部屋にはたくさんのもので溢れている。


 青空はヒルデガルトに日本で流通している甘未について知っている知識を披露する。

 砂糖が作られるサトウキビや、カナダで有名なメープルシロップ。ほかにもヤシの木から採れるパームシュガーなどなど。


 驚いたことにヒルデガルトはすでに砂糖の主成分を解析し終えていた。

 青空にはこの世界の魔法についてはさっぱりなのだが、ヒルデガルト曰く。


「我にかかれば砂糖の成分解析など一日あれば事足りるぞ。いまは精製方法を吟味しておる最中じゃ」


 とのこと。この幼さ(あくまで見た目年齢)でレギン城で魔術の研究をしているというのは伊達ではないということらしい。ヘルミネの豊胸薬も彼女のお手製なのだからその腕前は本物なのだろう。


「要するに砂糖というのは植物から搾り取った汁を固めて不純物を限りなく取り除いたもの。材料となる植物の選定と精製する魔法道具を作ればよいのじゃ」

「おおー。頼もしい」

「当たり前じゃ」


 青空がほめるとヒルデガルトは得意そうにえへんと胸を反らせる。

 頭の上のりぼんも誇らしそうにぴょこんと揺れた。


「砂糖にもいろんな種類があるの。精製方法を変えると味が変わったりするし。わたしがこの世界に持ってきたのはキビ砂糖や黒砂糖に上白糖。入っているミネラルやらなんやらの違いで出来上がるお菓子に味の変化が生まれるんだよ」


 さすがに趣味でお菓子を作っていただけで青空はいたって普通の大学生。製菓学校に通っていれば原材料の製造工程にも明るかったのだろうが、そこは料理本を見て作って、評判のパティスリーに行って食べ比べをして、を繰り返すごく普通のお菓子好き。


(ああもう。製菓学校とか行っていたならもっとしっかり説明できるのに)


 青空は心の中で項垂れた。青空はあくまで趣味でお菓子を作っていた。高校性のときの進路相談で青空はパティシエという道を選ばなかった。体力勝負だとか、厳しい世界だとか、そういう言葉に気持ちがひるんだ。こういうところが中途半端なのだと思う。


「ふむ。奥が深いのう」


 ヒルデガルトは机の上の砂糖を手で一つまみ。

 木の器にはそれぞれ上白糖と黒砂糖ときび砂糖が入っている。せっかくならメープルシロップもあのとき買っておくんだった、と思うがそれは青空が異世界召喚されたから思うこと。普段メープルシロップはパンケーキを焼く時くらいしか使わないし、スーパーで買い出ししているときは、まあいいか、と思ってしまった。


「青空、ヒルデ。手紙が返ってきた」


 部屋に入ってきたのはルシン。

 手には封筒を持っている。


「おお、でかしたのじゃ。ルシン」

「手紙って、リヴィースノピ大陸の各地にいるっていうクヴァント族の人たちからの返信?」


「そう。僕たちの種族は基本的に研究馬鹿ばかりだから。一族でまとまって住むっていうよりもそれぞれ自分の興味の赴くままに各地に研究拠点を持っているんだ」


 ルシンの話によるとクヴァント族は個人主義者というか研究熱心な性格の者が多いらしい。そのため同じ種族で固まってどこかに定住というよりは王都などの大きな都市に住み魔法の研究をしていたり、興味の赴くままにへき地へ飛び己の探求心のままにその道を究める者が多いという。


「僕たちは族長である父の意向でレギン城に勤めているけれどね。まあなんていうか、人身御供的な?」

「えっと……」

 あっけらかんとした物言いに青空の方が後に続ける言葉に詰まる。

「世間話はよい。さっさと手紙を開封するのじゃ」

「そうだね」


 双子は別段なにも感じ入ってはいない様子だ。では青空があんまり態度に現すのも良くないと思い、手紙を一緒に見ることにした。

 手紙はもちろんこの世界の文字で書かれており、青空には読めない。

 指にはめている翻訳指輪も、紙に書かれた文字までは訳してくれない。


「ふむふむ……」

 ヒルデガルトが中身を読みつつ、時折感心したように唸る。

「なんて書いてあるの?」

 青空もなんだかそわそわしてしまう。


「うむ。甘い樹液を出す植物についていくつか書かれておる。さすがは世界各地の植物を研究している奴なだけあるのう」

 ヒルデガルトはうんうん、と満足そうに瞳を細めた。

「ほんとう?」

 それを聞いて青空も浮足立つ。

「ではさっそく取りに行こう」


 ヒルデガルトの掛け声で三人は部屋から退出した。

 やる気満々で出かけて行ったのだが、旅立ったのはヒルデガルトとルシンのみ。


青空はお留守番と相成った。なにしろハディルが頑として青空の同行を認めなかったので。青空は地上から、黒竜に乗って飛び立つ双子を寂しい思いで見送った。

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