夜の散歩(徘徊)は危険ですっ!
闇が濃くなると己の神経も鋭敏になる。おそらくは身体の内側にある魔王の力のせいなのだとハディルは感じている。魔王の力を受け継いでからハディルは闇が恐ろしくなくなった。古の時代に混沌から生まれた大いなる力。その力の一部を己の体に継承したものが混沌を受け継ぐ者、魔王と呼ばれる。この世界に存在する三人の魔王の内の一人となったハディルはこの力のおかげで本来の寿命よりも長く生きる羽目になった。魔王の代替わりはおおよそ千年ごと。
ハディルはレギン城の、己の自室を抜け出す。
窓を開け、そのまま外へと浮遊をしたハディルは城の気配を探っていく。
魔王ハディルが異世界から人間を召喚した。それも人間の、年頃の娘を。この事実は王都アギレーシュに住まう一部の者たち、要するにオランシュ=ティーエを実質動かしている貴族階級の六家や各種族の長などにはすでに知れ渡っている。レギン城内で青空の存在を隠していないのだから当たり前だ。
レギン城内には数多もの結界に覆われている。
呼吸をするように魔法を扱う者たちが住まう国なのだ。外部からの悪意から守るために、魔王の住まうこの城の結界は幾重にも施されている。
結界だらけのレギン城でハディルが自ら魔王の力を持って結界を施した場所がある。
ハディルは空中からその場所の気配を念入りに探った。
言わずもがな、青空の現在の居室だ。
あの娘は異世界からの客人でただの人間だ。人間はこの国では脆弱な生き物だ。いや、光由来の聖術と呼ばれる力を操る人間は十分に厄介だが、何の力も持っていない者は魔族であれ人間であれ弱者と呼ばれる。それがオランシュ=ティーエという国だ。
魔王自らが青空の部屋に結界を施したのは、彼女を悪意から守るため。ハディルは青空を危険な目に遭わせようと思ってこの国へ招いたわけでもない。今彼女に降りかかる脅威とは当初ハディルが想定していたものとは違っていた。
(俺が若い女と一緒にいるというだけで文句を言ってくる輩がいる。面倒なことだ)
気配を探っていたハディルは眉を顰めた。
歩くのも面倒で、そのまま目的地まで飛行し、降り立つ。
「わっ……。ハディル様。どうしたんですか?」
突如空から降ってきたハディルに、青空は驚いた顔をする。瞳がまるくなっている。
彼女は窓のすぐそばの椅子に寝間着姿のまま腰かけていた。その上から肩掛けを羽織っている。
「どうして窓を開けている?」
ハディルは青空の質問には答えずに、己の問いたいことを青空に尋ねた。
ハディルの感じた異変とは、彼女の部屋の中から外へ動く気配があったこと。とっくに青空は寝付いた時間だと思っていた。眠っている隙に邪魔な人間を排除しようと試みるのは暗殺の近道でもある。
ハディルは第三者が青空の部屋で動いていることを危惧したのだが、まだ彼女は起きていたのだ。
「今日は色々とあって、そのせいか目が冴えちゃって……」
青空はふにゃっと相好を崩した。
色々というのは、昼間魔族の女が青空の命を狙ってきたという出来事を指しているのだろうか。
「そうか」
ハディルは一応納得した。
「ハディル様はどうして?」
「青空の部屋に施した結界に異変を感じた。おまえはもう寝ているかと思ったから、青空の部屋の窓が開く気配を察知して気になったから様子を見に来た」
「あ、そうなんですか……。なんだかすみません。気を煩わせて」
ハディルが勝手にしていることなのに、彼女の方が謝った。青空は料理が絡まないかぎり控えめな態度をとる。
「何をしていた?」
「え?」
「外へ出ようとしていたのか? それは勧めない」
「外に出ようとは思っていませんよ。灯りを持っていませんし。ただ、星がきれいだなって思って」
青空は顔を上にあげた。
ハディルもつられて彼女の見る方向へと視線を向ける。
いつもと変わらぬ夜空が映し出されていた。幾重にも折り重なる濃い黒と藍色の世界。その中に塵のように星々が広がっている。
「星、きれいですよね。夜空を見上げるとね、わたしの住んでいた世界もこの世界も同じだなって思って。あ、星座とかは違いますけど」
しみじみと話す青空。静かな声はどこか憂いを含んでいる。
当たり前だ。青空は突如ハディルによって己の世界とは別の世界へと連れてこられたのだ。彼女はハディルが最初に伝えた言葉を信じている。暇つぶしで異世界召喚魔法を使ったという言葉を。それでいいと考えているからハディルはこの件については口を閉ざすことを決めたというのに。
青空が切なそうに瞳を伏せたとき。ハディルの胸が大きく疼いた。
「ひゃっ」
青空がびくりと肩を揺らした。気が付くとハディルは青空に向かって腕を伸ばしていた。彼女の出した声に、ハディル自身が戸惑う。彼女に触れようとしていたそのことに。
ハディルは異世界の少女に興味を引かれている。ハディルを前にするとおどおどするのに料理が絡むと途端に元気になって口うるさくなる。そのくせ今の方に二人きりになるとまたハディルに奥ゆかしい態度を見せるのだ。
「あ、あの……?」
「……いや。べつに……。泣いているのかと思った」
「いえ。泣いては……いませんけど。ちょっと、感傷的になっちゃったといいますか。いえ、別にハディル様を責めるとかそういう意図は全くないのですが」
青空はこちらに変に気を使い慌て始める。
「夜は、駄目ですね。眠れない日はなんていうか、ちょっとおセンチになっちゃったり。って、これ死語ですよね。あはは……」
青空は意味不明なことを言い出し、挙句の果てに乾いた笑い声を出す始末。
ときおり彼女はハディルたちには理解できない単語を口にする。彼女の指にはまった翻訳指輪が匙を投げる単語ということなのだろう。
(おセンチ……それはなんだ……)
解せない。
しかしやはりというか青空の気は沈んでいるのだ。原因はハディルにあるのだが。
こういうとき、たしかディーターはどうすると言っていたか。王都に住まう貴族階級六家の一つであるフォルト家の息子でもある彼はハディルに五十年ほど仕えている。そのディーターはハディルよりもずいぶんと年下のくせに、たまに兄貴風を吹かせてどうでもいいことを助言してくる。
ハディルはこれまで適当に聞き流してきた彼の言葉のいくつかを、頭の中に呼び起こして、実行してみることにした。
ハディルはふわりと体を浮遊させ、青空の座る隣へ降り立った。
そして隙だらけの青空の体を抱きかかえ、ハディルは同じ窓から一気に上空へと飛び上がった。
「え、うわっ。えぇぇっ!」
驚きの声を出す青空。耳に届いたハディルよりも高い声がくすぐったい。
「え、ちょっと。わたし、空! 空飛んでる!」
「正確には、俺が空を飛んでいる」
青空の言葉にハディルは丁寧に正した。そろそろ夜も一番更ける頃合い。レギン城内は見張りの兵の気配と、魔法の明かりが灯るのみ。昼間とは違う世界が広がっている。
青空は下を見下ろして、それから横抱きに抱えられている自身の状況に目を白黒させている。
「えぇっ! ちょ、ちょっと何がどうしてこうなっているんですかっ」
青空の状況説明を求める声にハディルは素直に答えることにする。
「昔ディーターが言っていた。女が泣いていたら抱きしめろと。ついでに夜の散歩に連れ出すのも効果的だと言っていたのを思い出した」
「それは何に効果的だと……」
「夢見心地な雰囲気に持っていけば女はすぐに落ちると。何に落ちるのかまでは知らない。しかし、効果があるのだろう」
馬鹿正直に白状すると青空の纏っていた空気が少しだけ冷えた気がした。
「……そうですか……。ていうか、ディーターさんて結構遊んでいるんですね……。そうですよね……だって、あきらかに女性の扱いに慣れていますもんね」
「遊んではいない。あいつは俺よりもよく働いている」
ハディルは即座に訂正をした。ディーターは基本的に魔王よりも仕事を抱え込んでいる。
「あはは……」
青空は乾いた声を出した。
ハディルは青空を抱きかかえて飛んだところまではよかったのだが、その後どうしたらいいのかわからなくなった。
散歩というのが徘徊だということはなんとなくわかる。
ハディルも時折、無性にここではないどこかへ行きたくなる。そういうときは空へ浮かび上がり、本当に適当に飛び回る。文字通り空を、適当に。
しかし女連れはこれが初めてだった。
こういうときどうすればいいのだろうか。またしてもハディルはディーターの過去の言葉のあれやこれを思い浮かべる。
「それにしても、明かりが少ない分星がとっても近く感じますね」
ハディルが過去のディーターの言い分に耳を傾けていると、すぐ近くから現実の青空の声が聞こえた。先ほどまで感じた声の中の冷たさが消えている。
「わたし、こんなにもたくさんの星を見るの初めてです」
ハディルは抱えている青空を見下ろした。
彼女の視線は星々に注がれている。片方の手はきゅっとハディルの胸のあたりの衣服の布を掴み、もう片方の腕をふわりと空へ伸ばす。
「いつもと変わらない星空だが」
なにがすごいのかハディルにはわからない。
青空はいつの間にか口元を緩めている。ほころばせた頬が柔らかそうでハディルは青空をいつまででも眺めていられると考え始める。
実際見つめているとその視線に気が付いた青空は少しだけ頬を膨らませ、「もう。ハディル様、せっかくだから星を見てください」と言われた。
「俺は青空の方が興味深い」
「えぇ……っと……」
正直に言うとなぜだか青空が目を泳がせる。ハディルは内心首をかしげる。興味のあるものを伝えただけなのにどうしてそこまで彼女は困るのか。
最終的に青空は黙り込んだ。
沈黙も悪くはないけれど、ハディルは青空の声も悪くないと感じている。女の声はきーきーとやたらと高くて耳障りだと感じていたのに。青空の声はやわらかくてどこか暖かい。
「もしも……。星を見るのが好きなのなら」
「え?」
気が付くとハディルはそう口にしていた。
「俺がまた連れてきてやる」
少しの沈黙ののち、青空はほんの少し口元をほころばせて「はい。ありがとうございます」と返事をした。そのとき、ハディルは以前ディーターに言われた言葉を思い出した。脳裏に彼の言葉が浮かんだとき、体が勝手に動いていた。
ハディルは身をかがめて青空の目じりのあたりに口づけをした。
直後、青空は目をこれでもかというくらい丸くした。
「え……えぇぇぇぇぇっ!」
驚いた青空の声は確かに高くてうるさかったけれど、悪くはないな、とハディルは胸の奥で感じた。
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