お嬢様魔族、ヘルミネの登場2
「おーほっほっほっほ。今のはほんのご挨拶ですわ」
上空から聞こえてきたのは女の笑い声。それは今どきアニメの中でしかお目にかかれないような絵にかいたような高笑いだった。
ハディルは青空を胸の中に抱きしめたまま片方の腕を上に伸ばした。細身の割に彼の胸はしっかりと厚みがあり青空はハディルが男性であることを実感して、かちこちに固まってしまう。
(って、いまはそれどころじゃないから!)
青空はハディルの腕の中から逃れようと試みるが、彼の腕はしっかりと青空の背中に回されていてびくともしない。この細腕のどこにそんな力が、と思っていると彼が上に伸ばしたほうの手の平から光の粒が生まれた。
光の粒はみるみるうちに広がり、球体になる。
それが空中に向かう。
一瞬の出来事ののち、大きな爆発音が鳴り響く。
「きゃっ、きゃぁぁぁ」
青空は大きな声を出した。
びっくりして咄嗟に頭を庇う。
「結界を張っているからおまえには当たらない。大丈夫だ」
ハディルの声が上から降ってくる。結界の前に青空はハディルにしっかりと守られているのだが。
それでも青空にとって爆発というのは非日常で。大丈夫と言われても怖いものは怖い。
「な、なにがあったの……?」
「なんじゃ。手加減したのか。つまらぬ」
ヒルデガルトの声に青空が頬を引きつらせる。これで手加減ということが信じられない。
「まあ魔王陛下。とても情熱的な魔法でしたわ」
またしても空から声が降ってきた。先ほどとおなじ高い声。そしてどことなく媚びたような甘い響きが加わっている。
青空は頭上を見上げた。
そこにはぷかぷかと人が浮いていた。
「いつまでも陛下にくっついているんですの。人間ごときが」
一拍前の甘さに満ちた声音から一転。低い声が降ってきた。
頭上から女が一人地面へと降り立った。
金色の髪の毛が、ものすごくきっちりと縦にロール状に巻かれていて、見た目年齢は青空よりも少し若いか同じくらい。しかし、この国でその見た目ということは確実に青空よりも数倍年を取っている、とこの数日で青空は学んでいる。
「おーほっほっほっほっほ。わたくしの名前はヘルミネ・ツェル・ザイフェルト。この国の六家が一つザイフェルト家の金の薔薇といえばわたくし、ヘルミネのことですわ」
とんっ、と地面に降り立ったついでに女性は聞かれもしないのに高笑いと共に自己紹介を始めた。
「知っておるわ。貧乳娘が」
ヒルデガルトが即座に低い声を出した。
青空は彼女の突っ込みにえっ、と目の前のヘルミネを見つめる。
勝気そうな、やや釣り目がちの瞳はアメジストのようなきれいな紫色。それに巨乳を通り越したはちきれんばかりの豊かな胸がどーんと強調されたデコルテの広くあいたドレスを着ている。ちなみに太ももの上からスリットが入っていて、生足がちらり、どころか大きくはみ出して見えている。
どこかの銀座のお姉さん的な勝負ドレスがしっかりと似合っている美人だ。
(あれを貧乳呼ばわりって……わたしなんてもっと貧相なのに!)
「お、おだまりですわ。魔法博士殿」
ヘルミネがヒルデガルトを見てたじろぐ。
「ふん。我に向かって魔法を放ったのはおまえのほうじゃろう」
「あれはそこのメス豚に対して放ったのですわ」
ヘルミネはずびし、と青空を指さした。
(メ、メス豚……)
青空はヘルミネの言葉にいっそ感心した。いまどきそんなあからさまな悪口、漫画の中でしか聞いたことが無い。ある意味すごいと思った。
「キィィイッ! いつまで陛下といちゃこらしているの! 腹立たしい」
「こ、これは。ハディル様が離してくれなくて」
そう、別に青空の意思ではない。ハディルが相変わらずに青空のことを片腕で己の胸に押し留めているせいだ。
「まーぁっ! 腹の立つメス豚ですこと!」
「ヘルミネ、青空は陛下の客人だよ」
ルシンの方が声を固くして前に足を踏み出す。
「ふんっ! 魔王ハディル様の嫁の座を狙う女はみんなメス豚よ」
ルシンにそう言い放った彼女は、その後しっかりと青空に視線を合わせてもう一度ずびし、と指さしてきた。
「いいこと。わたくしは魔王陛下であられるハディル様の婚約者ですのよ!」
巨乳をひけらかすようにふんぞり返るヘルミネに、ではなく彼女の放った言葉に青空は度肝を抜かれた。
「ハディル様、婚約者がいたんですか?」
じゃあこんなにも密着するのは彼女に失礼だとばかりに青空は彼の腕から逃れようと頑張る。
「俺に婚約者などいない」
「い、いやでも、あの人が」
まさかのハディルの否定発言に青空の方が戸惑う。
「ハディル様。照れるのはおよしになって。わたくしはあなた様の唯一無二の妻になる者ですわ」
ヘルミネは両手を頬に当てながら体をくねらせる。
「って言っていますけれど」
青空の突っ込みにハディルは何も言わずに嘆息する。
「とにかく、ハディル様に取り入ろうとするメス豚は今すぐに消えていただきますわ!」
ヘルミネはすぐさま好戦的に唇を持ち上げた。紫色の瞳がきらりと光る。
すると遠くの方からディーターが慌てふためきながら近づいてくる。
「うわぁぁぁ! 駄目ですよ、ヘルミネ嬢。レギン城での私的な魔法攻撃はいくらあなた様でも禁じられております。しかも、青空様を害しようとするとは何事ですかぁぁぁ」
ディーターの登場にいよいよ恥ずかしくなった青空はハディルに抗議する。
「そろそろ離してください」
「駄目だ。俺の側が一番安全だ」
抗議の声もあえなく一蹴された。
その直後、風が青空の髪の毛を持ち上げた。ハディルのすぐ隣にディーターが文字通り飛んで駆けつけた。最後の距離を一気に全力飛びで詰めたのだ。彼はぜーはーと肩を大きく上下させている。
「ヘルミネ嬢」
「ふ、ふんっ! 今日のところはほんのご挨拶ですわ」
さすがに多勢に無勢では分が悪いと感じたのか、ヘルミネは歯をぎりりと噛み、そのまま宙へと浮かび上がる。
なぜだか立ち去る様が優雅だった。歩くよりも様になるのかも、と青空はどうでもいいことを考えた。
「陛下、青空様もお怪我はないですか」
ディーターは大仰に息を吐き、青空を上から下まで眺める。
ようやくハディルから解放された青空は顔を赤くしたまま「大丈夫ですよ、いたって健康体です」とずれた回答をする。
それよりもあんなにも密着した姿を見られたのだから居心地が悪い。
「ええと。ハディル様って婚約者がいらっしゃったんですね」
青空はディーターに確認してしまう。それなのに頑なに青空を抱きかかえたまま離さないとは何事だろう。あれでは火に油ではないか。ヘルミネが怒るのも無理はない。
「違う」
ハディルの気のない返しに青空は「ハディル様。それだとヘルミネさんが可哀そうです」と言い返した。
「いいえ、青空様。本当に陛下と先ほどのヘルミネ嬢との間にはなんの約束もありません。側近のわたくしが言うのです。嘘ではありません」
「ほ、本当に……?」
「ええ、もちろんです」
ディーターは自信たっぷりに頷いた。
青空は自分でも驚くくらいにホッとした。それからすぐにそう考えた自分にびっくりした。
「陛下はこの通り独り身で、端正な顔立ちをされておられるので、ヘルミネ嬢のような輩がぽこぽこ降って湧くんです」
本人がいないところでディーターの口が悪くなる。
「魔王の妃ともなれば左団扇な生活ができようぞ。女たちの憧れの職業と相場が決まっておる」
「しょ、職業……」
ヒルデガルトの身も蓋もない言葉に青空の方が返答に困る。
「しかし、青空様もとんだ目に遭いましたね。怖かったでしょう。今日はもう部屋に戻られますか? きちんと結界も強化しますし」
「結界なら俺が張っている」
「陛下がですか?」
ディーターが目を丸くする。
青空も驚いた。そういうのは下っ端の役目だと思っていたからだ。
「青空がいなくなると菓子を作れる者がいなくなる」
「そうですよね……」
ハディルが執着をしているのは青空の作ったお菓子の方。
分かってはいるけれど、はっきり言われると微妙な気持ちになる。
「どうした?」
「いえ。なんでも」
「黒竜を見たくなったか?」
「遠慮しておきます」
青空は丁重に断った。
ハディルは再び青空の腕を掴んで歩き始めた。
「えっ、えっ?」
「散歩の続きだ。運動は大事なのだろう?」
「え、あ、はい」
その後青空はハディルに連れられてレギン城を一通り散歩したのだった。
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