お菓子は主食ではありません
魔王が異世界から人間の娘を召喚した、という噂はあっという間にレギン城に広まった。
おかげで青空はこの数日、衆人環視の的になっている。
魔王に召喚されて早五日が経過をしていた。
あれから青空はハディルから厨房を自由に使ってもよいと許可を得て毎日第二厨房でお菓子作りに励んでいた。
「オーブン温まったよ」
「ありがとうございます」
青空はグランゼのほうへ顔を向けた。青空の父親と同じくくらいの年の頃で黒い髪の毛に赤茶色の瞳をした彼はオランシュ=ティーエでは一般的な人型の魔族。一口に魔族といっても種族がたくさんいるらしいが、その中でも一番多いのが人間と同じ見た目をしている
青空と一緒に料理をしているグランゼもこの見た目で実は二百五十歳ほどだという。長く生きているから詳細な年齢を数えるのが面倒だと彼は言っていた。ざっくり十年単位で年を数えるから詳細な年齢は不明とのこと。
「だいたいパンを焼くくらいの温度だったよな」
「はい。そうです。わたしが魔法を使えないばかりにご迷惑をかけてすみません」
「いや、いいって。俺も異世界の料理に興味があるしな。それに、最初のあのお菓子もうまかった」
グランゼはかかっと豪快に笑った。
茶色の髪に赤茶の目をした彼は青空よりも背も高く横幅も広いので最初こそびくびくしたが、異世界のお菓子という食べ物に興味津々で喜んで手伝ってくれている。
青空はオーブンの中にクッキー生地を入れた。
この世界の粉を制することはお菓子を制する、ということで青空はせっせと小麦粉を使ったお菓子を試作している。小学生のころからお菓子を作っているだけあり、だいたいのお菓子のレシピは頭に入っている。記憶を頼りにこちらの世界の材料を使ってクッキーやらスポンジケーキを焼き上げ、微調整をしながらこの世界バージョンのレシピを作り上げて行こうと思っているのだがこれがなかなか難しい。
「今日はオーバ麦の粉を使ったんだよな」
「そうですね。昨日は
一口に粉といってもその種類は千差万別。青空としては美味しいお菓子を作りたいし食べてもらいたい。しかしこの世界、パンを食べる文化はあってもお菓子という存在が無かったせいで、お菓子作りに適した粉を見つけるところから始めなければならない。
(今考えると、スーパーに行って強力粉とか薄力粉とかうどん用とか、目的別に小麦粉が分かれて売っているって、とてもすごいことだったんだなぁ……)
青空はしみじみと感じ入る。普段売っていることが当たり前だった薄力粉が実は素晴らしいものだったということを実感したのはオランシュ=ティーエにやってきた後のこと。どうせなら小麦粉も大量買いしてこちらの世界に来ればよかったとか考えるくらいにはこちらの粉はお菓子作りに適していない。パン作り用の小麦粉とお菓子作り用のそれとでは違うのだから仕方がない。
そうこうしているとオーブンの中から甘くて香ばしい香りが漂ってきた。
青空は鼻をすんすんさせる。お菓子が焼きあがるときのこの香りだけで幸せな気分になる。
「いいにおいがする」
いつの間にか厨房の入口に魔王が佇んでいた。
今日も漆黒の衣装を身にまとっている。ぽつんと一人厨房の入口に佇むこの世界で最も偉大な魔王の内の一人。なにやらシュールな光景だな、と青空は思う。
彼は青空の作るお菓子を気に入ったのか、こうして一人でふらりと厨房に顔を出す。
「こんにちは。ハディル様」
この数日の間ですっかりハディルと名前で呼ぶことに慣れた。なぜに魔王ではなく名前で呼ばせるのかは意味不明だが、突っ込んで聞けるほどまだ彼自身には慣れていないので深くは考えないという方向に落ち着いた。
ハディルは青空の挨拶に、目視で返しオーブンの前へと足を進める。
「今日の菓子は出来上がったのか?」
「試作品ですけど、もうすぐ焼きあがりますよ」
「今日もクッキーというものを作っているのか?」
「はい。いろいろな粉を試してみたいので」
「粉を変えると何が変わるのか?」
「食感です。昨日作ったクッキーはかちかちだったので」
たぶんあれは青空の世界でいう強力粉だったのだ。材料を混ぜている最中になんとなく、嫌な予感はしたのだが。
「昨日食べた菓子も甘かった。なかなかよい固さだった。……うまかった」
固焼きせんべい並みにかちこちに焼けたクッキーを、青空以外は美味しそうにぽりぱりと食べていた。魔族の皆さんは強靭な歯を持っているらしい。
「うーん……。あれを美味しいと言われるとちょっと、いやかなり切ないです」
「そうなのか?」
ハディルは青空の作った甘いお菓子が『美味しいもの』だと認識しつつある。光栄ではあるが、固焼きせんべいもどきクッキーは日本では失敗作に入る部類のもの。青空としてはさっくりとした食感の本物のクッキーを食してもらいたい。
「はい。そういうわけでわたし、今日はメレンゲのお菓子も作っておいたんです」
青空が今日かちこちクッキーもどきとは別に準備しておいたのはメレンゲと砂糖で作った焼き菓子。
この世界の卵は中が青かったり紫だったりするため、白身も白ではない。着色料をつけなくても薄青や薄紫色のメレンゲ菓子は写真映えしそうでもあるが、そもそも魔法世界に写真もSNSも存在しない。
じゃーんとお皿の上に盛ったメレンゲクッキーを青空はハディルに見せる。
「食べてもいいか?」
「はい。もちろんです」
青空はにこりと微笑んだ。
その顔をハディルがまじまじと見る。
「青空はお菓子が関わるとよく笑うんだな」
「そう……ですか?」
改めて指摘をされると恥ずかしくなる。青空は顔を赤らめた。
ハディルはこくりと頷いた。
「青空~、いろんな麦を仕入れてきたよ」
そんな声と共に厨房を訪れたのはルシンでそのあとにヒルデガルトが続いた。
ルシンは青空のために材料集めを手伝ってくれている。取り急ぎ今の課題はお菓子作りに適した粉を手に入れること。ルシンは伝手を使って大陸中からさまざまな種類の小麦粉を取り寄せてくれている。もちろん料理人にグランゼも。しかしこの国に流通する小麦粉は強力粉に似たタイプのものが多いらしく、なかなかに前途は多難だ。
「よい香りが外にも漏れておる。うむ。菓子が焼きあがるときのこの香り。抗いがたいものがあるのじゃ」
ヒルデガルトはオーブンの前に陣取り鼻をひくひくさせる。瞳を輝かせる彼女もまた青空の作ったせんべい風かちこちクッキーをばりぼり食べる一員の一人。
オーブンを覗き込むため背伸びをする彼女の頭の上で大きなリボンが揺れている。その横顔は年相応で、普段の居丈高な物言いとのギャップが可愛らしい。
「ヒルデガルト可愛いなぁ」
「あれであの双子は二十を超えている。人間の感覚でいうともうおとなだろう」
「えぇぇっ」
青空の独り言にハディルが返した。そして、衝撃の事実に青空はすっとんきょうな声を上げる。
てっきり青空よりも年下だと思っていた。
「ああそういえば。僕たちの年齢を伝えていなかったね。僕たちは三十三だよ。僕たちクヴァント族はだいたい二百八十年くらい生きるから、まあ子供だね。まだ」
「クヴァント族はこのような白髪に赤い目が特徴的なのじゃ。魔力も高いが、どちらかというと皆己の肌に合う学問やら研究ごとに一直線じゃ。我らもまた優秀な研究者なのじゃ」
振り返ったヒルデガルトはハディルの抱えた皿を目ざとく見つけ、たたたっと彼に近寄り皿を取り上げようとする。するとハディルは大人げなく皿を上に持ち上げる。ついでにメレンゲクッキーを口へばくばくと持って行く。
「おのれ、魔王のくせに狭量な」
「俺は狭量だ」
「威張ることか。子供には優しくせよ」
「普段はもっと大人扱いしろと言うだろう。大人扱いをしてやっているまでだ」
「くぬぬ。なんと口の減らぬ男じゃ」
大の男が幼女相手に大人げない。青空は半眼になる。
ハディルが青空のお菓子を気に入ってくれているのは喜ばしいが、仲良くしてほしい。
「ハディル様、ヒルデガルトと仲良くしてください」
青空が口を挟むとハディルはしばし押し黙り、皿をヒルデガルトに渡した。
「でかしたぞ、青空。さすがは我の一番弟子じゃ」
いつの間にか弟子になったらしい。
ヒルデガルトは嬉々としてメレンゲクッキーを頬張る。途中ルシンが手を伸ばしたところをすかさずぺしりと払う。
こちらでもお菓子の取り合いが発生する。
「二人とも、そんなにたくさん食べると夕ご飯が入らなくなるよ」
「お菓子が主食だから大丈夫」
二人が口をそろえて言った。こういうところは非常に仲がよろしい。
青空は口元を引くつかせる。三十三歳だろうが、この言い方は子供だ。ものすごく子供だ。
「駄目に決まっているじゃない。お菓子の食べ過ぎは厳禁なんだから」
青空はヒルデガルトからメレンゲクッキーの入った皿を取り上げたが、皿はほぼ空っぽだった。
「うむ。おかわりを所望する」
「僕も」
「俺も食べたい」
青空はため息を一つ。
そして大きく息を吸い込んだ。
「もうっ! 三人ともおかわりの前に運動! おやつは主食じゃありませーんっ!」
この年で母親みたいなことを言うとは。
ついでにいうなら今日試した小麦粉で作ったクッキーもカチコチでせんべい並みにばりぼりした食感だった。
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