魔王陛下の嫁取り1

(わからない……ハディル様がわからない……)


 青空は呪文のように心の中で唱えている。

 夜のお散歩は色々と刺激的過ぎた。


 あれから三日ほど経過をしている。とりあえず、ヒーラーたちにおやすみを言った後に眠れないからと言って窓を開けるのは止めようと青空は誓った。うっかり窓を開けたらまた異変を察知したハディルがやってくる。それはまあ、防犯ベル的なものだとしていいのかもしれないが、二人きりというのは色々と心臓に悪い。


 菜花青空そら、二十歳。男性とお付き合いしたことなどこれまでの人生で一度も無い。自慢ではないが友達以上恋人未満の甘酸っぱい関係だってこれまで縁が無かった。


 だからハディルに抱きかかえられたり、目じりにキスをされたりすると心臓がばっくばくに騒ぎ出すし、体中の血液が顔に集まったんじゃないかっていうくらいに顔が赤くなってしまう。


(いや、これはきっとあれよ。うっかり餌を上げたら近所の野良猫に懐かれちゃったとか。そういうやつよ。うん、そうだわ。大体、ディーターさんがハディル様に変なことを吹き込むからいけないのよ)


 と、青空は結論付けることにした。


「青空様。せっかくのよいお天気ですので今日はいつもとは志向を変えて湯あみをしてみませんか?」


 天気が良く、自室の窓を開け放ちテラスの椅子に座ってのんびり読書(日本語で書いてあるというだけで大学で使っていた参考図書も懐かしくて読みたくなるというもの)をしていた青空に声を掛けてきたのはヒーラーだ。


「湯あみ? まだ夜でもないですよ」

 お風呂は寝る前、が基本な青空は首をかしげる。

「あら。お嬢様たるもの、平穏な日の午後にのんびりと身体を磨くのが醍醐味というものですわ」

 ヒーラーと、いつの間にか彼女の後ろにやってきた侍女たちがうふふ、と笑顔を顔に張り付ける。


「わたし、別にお嬢様というわけでは……」

 一般庶民も庶民な一日本人な青空はこれ以上贅沢に慣れたくはない。

「これはわたしたちからのお礼でもありますわ。甘くて美味しいお菓子を分けてくださった青空様への感謝の気持ちなのです」


 そういえば多く作ったお菓子をせっせとヒーラーたちに渡していたことを青空は思い出す。美味しいと言われればまた作ってあげたくなるのが料理人というもの。無自覚に甘党を増やしている青空なのである。


「さあ、今から行きましょう」


 お礼と言われれば固辞することも躊躇われ、結局青空はレギン城の奥へと導かれる。


 オランシュ=ティーエは現在初夏のような陽気。日本もちょうど同じような気候だったから体的には急激な温度変化もなくありがたい。

 外回廊を渡り、いくつかの庭園を抜けた先に現れたのは豪華な入浴施設。大理石に似た石を惜しげもなく使い作られた広い温泉施設のようなもの、というのが青空の感想だ。テレビで見たヨーロッパの公衆入浴施設のようなもの。彫刻を施された柱な何本も立ち、噴水のように浴槽の中央に置かれた彫刻からお湯が噴き出している。


 あっという間に衣服を剥かれた青空は一番大きな浴槽に浸かり手足を伸ばす。


「なんだかスーパー銭湯に来たみたい」

 青空もお金を出して遊びに行ったことのある温泉施設に似ているなら、罪悪感も和らぐというもの。


「さあ、青空様。こちらへいらしてください」


 一番大きな浴槽よりも外側にある、一人用の浅い浴槽へと連れてこられた。大理石で作られた寝湯で頭を乗せる枕も石で作られている。ぴかぴかつやつやな石の上にタオルを敷いてそこに寝るよう指示される。


 寝湯に横になると濃さの異なるピンクの花びらが落ちてくる。華やかな香りが鼻をくすぐる。薔薇に似た香り。もしかしたら薔薇と同じ品種なのかもしれない。

 そして両方に控えた侍女たちが青空の腕を取り、オイルを垂らして優しくマッサージをしていく。


「えっ、えぇっ」

「青空様は毎日腕を動かしてお菓子を作られていると聞いておりますわ」

「ですから、よおく揉みほぐしておかないと、ですわ」


 黒髪に赤い目をした侍女が朗らかに答えた。

 リンパマッサージのように指の先から肩の付け根まで、何度も彼女たちの手が行ったり来たり。

 オイルのお陰で力を入れている気配もないのに適度な力加減によって、青空の両腕は癒されていく。

 ついうとうととしてしまうほどに気持ちよく、至福の時。


(き、気持ちいい……。ああでも……これに慣れたら駄目な気がする……)


 手のひら、指の間、それから手首へと順番に撫でるようにゆっくりと。

 適度な暖かさの浴槽には一面の花びら。耳をくすぐるのは小鳥のさえずり。たまに頬を撫でる風たちは青空に木々のハーモニーを聞かせていく。

 まどろみつつ青空が頭に浮かべるのはやっぱりというかお菓子づくりのこと。


(今度ルシンが南東の湿地地帯で栽培されている穀物から挽いた粉を持ってきてくれるんだっけ……。どんな粉だろう。楽しみだなぁ。早くふわっふわのケーキ焼きたいなぁ。ヒルデもルシンも絶対に好きだと思うんだよね。……あとそれからハディル様……も)


 口数は少ないけれど、彼がもくもくと青空のお菓子を口へ運ぶのを見ていると、心がぽかぽかしてくる。食べるのは面倒だと言うのに、ハディルは青空の作ったものなら良く食べてくれる。彼のように態度で示してくれるのも嬉しいものなのだ。


(うーん……でも、お菓子ばかりじゃ栄養が偏るし。今度普通のお料理もチャレンジしてみようかな。わたし……何が作れたっけ)


 結局はハディルにご飯を食べさせることを考えてしまう青空なのだ。

 のんびりとした空間に耳をつんざくほどの高笑いが聞こえたのはちょうどその時。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る