青空の異世界クッキング2

 調理を開始すると外野の視線はいつの間にか気にならなくなっていた。

 青空はグランゼの助手の元、日本の、自分の家の台所でお菓子を作るように流れる動作でお菓子作りに専念をした。


 小さなころからの習慣なので材料も分量も頭のなかに入っている。こちらの世界の器具や計量カップなどをグランゼに教えてもらいながら青空は材料を混ぜ合わせ、お湯を沸かしたりオーブンを使ってお菓子を完成させた。

 出来上がったお菓子をお皿に盛り付け、このあとはお待ちかねの試食タイム。


「待ちきれないのじゃ! ああ我はいまとてもドキドキしておるぞ」


 ヒルデガルトは青空の手元を見ながらぴょんぴょん跳ねている。頬を赤く染めた彼女の可愛らしい仕草に青空もほっこりする。


「口に合うといいなあ」

「うむ。我の準備は万事整っておる。安心せい」


 ヒルデガルトはにっこりと微笑んだ。それを見たディーターがこそっと青空に耳打ちをする。曰く、「ヒルデガルトがあれほどまでにご機嫌なのは珍しいんですよ」とのこと。


 一同は第二厨房近くの部屋に移動をする。


「はよ食べようぞ。我はもう待てないのじゃ」


 さきほどからずっと同じセリフを繰り返すヒルデガルトのために青空は彼女の目の前に作ったお菓子の皿を置いてあげる。

 今この場にいるのはヒルデガルトとルシンとそれからハディル。


 ちなみにディーターはつい今しがた部下に呼ばれて問答無用で連れていかれた。相当に未練がましい「すぐに。すぐに戻ってきますからぁぁぁぁ」という声がこだました。彼も忙しいのだろう。その割に魔王であるハディルはディーターにはついていかなかったのだが。


 ディーターとグランゼの分は厨房に残してあるため今ここに用意したお菓子は双子のためのもの。


「さあ、どうぞ。ウ・ア・ラ・ネージュのアングレーソース添えっていうんだよ」


 青空がつくったのは、青空自身が一番最初に作ったお菓子。フランス菓子のウ・ア・ラ・ネージュだ。

 卵白とグラニュー糖を使った、比較的簡単に作れるお菓子。なにしろメレンゲを茹でるだけなのだから。皿の下にアングレーソースを敷くのが一般的で、卵黄と牛乳、砂糖で作った。使った卵の卵白が白ではなくピンクがかっていたため、出来上がったウ・ア・ラ・ネージュも薄ピンク色だ。見た目はとにかく女子受けしそうな色合いに仕上がっている。問題は口にあうかどうか。


「調理手順は面白かったね。卵白を泡立てるっていう発想が今までになかったし、茹でるとこんな感触になるんだね」

 ルシンは指先でつんつんとウ・ア・ラ・ネージュを突いている。


「うむ。では」


 対照的にヒルデガルトは豪快にウ・ア・ラ・ネージュをスプーンですくい、口へと運ぶ。

 ふっくらと突きたくなるようなマシュマロほっぺたをもぐもぐと動かすヒルデガルトを青空は注視する。


「うむ。これは、面白い。そして甘い。甘いのじゃ。ほっぺが蕩けるのじゃ」

 そう言ってヒルデガルトはがつがつと残りを食べ始める。

「うん。面白いね。口に入れるとしゅっと溶ける。しかも、甘い。とっても甘い。強烈な甘さ。これは、美味しいね」


(お、美味しい、頂きました!)


 ルシンの口からはっきりと出た美味しいという言葉。

 青空は心の中で軽くガッツポーズ。世界は違っても美味しいは共通。彼もヒルデガルトと同じようにばくばくとウ・ア・ラ・ネージュを口へと運ぶ。


「おかわり!」

 二人同時だった。嬉しい言葉に青空は自然と微笑む。


「あ、こっちのプリンも食べる?」

「うむ!」


 同じく卵と牛乳と砂糖でつくれるプリンも同時進行で作っていた。最後オーブンを使うときに操作してくれたのはグランゼだ。彼にどういう状態でプリンを蒸し焼きにしたいか伝えて、彼は青空の要望通りにオーブンを調整してくれた。おかげでちゃんとプリンが出来上がった。巣が入っているかは見た目には分からない。なにしろ味見をしようとしたらヒルデガルトが眦を吊り上げて「ずるいぞ、ぬしだけ」と言ったから。


「ちゃんと出来上がっているか心配だけど。たぶん大丈夫なはず」


 プリン用の容器などあるはずもなく、小さな容器に入れて作ったプリンを、グランゼに頼んで魔法でくり抜いてもらいお皿に盛りつけた。やっぱりプリンはぷるぷるとしたプリンの形の上にとろりとカラメルソースをかけるのが王道だと思うわけで。


(本当は生クリームとかあったほうがよかったんだけどね)


 さすがに無かったのであきらめたが、見た目可愛い方がヒルデガルトももっと喜んでくれたのでは、と思うとちょっと悔しい。


「おおお、ぷるぷると揺れておるのじゃ」


 ヒルデガルトの感嘆に、直立不動のまま敬礼をしているグランゼがぴくりと眉を動かす。


「あ、グランゼさんのものはあちらにありますから」

 グランゼは魔王のいる場でとてもではないが食せませぬと言って譲らなかったのだ。

「んん~。こっちもうまいのじゃ」

「甘くて美味しい」


 双子はプリンも気に入ったようでぱくぱくと勢いよく攻略をする。

 青空は嬉しくて笑顔で二人を見つめる。

 自分のお菓子が気に入ってもらえてとっても嬉しかった。料理をする者の性として、つくったものに対して美味しいと言ってもらえると喜びもひとしおだ。


「おまえは……楽しそうに料理をするのだな」

 青空がほほえましく双子を見守っていると、ハディルが声を掛けてきた。

「うわっ」

 青空はびっくりした。まさか魔王が青空に話しかけてくるとは思わなかった。青空の体がかちりと緊張する。


「どうした?」

「い、いえ」

「異世界の人間は料理をするのか」

「ええと……。全員というわけでもないですが……」


 それから沈黙をした。彼は相変わらず淡々とした声を出していて機嫌がよいのか悪いのか青空では判別がつかない。下手なことを言って彼の機嫌を損ねることはしなくはない。


(それにしても……暇つぶしで召喚した娘のことなんて、放っておけばいいのに……)


 どうして彼は厨房までやってきたのだろう。青空としては対応に困ってしまう。彼がこの召喚劇の元凶だというのに。


「どうして黙り込む? 厨房でははしゃいでいたのに」


 ハディルの方から会話を広げられ、青空は再び固まった。もしかして、青空の思考を呼んだのだろうか。心の中でうっすらと魔王を非難したことがバレている? と青空は恐ろしくなる。


「そ、それは……。料理をしていると……我を忘れると言いますか……」

 青空はしどろもどろに答える。

「えっと、陛下も……食べます?」


 気が付いたら会話の間をもたせるためにそんなことを口走っていた。

 言ってからしまった、と思い立つ。何しろ昨日このお方は食べることが面倒だと言っていたではないか。絶対に面倒だとか返されそうだ。


「……ハディル、だ」

「え、ええ……。ですね、陛下」

「ハディル、だと言っている」

「は、はあ……」

 そこ、気にするところなのか。と青空は生返事をした。


「……食べる」

「え?」

「青空の作った料理を食べると言った」

「えぇっ!」


 青空は驚いた。まさか魔王がおかしに食い付くとは。双子の食べっぷりに触発をされたらしい。しかし、何はともあれ青空の作ったお菓子に興味を持ってくれるのは嬉しいし、場も繋がる。青空は急いでハディルの分を用意した。


「ふむ。ぬしも食することにしたのじゃな。青空の作った菓子はうまい。我が保証をする」

 席に着いたハディルを目にしたヒルデガルトが胸を張る。

「どうしてヒルデガルトが答えるのさ」

「こんなにも美味しいのじゃ。この男もすぐに虜になろうぞ」

 双子の皿はすっかり空になっていた。


「あの、陛下……いえハディル様。どうぞお召し上がりください」


 ハディルは目の前に置かれた皿に視線を落とし、やがてゆっくりとした所作でウ・ア・ラ・ネージュを口元へ持っていった。

 青空は固唾を飲んで彼を見守る。異世界の魔王の口に果たして地球産のお菓子は合うのかどうか。


 ハディルは一口目を無言で飲みこんだ。それから二口目、三口目とスプーンを黙々と口へ運んでいく。淡々とした動作の繰り返しに青空の心臓がどきどきと鳴り響く。


「……あ、あの。……いかがでしょうか」

 いつの間にかウ・ア・ラ・ネージュは皿の上からきれいに消え去っていた。


「……甘い」


 ぽつり、とハディルはつぶやいた。

 立ったままの青空からでは席についているハディルの顔の表情までは分からない。


「不思議だ。ヒルデガルトの言ったとおり、口に入れたらしゅっと溶けた。こんなもの初めて食べた。こういうのが……美味しいというのだろうか」


 言葉に迷っているようだった。

 美味しいという言葉にハディルは戸惑っているようにも見える。


「これはウ・ア・ラ・ネージュって言って、わたしの住んでいた国とは違う国のお菓子なんですけど、わたしが生れて初めて作ったお菓子なんです。子供でも簡単に作れるくらい簡単なんです。それから、こっちのプリンは大人から子供まで大人気のおやつなんです。わたしも何度もつくって、色々と改良を重ねて。シンプルな分、研究のし甲斐があるお菓子といいますか。プリン専門店もたくさんあったからわたしも色々と食べ歩いて研究したりもして」


 作ったお菓子を説明するというスイッチの入った青空はハディル相手に朗らかに話はじめる。それまでの緊張嘘のように舌が滑らかに動く。ハディルは青空の変わりようをまじまじと観察した。

 ウ・ア・ラ・ネージュを完食したハディルは今度はプリンに匙を入れて口へと持って行った。


「上にかかっているソースは少し苦いんだな」

「カラメルソースですね。わたしはちょっと苦めの方が好きなんですけど、お口に合わないですか?」

「いや。もう一度口へ入れたくなる」


 ハディルはプリンもあっという間に平らげた。

 プリンが無くなってもハディルはその皿を見つめたまま微動だにしない。

 完食したということは、少なくとも口には合ったということ。青空はひとまずほっとした。


「おかわりが欲しいのじゃ」

「僕も!」

 双子が青空に主張を始める。

「まだ残っているから持ってきてあげるね」


 おかわりと強請るくらいに甘い食べ物は双子の心に刺さったようだ。

 口に合って嬉しいし、青空はすでに次のことを考えていた。お菓子が珍しいのならやっぱりケーキやクッキーも作りたい。それに何かすることがあれば気がまぎれるかもしれない。客人と言われてもこの世界で何をしたらいいのか分からずに困惑していたからだ。


「……俺も食べる」

「え?」

「俺もおかわりをする」

 青空は目をぱちくりとさせた。


「……俺はいままで、ものを食べても何も感じることはなかった。けれど……これはおそらく……美味しいのだと……思う」


 ハディルはゆっくりと言葉を紡いだ。彼自身が美味しいというものをよくわかっていないのか、少し首をかしげつつ、それでも青空の作ったお菓子を美味しいものだと感じていることをまっすぐに青空に伝えた。

 青空はびっくりした。まず、彼の語った内容に。ものを食べておいしいと感じないということが衝撃だった。


「けれど、俺は……青空の作ったこの菓子とやらが、また食べたい」


 青空の胸の中にハディルの言葉がじわりと染み込んでいく。土が雨の水を吸っていくみたいに少しずつ。それは嬉しい賛辞でもあった。


 彼の言葉が青空の胸の奥に届いたとき。

 青空はゆっくりと相好を崩した。


「はい。おかわり、持ってきます」


 訳のわからない魔王様だけれど、彼が青空の作ったお菓子を褒めた言葉は本物なのだと、素直に感じることができた。

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